【ハズレスキル】鑑定しかない俺がダンジョン配信したら、隠し部屋も罠もボスの弱点も丸見えで世界最速クリアしてしまった件

ポポリーナ

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サードダンジョン1層——鑑定、起動

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 気温が十度は下がったと思う。耳に圧がかかるような静寂が、五月の渋谷の喧騒を一瞬で遮断した。振り返れば、ゲートの向こうに青い空と行き交う人々が見えるのに、こちら側にはもう、別の法則が支配する空間だ。

 冷たい。全身の毛穴が一斉に閉じるのがわかった。腕の産毛が逆立ち、吐く息がかすかに白い。

 深呼吸した。大丈夫だ。ここは1層。初心者向け。パンフレットにも「適切な装備があれば危険度は低い」と書いてある。

 ——適切な装備に「戦闘スキルなし」は含まれていないが。

「えー、皆さん、こんばんは。鑑定士イブキです」

 声が震えていないか確認する。震えていた。少し。

「初のダンジョン配信、ということで。今日は東京第三ダンジョン、サードダンジョンの1層を探索していきます」

 配信画面の視聴者数を確認する。七人。昨日のテスト配信の三人よりはマシだ。コメント欄には一件だけ。

『がんばれ』

 誰だか知らないが、ありがたい。

 足を踏み出した。石畳の通路が、ゲートから真っすぐに地下へ向かって伸びている。壁に埋め込まれた光苔が淡い緑色の光を放ち、松明の代わりに通路を照らしている。足元の石畳は微かに湿っていて、ブーツのソールが石を踏むたびに、ぺちゃりと小さな音がした。

 ダンジョンの匂い。地上にはない、冷たい土と鉱物と、微かに甘い魔素の匂い。

 1層は初心者向けとされる。モンスターの出現率は低く、難易度は最も易しい。それでも——俺のスキルは鑑定のみ。戦闘力はゼロ。魔物に遭遇したら、走るしかない。

 久我山に選んでもらった軽量ブーツが、石畳をしっかりと捉えている。逃げ足が命。その言葉を噛み締めながら、一颯は最初の壁に鑑定をかけた。

『サードダンジョン1層・外壁

 素材構成:魔素含有花崗岩(魔素含有率4.7%)、結晶質石英脈(壁面の12%を占有)

 耐久値:8,400(最大8,500——経年劣化0.1%/年、現在の劣化率1.2%)

 生成年代:ダンジョン初期構築時(推定10年前、全構造物と同一時期に生成)

 構造的弱点:石英脈に沿った節理面(打撃耐性が周囲の23%に低下)

 隣接空間:壁面の奥行き2.3m先に空洞(未探索・用途不明)あり

 備考:光苔は壁面の魔素を栄養源として自律的に発光。光度は魔素密度に比例』

「……おっと」

 思わず声が出た。

「これは、すごいですね」

 視聴者に向かって、一颯は鑑定結果を読み上げ始めた。石壁の素材構成、耐久値、生成年代——一つ一つが、通常の鑑定ではありえない詳細さだ。

「普通の鑑定スキルだと、この壁は『石壁』としか表示されないはずなんですが……素材構成から耐久値、さらに生成年代まで出てますね」

 コメントが動いた。

『マジ? 普通そんな出ないぞ』

『鑑定UIの表示設定いじってる?』

『シロ:鑑定のUI、普通のと全然違いますね』

 シロ。昨日のテスト配信でも見た名前だ。

「いえ、設定はいじってないです。デフォルトのままで……なんでこんなに詳しく出るのか、正直、自分でもわかりません」

 足を進めながら、次々と鑑定をかけていく。床。天井。通路の分岐点。光苔。落ちている小石。

 全てに、同じ密度の情報が表示された。床の石畳一枚にすら、素材構成、加工方法、耐久値、摩耗率が記されている。そして全ての構造物の「生成年代」が、一つの例外もなく同じ時期を示していた。十年前。ダンジョン出現時。

 (全部同時に作られてるのか……? 自然にできたんじゃなくて?)

 疑問は口に出さなかった。まだ確信が持てない。だが、鑑定が「生成年代」と表示している以上——このダンジョンは、天然の洞窟ではない。何者かが、設計し、建造したものだ。

 視聴者数が十一人になっていた。コメントも少しずつ増えている。

『鑑定の情報量えぐくない?』

『普通こんな出ないよな』

『配信者側で情報追加してるとか?』

「全部リアルタイムの鑑定結果ですよ。加工はしてません」

 信じてもらえているかはわからない。だが、嘘をついてもしょうがない。

 通路は緩やかに左に曲がり、少し広い空間に出た。天井が高い。光苔の密度が増して、ここだけ薄い翠色の光に満ちている。

 分岐点だった。左と右に通路が分かれている。

「さて、どっちに行くべきか——」

 両方の通路に鑑定をかける。左は行き止まりまで約三十メートル。右は二層への階段に続いていると表示された。

「左は行き止まり、右が2層への階段ですね。今日は1層を探索するのが目的なので、左に行ってみましょう。行き止まりに何があるのか、鑑定で見てみます」

『行き止まりにわざわざ行くのかよw』

『鑑定配信ならではだな』

 左の通路を進むと、壁面の光苔の色が微妙に変化していた。緑から、わずかに青みがかった色へ。鑑定をかけると、光苔の種類が違うことがわかった。この区域は魔素濃度が周囲より高いらしい。

