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断った男に届く静かな報復
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通知音が鳴り止まない朝だった。
スマホの画面に並ぶ赤いバッジ。メール、SNS、配信プラットフォーム——全てが異常な数の通知を表示している。枕元に転がっていたスマホを取り上げると、画面の光が目に突き刺さった。カーテンの隙間から差し込む朝日が部屋を白く染めている。いつもの朝のはずなのに——空気が、鉄のように冷たい。
通知の山の中に、見慣れないアイコンがあった。配信プラットフォームの公式アカウントからの通知。件名は——『利用規約違反の疑いに関するお知らせ』。
『あなたのアカウントに対し、利用規約第14条(虚偽情報の流布)に基づく一時制限措置を実施いたしました。制限期間中、ライブ配信およびアーカイブの公開が停止されます。詳細な調査の上、12時間以内に結果をお知らせいたします』
虚偽情報の流布。
俺が公開したのは鑑定データだ。鑑定ウィンドウに表示された情報をそのまま配信で映しただけだ。虚偽も何も——鑑定は嘘をつかない。未登録エリアの映像も、設計図の断片も、ダンジョンからのメッセージも——全て生放送で十二万人が目撃した事実だ。
だがプラットフォーム側にとって、情報の真偽は問題ではない。大口スポンサーの意向が問題なのだ。営業マン時代に何度も見てきた構図だ。クライアントが広告費を盾にメディアの編集方針をコントロールする。表向きは「コンプライアンスの観点から」。実際は——金の流れが全てを決める。
鷹取のスカウトを断ったのが三日前。反応が早い。組織的に準備されていた報復だ。
SNSを開いた。俺の名前がトレンド入りしている。
『鑑定士イブキの配信が止められた!?』
『クロノスの圧力か? 許せない!』
『署名活動始めます。配信制限の撤回を求めます』
視聴者が怒っている。コメント欄に溢れる『#鑑定士イブキを返せ』のハッシュタグ。三ヶ月前、視聴者三人のテスト配信から始まった。あの日から十二万人までたどり着いた。その十二万人が今——俺のために声を上げてくれている。
だが怒りだけでは——配信は戻らない。
凛に連絡した。
◇
凛のマンションの一角に設けられたワークスペース。ノートPCが三台並び、デュアルモニターにはターミナルのコードが緑色の文字で流れている。コーヒーの苦い香りが部屋を満たしていた。窓の外は灰色の曇り空。雨が降りそうな重い空気が、ガラス越しに伝わってくる。
「やっぱり」
凛がキーボードを叩く指を止めた。銀縁眼鏡の奥の目が、モニターを睨んでいる。画面には企業の資本関係図が表示されていた。矢印と線が蜘蛛の巣のように複雑に交差するチャート。凛が一晩で作った分析ツールの出力だ。この女は——問題が発生すると、まずコードを書く。
「配信プラットフォームの親会社の第三位株主が——ここ」
凛の指が画面上の一つのノードを指した。企業名の横に赤いラベルが点滅している。
「クロノス・キャピタル・パートナーズ。クロノスギルドの資産運用部門です。直接の支配関係はないですが、広告費の25%がクロノス関連企業から入っている。プラットフォーム側にとっては——逆らえない相手です」
「広告費で首根っこ掴まれてるわけか」
「はい。しかも巧妙なのは、クロノスが直接圧力をかけた形跡がないことです。広告出稿を減らすと匂わせるだけで——プラットフォーム側が自主的に動く構造になっている」
営業マン時代の感覚が蘇る。取引先の機嫌を損ねないために、現場が忖度して動く。上から命令される必要すらない。空気を読んで——自ら従う。日本的な圧力の形だ。
「法的には——」
「合法です」
凛の言葉は冷静だった。だがコーヒーカップを握る手に、微かに力が入っている。
「広告主が出稿先を選ぶのは自由。プラットフォームが規約に基づいて制限をかけるのも自由。どこにも違法性はない。だからこそ——」
