魔法至上主義の世界で『筋力』だけカンストした男が拳一つで全てを覆す

ポポリーナ

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星鉄鋼の記憶

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 鉄を打つ音が、聞こえた気がした。

 もちろん幻聴だ。最深部から駆け上がってきた耳には、まだ自分の心臓の音すら遠い。だが古代都市ムスケラの中枢から二階層ほど戻った工房区画に足を踏み入れた瞬間、ガルドの足が止まった。

 鍛冶場の残り香。数千年を経てなお、壁に焼きついた煤の痕跡と、使い込まれた金床の光沢。ガルドの目が、それを一瞬で見て取った。

「……おい、鉄心」

 低い声だった。いつもの豪快さが消えている。

「なんだ、ガルド。まだ黒い霧が——」

「違う。ここじゃ。ここを見ろ」

 ガルドが指差した先に、巨大な鍛冶工房が広がっていた。

 天井まで十メートルはある空間。壁面には道具の影が焼きついたように残り、中央に鎮座する金床は一枚岩を削り出したものだった。炉の跡には星鉄鋼の原石が山と積まれている。青白い光を放つ鉱石が、松明の灯りを受けて脈動するように明滅していた。

「すげえ……宝の山じゃねえか」

 鉄心が素直に感嘆する。だがガルドは原石には目もくれず、壁際の棚に駆け寄っていた。

 その間にカイルが工房の入口を振り返り、来た道の壁面に刻まれた記号を確認していた。目を細め、分岐の位置と階層の対応を頭の中で整理する。枯死域からここまでの経路を、一つも取りこぼすつもりはない。

 ガルドが息を詰めたまま、革装丁の書物を引き出す。

「……間違いない」

 声が掠れた。

「この炉の配置。金床の高さ。道具棚の並び。——儂の曾祖父の鍛冶場と、造りが同じじゃ」

 カイルが壁の記号から視線を戻す。

「それって偶然じゃないんですか? 鍛冶場なんてどこも似たようなもんでしょ」

「馬鹿を言え」

 ガルドの声に、初めて怒気が混じった。だがすぐに首を振り、静かに続ける。

「鍛冶師は炉の配置に魂を込める。師から弟子へ、親から子へ受け継がれるもんじゃ。他人の工房が同じ配置になることは絶対にない」

 革の表紙を開く。中には精緻な図面と、びっしりと書き込まれた文字。ガルドの目が見開かれた。

「星鉄鋼の精錬法じゃ。純度の上げ方、結晶構造の制御、使用者の生命力との同調法——全部書いてある」

 やはり曾祖父はムスケラの技術を受け継いでいたんじゃな。

 その言葉を、ガルドは声に出さなかった。代わりに、革装丁を胸に押し当てた。目を閉じる。厚い胸板が大きく上下している。

 鉄心は何も言わず、ガルドの背中を見ていた。


  ◇


 工房の奥で、ガルドが図面と格闘していた。

 古代文字の解読にリリアーナが駆り出され、渋い顔をしながらも的確に翻訳していく。

「この記号は『導管』……いえ、『回路』ですわね。生命力の流れを制御する溝のことだと思いますわ」

「回路か。なるほどのう……」

 ガルドが新しい羊皮紙に設計図を描き始めた。太い指が、驚くほど繊細な線を引いていく。

「鉄心。お前さんの鋼砕、今のままじゃ練筋の力を受け止めきれん。最深部であの霧を見たじゃろう。次に来る時は、もっと強い拳甲がいる」

「おう。まあ、なんとかなるだろ!」

「なんとかならんから言うとるんじゃ」

 ガルドが設計図を鉄心の前に広げた。

「星鉄鋼の純度を上げて、練筋の光を通す回路を刻む。そうすれば力の制御がしやすくなるはずじゃ。——名前はそうじゃな、『鋼砕・改』とでもしておくか」

「改って。ネーミングセンスがシンプルすぎないか?」

「うるさいわい。名前は後で考えるんじゃ」

 だが声の調子が変わっていた。先ほどまでの感傷が嘘のように、目が爛々と輝いている。職人が新しい仕事を前にした時の、あの顔だ。

「カイル! そこの原石、全部こっちに運べ!」

「全部って——これ一個五十キロくらいありますよ!?」

「四の五の言うな! リリアーナ嬢、翻訳の続き頼むぞい!」

「……あなたの命令口調、鉄心に似てきましたわね」

 リリアーナが溜息をつきながらも、棚から次の書物を取り出す。その手つきに迷いはなかった。

 カイルが原石を運びながら、工房の構造を観察していた。搬入口の幅、通路の配置、天井の通気孔。「ここ、外への搬出路が別にありますね。物資を運び出すならそっちのほうが早いかも」と声を上げる。ガルドが顔を上げ、カイルの指差す方向を見て唸った。「おお、見る目があるのう。確かに荷の搬出にはそっちが向いとる」。鉄心はといえば、一番重い原石を両手に二つずつ抱えて涼しい顔で往復していた。