 (魔素濃度の差が、光苔の種類を変えてるのか。なるほどね)

 行き止まりには特に何もなかったが、壁面の鑑定結果に興味深い記述があった。「構造上の設計変更痕——当初は通路が続いていたが、建築中に閉鎖」。ダンジョンにも設計変更がある。建築途中で仕様が変わったということだ。

 これはますます、天然の洞窟ではない。

 分岐点まで戻り、通路を進む。

 しばらく進むと、通路の雰囲気が変わった。

 光苔が途切れている一角。壁の色がわずかに違う。周囲の花崗岩と比べて、ほんの少しだけ赤みがかっている。見ていなければ気づかないレベルの差だ。

「あの、ちょっと待ってください。ここ——」

 鑑定を起動。

『隠し通路(未発見)

 構造:スライド式石壁(厚さ40cm、重量約2.8トン)

 起動条件:左から3番目の石を押す(押圧10kg以上で起動)

 通路全長:推定47m

 通路先:隠し小部屋(内容物あり)

 設置目的:報酬配置——発見者への褒賞

 備考:現在までの起動回数:0回(未発見状態)

 トラップ:通路内に3箇所の罠あり(詳細は近接鑑定で表示)』

 息が止まった。

「えっ」

 声が裏返る。

「隠し通路、です。この壁の向こうに、隠し通路があるって表示されてます。起動条件は——左から三番目の石を押す」

 コメント欄が動き始めた。

『は?』

『マジで?』

『隠し部屋ってやつ? 1層に?』

『壁の向こうに空間があるって表示されてない?』

『シロ:やっぱり。さっきの壁の鑑定で「隣接空間:空洞あり」って出てたの、これのことですね』

 シロの指摘に、一颯はさっきの鑑定結果を思い出した。確かに「壁面の奥行き2.3m先に空洞」と表示されていた。あの時は気に留めなかったが、シロは見逃さなかった。

「な、なるほど。じゃあ——やってみます、か」

 左から石を数える。一、二、三。三番目の石は、周囲と見た目は変わらない。触れてみる。冷たい。普通の石だ。

 体重を込めて、押した。

 ぎ——、と低い音がした。石が壁の中にめり込む。

 次の瞬間。

 壁全体が、重低音を立てて横にスライドした。

 足裏から振動が突き上げてくる。腹の底に響くような低周波。二千八百キロの石壁が、ゆっくりと、しかし確実に横へ動いている。埃が舞い上がり、光苔の緑の光の中で粒子がきらきらと踊った。十年間、一度も開かれなかった扉。それが今、初めて目覚めた。

「おおっ——」

 一颯の声と、コメント欄の爆発が同時だった。

『うおおおおお!!!』

『マジで開いた!!!』

『鑑定やべえ!!!!』

『隠し通路とか初めて見たんだが』

『1層にこんなのあったのかよ』

『シロ:一万回以上攻略されてる1層に未発見の隠し通路……これは大ニュースですよ』

 視聴者数が動いていた。十五人、二十人、三十人——みるみるうちに増えていく。

 壁が完全に開き、その向こうに暗い通路が姿を現した。

 光苔すらない。完全な暗闇。一颯の配信カメラのライトだけが、石壁の向こうの闇を切り裂いている。壁面に何か文様が刻まれているのが見えた。反射的に鑑定をかける。

『壁面文様

 分類:解読不能——データベース外の言語体系

 刻印方法:魔素エッチング(物理的工具の痕跡なし)

 推定用途:不明』

 データベース外の言語体系。既知のどの文字にも該当しない文様。誰が、何のために。

「壁に文様がありますね。鑑定をかけても『解読不能』と出ます。既知のどの言語でもないそうです」

『それヤバくない?』

『1層に未知の言語って……』

 奥から風が流れてきた。冷たい風ではない。かすかに温く、湿った空気。1層の他の通路とは明らかに異質な気配が、一颯の頬を撫でた。

 視聴者数、五十人突破。

 そして奥の暗闇から——何かが蠢く音が聞こえた。

 低く、重い。石が擦れるような、あるいは何かが這うような音。反響が通路を伝わり、距離感がつかめない。すぐそこかもしれないし、ずっと奥かもしれない。

 肌が粟立った。1層には存在しないはずの、高濃度の魔素反応。空気の密度が変わったように感じる。呼吸が浅くなる。

「……これは」

 一颯は鑑定ウィンドウを見つめた。通路の先から流れてくるデータが、視界を埋め尽くしていく。罠の存在。通路の構造。そして——奥に何かがいるという、鑑定の警告。

 コメント欄が、ひとつの問いに集約されていた。

『この先、行くの?』

 心臓が早い。手も震えている。久我山に買ってもらった装備が、肩にずしりと重い。

 だけど足は止まらなかった。三十二年間、何者にもなれなかった男の足が、なぜか今日は止まらない。

 鑑定しかない俺だからこそ——見えるものがある。他の誰にも見えないものが、この目には映っている。

 一颯は、暗い通路に一歩を踏み出した。
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