「対抗手段がない」
凛が頷いた。コーヒーカップの中身はもう冷めていた。液面に蛍光灯の光が反射して、白く揺れている。
「ただ、一つだけ言えることがあります。制限は十二時間で解除されるはずです。これ以上引き延ばすと、プラットフォーム側にも批判が及ぶ。あくまで警告——ジャブです」
「ジャブの次には——ストレートが来る」
「はい。経済的な圧力。スポンサーの引き上げが来ると思います」
◇
久我山の店『カーゴ』に足を運んだ。
ドアを開けると、革と機械油の匂いが鼻を包む。カウンターの向こうで久我山が装備の手入れをしていた。研磨布が金属面を滑る規則的な音。シャッ、シャッと一定のリズム。薄暗い店内に西日が差し込んで、磨かれた刃物の表面に橙色の光が揺れている。
「配信止められたんだろ」
腰を下ろす前に言われた。
「もう知ってるんですか」
「SNSで騒ぎになってる。お前さんのファンが署名活動とか始めてるぞ。二時間で五千人集まったらしいな」
久我山がコーヒーを出してくれた。いつもの苦いコーヒー。だが今日は——喉を通る時にいつも以上に苦く感じた。胃が重い。朝から何も食べていないことに気づいた。
「久我山さん。昔も——こういうことが、あったんですか」
久我山の手が止まった。研磨布が剣の表面の上で静止する。店内の空気が一瞬で変わった。西日が久我山の火傷の跡を照らしている。十年前の傷だ。
「一人いた」
久我山の声は低く、平坦だった。感情を押し殺しているのではない。十年という時間が——感情を岩のように硬くしたのだ。
「十年前、ダンジョンの内部情報を独自に公開しようとした探索者がいた。名前は言えん。守秘義務がある。だがあいつは——お前さんと同じことをやろうとした。ダンジョンの構造データを、自分のチャンネルで流そうとした」
「どうなったんですか」
「ギルドから除名された。探索者免許の更新を管理局に拒否されて、スポンサーは一社残らず撤退した。メディアには『精神的に不安定な問題探索者』という記事が出回った。最後には——借金だけが残った」
久我山がコーヒーカップを手に取った。ごつい指が白い陶器のカップを包み込む。
「今は——地方の工場で働いてるよ。たまに連絡が来る。元気にやってると。だが——あいつの目から光が消えたのを、俺は知ってる」
沈黙が降りた。研磨布から垂れた油が、カウンターの木目に小さな染みを作った。
「お前さんは——あいつと同じ道を歩くつもりか」
「歩くつもりはないです。でも、やめるつもりもない」
「……そうか」
久我山が俺を見た。火傷の跡がある手がカウンターの上で組まれている。その目に——十年ぶりに、何かが灯った気がした。
「なら——装備の調整を済ませておけ。配信が復活した時、すぐ潜れるように。足回りと防具の点検だ」
久我山がカウンターの下から工具箱を引き出した。中身は探索者用の装備メンテナンスキット。ペンチ、ドライバー、研磨材、魔素計測器。使い込まれた道具の一つ一つに、年季が染みている。
「圧力をかけられている間にできることをやれ。動けなくなったら——終わりだ」
研磨布を手に取り直した。金属音が再び店内に響く。シャッ、シャッ。不器用な男の、不器用な応援の音だ。
◇
制限は凛の予測通り、十二時間で解除された。
プラットフォームからの通知が届いた瞬間、SNSのトレンドに『配信制限解除』が上がった。署名は最終的に一万二千人を超えていた。十二万人の視聴者のうち、一万二千人が動いてくれた。十人に一人。営業マン時代、見積もりを出した顧客が契約に至る確率は二十人に一人だった。それと比べたら——この数字は、温かい。
だが安堵する暇はなかった。
メールの着信音が、立て続けに二つ鳴った。一つ。間を置かず、もう一つ。金属的な通知音が、夜の部屋に冷たく響いた。
差出人は——配信の固定スポンサー企業二社。
一通目。『誠に遺憾ながら、貴殿との広告契約について、今月末をもって契約を終了させていただきたく——』。形式的な文面。法務部が書いたテンプレートだ。営業マン時代に何百回も見た——契約解除通知のフォーマット。