「お前さんは本当に便利じゃのう……」

「運動不足だったからな。ちょうどいい筋トレだ」

「五十キロの石を筋トレ言うな」


  ◇


 工房の隅で、セレナが壁面に刻まれた古代の図式を指でなぞっていた。

 ムスケラで収集した練筋術の理論データ。古代文字の断片。壁画の模写。それらを脳内で一つずつ結びつけ、体系の輪郭を浮かび上がらせていく。

「……論文にまとめれば、魔法学の歴史が書き換わりますね」

 独り言のつもりだった。だが背後にリリアーナの気配を感じ、振り返る。

「セレナ先生。一つお聞きしてもよろしいかしら」

「なんですか」

「枯死域での経験を通じて……私、考えが変わりましたの」

 リリアーナの碧い瞳に、以前のような尖った光はなかった。

「魔法だけが力ではない。私はそれを体で知りましたわ。だから帰還後、魔法と身体強化の融合について本格的に研究したいのです」

 セレナの目が細くなった。

「……リリアーナさん。あなた、首席の座を捨てることになりますよ。学院では異端と見なされる」

「構いません」

 即答だった。

「——とは言いませんわ。正直、怖いです。でも、あの黒い霧を見た後で、魔法だけに固執するほうがよほど怖い」

 セレナは眼鏡の位置を直し、改めてリリアーナを見据えた。この少女はムスケラに来る前と、明らかに違う。言葉の選び方、声の張り、背筋の角度。全てが変わっている。

「……私も同感です。協力しましょう」

 そう言って壁面に視線を戻した時、セレナの指が止まった。

 壁の窪みに押し込まれていた古い紙片。ムスケラの工房で書物に紛れていたものだ。几帳面な筆跡で書かれた研究メモ——その署名に、見覚えがあった。

 E・G。

 学院の古い学術誌で何度も目にしたイニシャルと同じ筆跡。グリムハルト。学院長ヴァルター・グリムハルトの家名。

 ——偶然、とは思えない。

 セレナは紙片を静かに懐に仕舞った。今は、まだ誰にも言うべきではない。


  ◇


 撤退準備が整ったのは、半日後だった。

 問題は、星鉄鋼の量だった。

「持ちきれん……!」

 ガルドが原石の山の前で頭を抱えていた。工房にあった原石は大小合わせて三十個以上。全て持ち帰れば、拳甲だけでなく鎧も盾も——いや、小さな城すら建てられるかもしれない。

「選ぶんじゃ。選ばねばならん。じゃが、どれも極上の原石で……ああ、この子もあの子も置いていけんのじゃ……!」

「子供扱いするな」

 カイルが呆れつつも、手元の羊皮紙に工房までの経路を書き終えていた。「帰り道の地図、完成しました。次に来る時はこれで迷わないはずです」

 ガルドは唸りながら、原石を一つずつ撫でて品定めしていた。結晶の密度、色の深さ、手に伝わる振動。職人の目と手が、泣く泣く選別を進める。

「この五つ。これだけは絶対に持ち帰るぞい」

 厳選された原石は、どれも鉄心の拳甲との相性が良いものだった。設計図に書いた回路の素材として、最適な五つ。職人としての選択は、感情ではなく技術が決めていた。

「ガルド」

 鉄心が、残された原石の山を見て笑った。

「また来ればいいだろ!」

 ガルドの眉が上がった。

「……お前さん、話が分かるのう!」

 破顔する。太い腕で鉄心の背中をバンバン叩く。鉄心以外なら吹き飛ぶ威力だが、鉄心はびくともしない。

「約束じゃぞ。次は荷車を持ってくるからな!」

「おう! 十台くらい用意しとくか?」

「百台じゃ! 儂の工房を星鉄鋼で埋め尽くしてやるんじゃ!」

 二人の笑い声が、古代の工房に響いた。数千年の沈黙を破る、生きた人間の声。壁に染みついた鉄と炭の記憶が、その声に応えるように揺れた——ように、ガルドには思えた。

 曾祖父も、こうして笑いながら鉄を打っていたのだろうか。

 ガルドは設計図を懐に仕舞い、原石を背負った。ずしりとした重さが、肩に心地よい。

「行くぞい。帰ったら、すぐに鋼砕・改の鍛造に取りかかる」

 一行がムスケラの大通りを歩き始める。来た時よりも荷物が増え、来た時よりも足取りが軽い。

 都市の出口が見えた時、鉄心が足を止めた。

 振り返る。

 巨大な城門が、音もなく閉じていく。古代の歯車が噛み合い、石と鉄の扉がゆっくりと——しかし確実に、隙間を塞いでいく。

 鉄心は目を細めた。

 閉ざされる門の向こうに、最深部へ続く道がある。黒い霧が蠢く、あの場所。

 ——次に来る時は、もっと強くなっていろ。

 そう言われた気がした。

 鉄心の唇が、弧を描く。

「おう。——約束だ」

 城門が閉じきった。

 石と鉄が噛み合う最後の振動が、足の裏から全身を駆け抜ける。

 背を向けて歩き出す。仲間たちの声が前方から聞こえる。

 だが鉄心だけが気づいていた。閉じた城門の向こうから、微かに——本当に微かに、鉄を打つ音が聞こえたことを。
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