【完結】暴虎馮河伝 〜続編あり〜

知己

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第一章

『人虎(四)』

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 凰華オウカが道場に着いたのは陽が落ちる寸前だった。

「父さん。今戻ったわ。心当たりを回ってみたけど松二ショウジはどこにも見当たらなかったわ」

 しかし桐仁トウジンの返事はなく、部屋にもいない。もう見回りに行ってしまったのだろうか。家の外に出てみると、なんと道場の広場に桐仁がうつ伏せに倒れているのが眼に入った。

「父さん! どうしたの⁉︎ 大丈夫⁉︎」

 駆け寄って助け起こしてみると、桐仁は呼吸荒く胸を押さえていた。外傷は無いようだが、昨日にも増して顔色が悪い。

「お……凰華。よく戻った。大事な話がある」

 絞り出すように言うと桐仁は激しく咳き込んだ。口元を覆った手のひらには黒ずんだ血が見える。

「父さん! 血が!」
「お前が二十歳になった時に伝えるつもりだったが、時間がない。俺は胸を病んでいる。どうやらそこまで保たんようだ……」
「そんな……嘘でしょ……?」
「いいか凰華、落ち着いて聞け。お前は……」
「待ってて父さん! 今お医者さんを呼んでくるから!」

 立ち上がって駆け出そうとする凰華の腕を桐仁が掴んだ。

「いいから聞け! お前は十七年前───」

 その時、裏門から一人の男が入ってきた。

「松二! あんた無事だったのね!」

 凰華が振り返ると、そこに立っていたのは松二であった。その顔には生気が感じられず、なんの表情も浮かんでいない。だが、凰華の姿を認めると松二の顔が突如として歪み、口が耳まで裂けた。

「見つけたぞ……!」
「凰華! そいつから離れろ!」

 桐仁は掴んでいた凰華の腕を引き、自分の背に引き倒した。倒れた凰華が眼を開けると、飛び込んできたのは真っ赤な腕である。その腕は桐仁の胸を貫き鮮血にまみれていた。
 呆然とする凰華の足元に、ゆっくりと桐仁の身体が倒れ込む。

「父さん……?」

 凰華は桐仁の肩を揺するが、その眼は固く閉じられ二度と開くことはなかった。

「昨夜、おめえを見た時から喰いたくて喰いたくてたまらなくてよお。こいつをあの後とっ捕まえて、おめえの居場所を聞いたんだよ。やっぱり喰うなら若い女に限るぜ。若くても男は肉が硬くっていけねえ」

 松二はそう言うと自らの顔を掴み、バリバリと皮を引っ張りだす。なんとその下から現れたのは虎の頭である。だが、凰華は呆然としたままで眼にも耳にも何も入っていないようで、依然として動かない桐仁の身体を揺すっている。

「ゲヘヘ、親父が目の前で殺されておかしくなっちまったか」
「うああああああああッ!」

 突如、凰華が叫びだし人虎の胸を連打した。しかし人虎は意に介さず凰華の両腕を掴んで宙吊りにする。

「イキのいい女だ。今、頭から食ってやるぜ」

 目の前で人虎の口が凰華の頭より大きく開き出す。その間も蹴りを何度も人虎の腹に叩き込むが全く効果が無い。今まさに人虎の口に飲み込まれようかというところだった。人虎の後方の上空から白い何かが飛んで来るのが見えた。

 (──────流星……?)

 それは凄まじい速さで人虎の後頭部に直撃すると、爆音と共に周囲に砂埃が巻き起こり、反動を受けて凰華は数丈も吹っ飛ばされた。十数秒後、徐々に砂埃が晴れてくると、うつ伏せに倒れた人虎の背中を踏みつけている人影が見えた。

「よお、またおめえか。大丈夫かよ」

 それは拓飛タクヒであった。だが砂埃が完全に晴れると凰華は絶句した。

 人虎の後頭部を押さえつけているその左腕は、指先から肘の手前まで白い虎柄の獣毛に覆われていたのである。まるで白虎の腕を継ぎ合わされたようだ。桐仁が言っていたように拓飛は普通の人間ではないのだろうか。

 思わず凰華は桐仁の亡骸に目をやった。拓飛もその視線を追い、桐仁の死に気づいたようだ。

「……おっさん、死んじまったのか」
「て……てめえ、なんで俺の居場所がことごとく分かりやがる…グガッ!」

 なんとか背中の拓飛を跳ね除けるようとした人虎だったが、頭を拓飛の左腕に地面にめり込まされおとなしくなった。

「悪いな。鼻が利くってのは嘘だ。この忌々しい左腕が、おめえらバケモンの居場所を教えてくれんだよ」
「ひ……左腕だと?」

 その時、人虎の尻尾が意思を持ったように動き出し拓飛の後頭部へ向かって槍のように伸びた。

「危ない!」

 凰華が叫ぶと同時に拓飛は振り向きもせず右手で尻尾を掴む。

「おっと危ねえ。クセの悪い尻尾だな」

 拓飛は言いながら尻尾を根本からブチッと引っこ抜くと、左腕に更に力を込めた。メキメキと嫌な音が、離れた凰華の耳にも聞こえて来る。

「待て! 何でも言うことを聞く! だから命だけは助けてくれ! 頼む!」
「昨日も言ったように俺が訊くことに答えろ。俺が聞きてえことを知ってんなら見逃してやる。けど答え方には気を付けろよ。嘘をついてると思ったら殺す。俺がイラッとしても殺す。分かったな?」
「分かった! 何でも答えるから助けてくれ!」
「よおーし。妖怪の中には元々人間だった奴もいるって話しだが、てめえはどうなんだ?」
「俺たちみてえな半チクな妖怪は大体が元は人間だ。俺もそうだ!」