二通目も同じだった。日付も同じ。文面もほぼ同じ。判を押したように——いや、実際に判を押したのだろう。同じ指示を受けて、同じタイミングで送っている。
凛が言った「ストレート」が来た。
窓の外のネオンが、夜の東京を彩っている。赤、青、緑。華やかな光の洪水。その光が——スマホの画面に滲んでいた。いや、滲んでいるのは光ではない。
固定スポンサー二社の月額収入を足すと、装備の消耗費と通信費がちょうど賄える額だった。それがゼロになる。視聴者からの投げ銭だけでは——到底足りない。
鷹取の手際を、営業マンの目で分析した。殴らない。蹴らない。血も流さない。ただ経済的に、社会的に、合法的に——首を絞めてくる。法律の内側で。ルールの範囲内で。笑顔のまま。温和な声で。「君のような才能が野良でいるのはもったいない」——あの声が耳の奥で反響している。
スマホを枕元に置いた。画面の光が消え、部屋が暗くなった。冷蔵庫の唸り声だけが聞こえる。
リストラされた夜と同じ音だ。あの夜もこの音を聞きながら、天井を見つめていた。あの時は——何もかもを失った夜だった。今夜は——何かを守るために、何かを失おうとしている夜だ。
明日からどうする。計算は既に頭の中で終わっている。収入は半減以下。固定費を引いたら赤字だ。装備の消耗品。配信機材の維持費。家賃。食費。数字が——冷酷な審判を下している。
だが今の俺には、リストラされた日の俺にはなかったものがある。失いたくないものがある。
配信を。仲間を。十二万人を。
だからこそ——この圧力は、あの日よりもずっと、深く効いている。
天井の染みを見つめながら、鷹取の声を反芻した。穏やかで、温和で、余裕のある声。「君のような才能が野良でいるのはもったいない」。あの言葉の裏にあったのは——こういうことだ。従わないなら、潰す。
目を閉じた。暗闇の中で、ダンジョンの壁に浮かんだ金色の文字が脳裏をよぎった。
『歓迎する、読み手よ』
読み手は——まだ、ここにいる。
スマホの画面に並ぶ赤いバッジ。メール、SNS、配信プラットフォーム——全てが異常な数の通知を表示している。枕元に転がっていたスマホを取り上げると、画面の光が目に突き刺さった。カーテンの隙間から差し込む朝日が部屋を白く染めている。いつもの朝のはずなのに——空気が、鉄のように冷たい。
通知の山の中に、見慣れないアイコンがあった。配信プラットフォームの公式アカウントからの通知。件名は——『利用規約違反の疑いに関するお知らせ』。
『あなたのアカウントに対し、利用規約第14条(虚偽情報の流布)に基づく一時制限措置を実施いたしました。制限期間中、ライブ配信およびアーカイブの公開が停止されます。詳細な調査の上、12時間以内に結果をお知らせいたします』
虚偽情報の流布。
俺が公開したのは鑑定データだ。鑑定ウィンドウに表示された情報をそのまま配信で映しただけだ。虚偽も何も——鑑定は嘘をつかない。未登録エリアの映像も、設計図の断片も、ダンジョンからのメッセージも——全て生放送で十二万人が目撃した事実だ。
だがプラットフォーム側にとって、情報の真偽は問題ではない。大口スポンサーの意向が問題なのだ。営業マン時代に何度も見てきた構図だ。クライアントが広告費を盾にメディアの編集方針をコントロールする。表向きは「コンプライアンスの観点から」。実際は——金の流れが全てを決める。
鷹取のスカウトを断ったのが三日前。反応が早い。組織的に準備されていた報復だ。
SNSを開いた。俺の名前がトレンド入りしている。
『鑑定士イブキの配信が止められた!?』
『クロノスの圧力か? 許せない!』
『署名活動始めます。配信制限の撤回を求めます』
視聴者が怒っている。コメント欄に溢れる『#鑑定士イブキを返せ』のハッシュタグ。三ヶ月前、視聴者三人のテスト配信から始まった。あの日から十二万人までたどり着いた。その十二万人が今——俺のために声を上げてくれている。
