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第2章

Are You Gonna Go My Way

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「俺は、てっきりドラムがいると思っていたんだが」

青野(あおの)俊樹(としき)が言った。

隣の裕太が背筋を伸ばす。

坊主頭に鋭い目つき。

身体はそこまで大きくないが、相手に威圧感を与えるには十分な見た目だ。

おまけに声も低いし、言葉は少ない。

裕太が緊張するのも仕方ないだろう。

古びたスタジオの待合室には、薄っすらとタバコのニオイが漂っていた。

「い、今何人か候補がいるんだ」

「俺も知らないぞそれ」

裕太が俺の足を蹴る。なぜか裕太が睨んできた。

裕太と俊樹のライブを見に行ったのが昨日だった。

複数の大学によるプログレのコピーバンドが出演するライブだった。

裕太の知り合いの知り合いだという俊樹は、イエスのコピーバンドをやっていた。

『ラウンド・アバウト』でのベースは見事だった。

メロディアスに、けれどキーボードの邪魔をせずにバンドのリズムを支える。

一曲での緩急の付け方が抜群だった。

俺も俊樹のベースをすぐに気に入った。

ライブ前に声をかけようとしたが、とても話しかけられる雰囲気ではなかった。

床に敷いたマットの上で腕立て伏せのような格好をしていた。

よく見ると足が宙に浮き、手だけで全身を支えている。

彼の友人曰く、ライブ前はいつもヨガをやっているそうだ。

「変人のトーダイセイって噂はほんとうだったんだな」

裕太が言った。トーダイセイとは日本で一番頭の良い大学に通う大学生のことらしい。

変人だからトーダイセイなのか、トーダイセイが変人なのか、人間の言うことは相変わらずよくわからない。

ライブ後に話した感じでは、変人だとは思わなかった。

ただひたすら無口で、亀のような男だと感じた。

R2優勝のためにバンドメンバーを探していると伝えると、初めて興味を示した。

「もしかして、こないだ合同ライブでニルヴァーナやってたのってお前らなのか?」

俊樹はその場にいなかったが、至るところで俺たちのことが噂になっているらしい。

俺たちが肯定すると、一緒に演奏してみようということになった。

そして現在に至る。

裕太が渋谷のスタジオを予約してくれたのだが、どうやら俊樹はベーシスト以外のメンバーは揃っていると思っていたようだ。

「とりあえず合わせてみようぜ。それでダメだと思ったら帰っていいから」

俊樹が黙って頷く。

怒っているのかと思ったが、無愛想なだけのようだ。

時間になったので、部屋に向かう。

Bスタジオは一番小さな部屋で、俺たちが入っただけでいっぱいになってしまった。

スタジオと言われて、昔のロックバンドが演奏していたスタジオを想像していたので、あまりの狭さに驚いた。

「スタジオも初めてなのか?」

二人とも、俺の反応に驚いている。

「皆がすごい奴がいるって言ってたけど、何者なんだ?」俊樹が裕太に尋ねた。

「俺もよくわかってない」

俊樹が俺に聞いてきた。

「バンド経験は?」「ない」
「弾ける楽器は?」「ない」
「曲作りもない?」「ない」

俊樹は左手の親指と人差し指で、まぶたをもんだ。

「で、でも、歌うとすげえんだ」裕太のフォローが虚しく聞こえる。

俊樹はベースを出さず、「とりあえず二人の演奏が見たい」と言った。

要望に応え、裕太と二人で『スメルズ・ライク・ティーン・スピリット』を演奏する。

こないだも演奏したが、ベースとドラムがないせいか、ボールの上に乗っているような危うさがあった。

俺はまだマシだったが、とくに裕太がガチガチだった。

それはたぶん、俊樹があまりにも無表情で俺たちを見ているからだろう。

顎に手を置いてじっとこちらを見つめている様子は、まるで科学者が実験を観察しているようだ。

「どうだったかな」裕太が子犬のような目で俊樹を見る。

俊樹は「おもしろい」と呟いた。

「二人とも、感情型の歌い手とギタリストだってことはわかったよ」

「感情型?」

「自分の今の気持ちやテンションが演奏にそのまま出るタイプの人間。テンションが上がるとすごいところまでいくけど、逆にテンション低かったりコンディションが悪かったりするとボロボロになる」