 拓飛の表情からは、その心情は読み取れない。

「続けろよ」
「俺は元々盗みから殺しまで何でもやる悪党だったんだ。柳葉刀のって言やあ、ちったあ名が通ってたんだぜ。それが二十年くらい前だったな。突然こんな身体になっちまったのさ」
「前ぶれもなく一気に人虎になったのか?」
「ああ、そうだ。まあ捕り手に手配されちまって捕まりゃ死罪の身だったんで、俺としちゃ都合が良かったがな。この身体のおかげで今まで好き放題やってこれた。ゲハハハハ」

 過去の悪行を思い起こして興奮しているのか、人虎は耳障りな笑い声を立てた。

「おめえの仲間で人間の身体に戻った奴ってのはいるのか?」
「へっ。不便なのは陽の光に弱くなっちまったぐらいなもんさ。なんの修行もせずに人間を紙クズみてえに殺せるんだぜ? こんな便利な身体を捨てようなんて奴はいねえよ」
「それじゃあ、人間に戻る方法は知らねえんだな?」
「人間に戻る方法? 知らねえな。知りたくもねえ」

 そこまで聞くと拓飛は押し黙って眼を閉じた。そして、その目が再び開かれた時、赤みが強まっているように凰華には見えた。

「……分かった。質問は終わりだ」
「ぐ? がが……。おい……? 質問には答えたぜ! 嘘もついてねえぞ!」

 あのメキメキという嫌な音が再び聞こえだし、人虎は手足を必死にばたつかせる。

「言ったろ。イラッとしても殺すってな」
「ま……待て……何が気に障っ……!」

 聞いたこともない音と共に人虎の身体は動かなくなり、周囲には風の音だけが流れる。

「おめえはおっさんを殺した」

 拓飛は低く呟いた。


 すっかり陽は落ち、辺りは真っ暗になっていた。凰華は桐仁の亡骸の側に座りこみ、うつむいたまま動かない。反対側には拓飛が立っている。その左腕は人間のものに戻っていた。

「この人は……」

 不意に凰華が口を開いた。

「この人は頑固で不器用で口下手だった。実の娘にも病気のことを言わないなんてバカよ。……でも男手一つで育ててくれた父親の異変に気づかなかったあたしが一番のバカね」
「武術家ってのはそんなもんだろ。自分の弱みを他人に知られるワケにはいかねえ」
「でも! あたしには教えてほしかった!」

 顔を上げた凰華の眼には光るものがあった。

「父親ってのは余計に娘に弱えとこは見せたくねえんじゃねえか。知らねえけどな」

 拓飛は頭をかきながら、ぶっきらぼうに答える。

「手を合わせた俺はなんとなく気づいてたけどよ。おっさんが万全な状態だったら、俺ももうちょい手こずったろうし、あんなケチな妖怪にやられることは無かっただろうぜ」
「うん……。ありがとう」

 そう言うと凰華は涙を拭い、桐仁の亡骸を担ぎ出す。

「墓を掘るんなら手伝ってやってもいいぜ」
「ありがとう。でも、この人はあたしの手で葬ってあげたいの。今日はもう遅いわ。良かったら今夜は家に泊まっていって」
「お……おう」

 当初は断るつもりだったが、抗いがたい雰囲気に拓飛は思わず応じてしまった。



 翌朝、道場の裏手に桐仁は葬られた。墓の前で凰華はひざまずいて熱心に祈る。

「それじゃあ、行ってきます。父さん、安らかに眠ってください」
「お、どっか行くのか。じゃあ、俺もそろそろ行くとすっか。もう会うこともねえだろうが、まあ元気でやれや」

 拓飛は正門に向かって歩き出す。

「待って。あたしもついて行くわ」
「あ?」

 拓飛が驚いて振り返ると、凰華は立ち上がって、

「あたしに内功を教えて欲しいの。だから、あなたについて行く」

 その眼は真っすぐで、冗談を言っているようには見えない。

「なに言ってんだ、おめえ?」
「父さんには止められたけど、やっぱりあたしは妖怪退治をしたい。もうこんな思いを誰にもしてほしくない。妖怪に苦しめられている人達を助けてあげたいの」
「そりゃあ立派だがな。なんで俺なんだ? おめえも昨日見ただろ。俺の左腕をよ!」

 拓飛は威嚇するように左腕を凰華の目の前に突き出した。

「もちろんタダでとは言わないわ」

 凰華は迷わず拓飛の手を掴むと、

「あなたはこの腕を治したいんでしょ? あたしも治療法を探すのを手伝うわ。だから代わりに内功を教えて!」

 突如、拓飛の顔が真っ赤になり、その腕にはブツブツが一つ一つと浮かび上がってきた。それは急激に増えていって、瞬く間に首や顔にまで広がった。拓飛は凰華の手を払うと全身を必死に搔きむしり始める。その姿を見て、凰華はハッと気づいた。

「それって蕁麻疹? あ……あなた、もしかして女が嫌いなんじゃなくて、苦手なだけなんじゃ……」
「うるせえ! これだから女は嫌えなんだよ!」

 全身を掻きむしりながら拓飛は叫んだ。

  (第二章へ続く)
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