だが怒りだけでは——配信は戻らない。
凛に連絡した。
◇
凛のマンションの一角に設けられたワークスペース。ノートPCが三台並び、デュアルモニターにはターミナルのコードが緑色の文字で流れている。コーヒーの苦い香りが部屋を満たしていた。窓の外は灰色の曇り空。雨が降りそうな重い空気が、ガラス越しに伝わってくる。
「やっぱり」
凛がキーボードを叩く指を止めた。銀縁眼鏡の奥の目が、モニターを睨んでいる。画面には企業の資本関係図が表示されていた。矢印と線が蜘蛛の巣のように複雑に交差するチャート。凛が一晩で作った分析ツールの出力だ。この女は——問題が発生すると、まずコードを書く。
「配信プラットフォームの親会社の第三位株主が——ここ」
凛の指が画面上の一つのノードを指した。企業名の横に赤いラベルが点滅している。
「クロノス・キャピタル・パートナーズ。クロノスギルドの資産運用部門です。直接の支配関係はないですが、広告費の25%がクロノス関連企業から入っている。プラットフォーム側にとっては——逆らえない相手です」
「広告費で首根っこ掴まれてるわけか」
「はい。しかも巧妙なのは、クロノスが直接圧力をかけた形跡がないことです。広告出稿を減らすと匂わせるだけで——プラットフォーム側が自主的に動く構造になっている」
営業マン時代の感覚が蘇る。取引先の機嫌を損ねないために、現場が忖度して動く。上から命令される必要すらない。空気を読んで——自ら従う。日本的な圧力の形だ。
「法的には——」
「合法です」
凛の言葉は冷静だった。だがコーヒーカップを握る手に、微かに力が入っている。
「広告主が出稿先を選ぶのは自由。プラットフォームが規約に基づいて制限をかけるのも自由。どこにも違法性はない。だからこそ——」
「対抗手段がない」
凛が頷いた。コーヒーカップの中身はもう冷めていた。液面に蛍光灯の光が反射して、白く揺れている。
「ただ、一つだけ言えることがあります。制限は十二時間で解除されるはずです。これ以上引き延ばすと、プラットフォーム側にも批判が及ぶ。あくまで警告——ジャブです」
「ジャブの次には——ストレートが来る」
「はい。経済的な圧力。スポンサーの引き上げが来ると思います」
◇
久我山の店『カーゴ』に足を運んだ。
ドアを開けると、革と機械油の匂いが鼻を包む。カウンターの向こうで久我山が装備の手入れをしていた。研磨布が金属面を滑る規則的な音。シャッ、シャッと一定のリズム。薄暗い店内に西日が差し込んで、磨かれた刃物の表面に橙色の光が揺れている。
「配信止められたんだろ」
腰を下ろす前に言われた。
「もう知ってるんですか」
「SNSで騒ぎになってる。お前さんのファンが署名活動とか始めてるぞ。二時間で五千人集まったらしいな」
久我山がコーヒーを出してくれた。いつもの苦いコーヒー。だが今日は——喉を通る時にいつも以上に苦く感じた。胃が重い。朝から何も食べていないことに気づいた。
「久我山さん。昔も——こういうことが、あったんですか」
久我山の手が止まった。研磨布が剣の表面の上で静止する。店内の空気が一瞬で変わった。西日が久我山の火傷の跡を照らしている。十年前の傷だ。
「一人いた」
久我山の声は低く、平坦だった。感情を押し殺しているのではない。十年という時間が——感情を岩のように硬くしたのだ。
「十年前、ダンジョンの内部情報を独自に公開しようとした探索者がいた。名前は言えん。守秘義務がある。だがあいつは——お前さんと同じことをやろうとした。ダンジョンの構造データを、自分のチャンネルで流そうとした」
「どうなったんですか」
「ギルドから除名された。探索者免許の更新を管理局に拒否されて、スポンサーは一社残らず撤退した。メディアには『精神的に不安定な問題探索者』という記事が出回った。最後には——借金だけが残った」
久我山がコーヒーカップを手に取った。ごつい指が白い陶器のカップを包み込む。