俊樹の指摘に、裕太とまた顔を見合わせた。

なるほど、そんなこと考えたことなかった。

俊樹がベースを取り出し、チューニングを始める。

「一回、俺のベースと合わせてみよう」

「合わせてくれるのか!」

「俺に見られてると、緊張するだろ。それなら一緒にやった方が面白そうだ」

再び『スメルズ・ライク・ティーン・スピリット』を演奏する。

先ほどとは比べ物にもならないくらい、安定感が増す。

狭い部屋の中を小さな渦がぐるぐると回り始める。

曲を終えると、裕太も俊樹も、満足げな顔をしていた。

その後は、各々好きなバンドの曲を演奏した。

しばらくすると、スタジオ内の明かりがピカピカと点滅し始めた。

これは時間だから帰る準備をしろという意味なのだそうだ。

「次はドラム探しだな」

俊樹の言葉に、裕太と顔を見合わせハイタッチをした。


裕太と俊樹、それぞれ良さげなドラマー候補があるということがわかった。

さっそく連絡を取り、予定が合う候補から一緒にスタジオに入ることにした。

二週間後、俺はガタガタと揺れる窓から空を見ていた。

雨は降っていないが、雲が溜め込んだ雨粒を今にも放り出しそうな気配があった。

テレビからは、台風が今夜にも関東に上陸すると告げる天気予報士の声が流れている。

二月に発生した台風が猛烈な勢力になるのは、一九七七年以来、四三年ぶりらしい。

「不要不急の外出は控えるように」と言うアナウンサーの言うことを聞いているのか、休日の昼時だと言うのに、ホワイトの店内は俺たち以外、誰もいなかった。

有り難く、唯一のテーブル席に居座らせてもらう。

強風が吹いたのか、建物がぐらりと揺れる。

「ヤバい。この家、吹っ飛んだらどうしよう」

裕太が窓の外を見ながら言った。

「ちょうどいいじゃないか。家が潰れたら保険金で新しい家を建て直せばいい」

俊樹が言った。

俺の隣に座ってコーヒーを飲んでいる。

片付けを済ませたさくらが裕太の隣に座って、エプロンを外し始めた。

もう営業する気はないらしい。

「そんな簡単に言わないでくださいよ。それよりドラム、まだ決まらないの?」

さくらの問いかけに俺は両手を上げてみせる。お手上げのポーズだ。

ドラマー候補は三人いた。

それぞれ裕太と俊樹の知り合いで、三者三様だった。

一人目はドラムの腕前は中の下だったが、とにかくいい奴だった。

俺たちとすぐに打ち解け、俊樹ですらにやけさせるユーモアも持っていた。

人柄だけで言えば、抜群の人物だ。

二人目はドラムの腕前はまあまあだったが、一緒にいる間ひたすらスマホのゲームをしていた。

話しかけてもろくに返事もしない。

全員一致で却下だった。

三人目のドラマーの腕前は特別良いというわけではなかったが三人の中では一番良かった。

しかし、一緒に演奏すると何だかしっくりこない。

何が悪い、と言葉では言い表せない。

だが人間性も演奏の腕前も悪くはないのに、一緒に演奏すると噛み合わない。

これが、人間の言葉で言う直感というやつなのだろうか。

しっくりしていないのは、裕太と俊樹も同様だった。

俺たちは開店前からずっとドラムをどうするか話し合っていた。

しかし未だに結論は出ない。

いや、最初から結論は決まっているのだ。

「別のドラムを探そう」

俺の言葉に、裕太はため息をついた。

「最初からやり直しかぁ」

「誰か候補いるの?」さくらが言った。

「知り合いのドラマーは何人かいるけど、黒田についていけるやつがなぁ」

「なんだよ、俺についていくくらい大したことないだろ」

「大したことあるって。それより口の周り、ケチャップまみれだぞ」

さくらが紙ナプキンをくれた。

受け取るときに少しだけ指が触れる。

さくらを見ると、さくらも俺を見ていた。

さくらは一瞬、戸惑ったような表情を浮かべてから、口角を少しだけ上げた。

心なしか頬が赤い気がする。

その顔を見ていると、こちらまで頬が緩む。

紙くずが飛んでくるので、目を向けると裕太がこちら見ていた。

早く拭けと言いたげにこちらを見ているので、慌てて口を拭いた。

「何の話しだっけ」

「ドラム候補。俊樹はどう?」

俊樹は答えなかった。

腕を組んで、ひたすら黙っている。

先ほどからずっとこの調子だ。何かを言おうか迷っている様子だった。

「実は、最適な人間が一人いる」

俊樹の言葉に、俺も裕太も身を乗り出す。

喜ぶ俺たちとは裏腹に、俊樹は顎に手を置いて何事か思案している様子だった。

「何か問題があるのか?」裕太が尋ねる。

俊樹はそれが聞こえているのかいないのか、宙を見つめ、一人何かを呟いていた。

「味方につけて……休みの日……課題……」という言葉がわずかに聞き取れる。

裕太はぽかんとした顔で俊樹を見つめ、さくらは気まずそうに水を飲んでいた。

突然、俊樹は立ち上がって言った。

「よし、今から彼の家に行こう」

話しについていけない俺たちを取り残し、俊樹は裕太にギターを持っていくよう指示する。

裕太の準備ができると、さくらに短く礼を言って、風が吹き荒れるドアの外へと出ていった。

俺と裕太は戸惑いながらも、俊樹の後を追った。

「台風来てるんだから、気をつけてね」

背後からさくらの声がする。

振り返ると、ドア越しに顔を覗かせていた。

俺と目が合うと、小さな笑みを浮かべ、手を振ってくる。

手を振り返していると、後ろから頭を叩かれた。

振り返ると、裕太が俺にギターの機材を押し付けてきた。

重いから持てという。

いつもは自分で持っているくせにと思いながら、仕方なくそれを手に取り、駅に向かった。
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