「今は——地方の工場で働いてるよ。たまに連絡が来る。元気にやってると。だが——あいつの目から光が消えたのを、俺は知ってる」
沈黙が降りた。研磨布から垂れた油が、カウンターの木目に小さな染みを作った。
「お前さんは——あいつと同じ道を歩くつもりか」
「歩くつもりはないです。でも、やめるつもりもない」
「……そうか」
久我山が俺を見た。火傷の跡がある手がカウンターの上で組まれている。その目に——十年ぶりに、何かが灯った気がした。
「なら——装備の調整を済ませておけ。配信が復活した時、すぐ潜れるように。足回りと防具の点検だ」
久我山がカウンターの下から工具箱を引き出した。中身は探索者用の装備メンテナンスキット。ペンチ、ドライバー、研磨材、魔素計測器。使い込まれた道具の一つ一つに、年季が染みている。
「圧力をかけられている間にできることをやれ。動けなくなったら——終わりだ」
研磨布を手に取り直した。金属音が再び店内に響く。シャッ、シャッ。不器用な男の、不器用な応援の音だ。
◇
制限は凛の予測通り、十二時間で解除された。
プラットフォームからの通知が届いた瞬間、SNSのトレンドに『配信制限解除』が上がった。署名は最終的に一万二千人を超えていた。十二万人の視聴者のうち、一万二千人が動いてくれた。十人に一人。営業マン時代、見積もりを出した顧客が契約に至る確率は二十人に一人だった。それと比べたら——この数字は、温かい。
だが安堵する暇はなかった。
メールの着信音が、立て続けに二つ鳴った。一つ。間を置かず、もう一つ。金属的な通知音が、夜の部屋に冷たく響いた。
差出人は——配信の固定スポンサー企業二社。
一通目。『誠に遺憾ながら、貴殿との広告契約について、今月末をもって契約を終了させていただきたく——』。形式的な文面。法務部が書いたテンプレートだ。営業マン時代に何百回も見た——契約解除通知のフォーマット。
二通目も同じだった。日付も同じ。文面もほぼ同じ。判を押したように——いや、実際に判を押したのだろう。同じ指示を受けて、同じタイミングで送っている。
凛が言った「ストレート」が来た。
窓の外のネオンが、夜の東京を彩っている。赤、青、緑。華やかな光の洪水。その光が——スマホの画面に滲んでいた。いや、滲んでいるのは光ではない。
固定スポンサー二社の月額収入を足すと、装備の消耗費と通信費がちょうど賄える額だった。それがゼロになる。視聴者からの投げ銭だけでは——到底足りない。
鷹取の手際を、営業マンの目で分析した。殴らない。蹴らない。血も流さない。ただ経済的に、社会的に、合法的に——首を絞めてくる。法律の内側で。ルールの範囲内で。笑顔のまま。温和な声で。「君のような才能が野良でいるのはもったいない」——あの声が耳の奥で反響している。
スマホを枕元に置いた。画面の光が消え、部屋が暗くなった。冷蔵庫の唸り声だけが聞こえる。
リストラされた夜と同じ音だ。あの夜もこの音を聞きながら、天井を見つめていた。あの時は——何もかもを失った夜だった。今夜は——何かを守るために、何かを失おうとしている夜だ。
明日からどうする。計算は既に頭の中で終わっている。収入は半減以下。固定費を引いたら赤字だ。装備の消耗品。配信機材の維持費。家賃。食費。数字が——冷酷な審判を下している。
だが今の俺には、リストラされた日の俺にはなかったものがある。失いたくないものがある。
配信を。仲間を。十二万人を。
だからこそ——この圧力は、あの日よりもずっと、深く効いている。
天井の染みを見つめながら、鷹取の声を反芻した。穏やかで、温和で、余裕のある声。「君のような才能が野良でいるのはもったいない」。あの言葉の裏にあったのは——こういうことだ。従わないなら、潰す。
目を閉じた。暗闇の中で、ダンジョンの壁に浮かんだ金色の文字が脳裏をよぎった。
『歓迎する、読み手よ』
読み手は——まだ、ここにいる。
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