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第四章
『斉天大聖(三)』
しおりを挟む余裕たっぷりな表情の拓飛だったが、その実、内心は穏やかではなかった。
(この野郎、俺の得意技をあっさり外してくれやがって……! 次は手加減しねえ)
「…………」
斉天大聖は無言で向き直ると、次の瞬間、飛ぶように間合いを詰めて来た。両腕から繰り出される技は猿猴拳だ。
猿猴拳はその名の通り猿の動きを模した象形拳である。動物の動きを取り入れるというのは、多くの門派で行われており、この技自体も珍しい物ではない。
だが、斉天大聖の猿猴拳は通常の型から微妙に外れており、素早い動きも相まって、繰り出される技は変幻自在、拓飛も受けに回るばかりで反撃ができない。数手受ける内に胸に掌打を受けてしまった。拓飛は衝撃に逆らわず後方へ跳躍して距離を取る。
(チッ、この野郎なんつうクセ技だ。予測がつかねえ)
打たれた胸の内側から鈍い痛みが走る。ゴロツキの振るうなまくら刀をへし折る拓飛の硬氣功だが、斉天大聖の攻撃には傷を受けた。
(おまけに技の一つ一つにしっかり氣が込められてやがる。このまま受けに回ってばかりじゃ、ちっとマジいな)
拓飛は呼吸を整えると、腕を大きく広げ構えを変えた。
「てめえが猴で来るなら、俺は虎で行くぜ!」
叫ぶなり拓飛は前屈みで地を這うように斉天大聖に襲いかかった。その五指は曲げられ、虎の爪を模した形に変わっている。
これは虎形拳という拳法で、少しでも拳法をかじった者なら誰でも知っているありふれた技である。しかし型通りなのは掌の形だけで、拓飛の虎形拳も型破りで予測がつかない。
対手が先程までの正統派の武術家から、いきなり荒々しい野生の虎に変わったようで、今度は斉天大聖が受けに回った。
(へへっ、面喰らってやがるな。動きが鈍ってるぜ!)
飽きっぽく気性の荒い性格の拓飛だったが、武術に関しては基本に忠実でクセが無く、実直である。しかし、習った武術の内に十二ある象形拳は性に合わず覚えようとしなかった。かろうじて虎の名を冠した虎形拳だけは気に入り、数手だけは覚えていたのであった。
「オラァッ!」
気合いと共に拓飛の虎爪が唸りを上げる。斉天大聖は両腕で受けるが、その破壊力を抑えきれずに壁際まで吹き飛ばされた。
「おおっ! いいぞ! 賊めは弱っておる! もう一息じゃ!」
張豊貴が親指を立てて喚き立てるが、拓飛は相手にせず斉天大聖から眼を逸らさない。
「オラ来いよ、大して効いてねえのは分かってんだぜ」
「……」
斉天大聖は無言のままゆっくりと立ち上がると、じっと拓飛の顔を見つめるが、仮面の下の表情は窺い知れない。
数秒の沈黙の後、斉天大聖が突如、サッと袖を振るった。何か小さな物が拓飛の胸に向かって飛来する。一瞬、暗器の類かと身構えたが、どうやら紙つぶてのようだ。何か書かれているように見えて、拓飛は左手で受け止めた。
この一瞬の隙を斉天大聖は見逃さなかった。拓飛が紙つぶてを受け止めた時にはすでに近くの窓から外へ飛び出していた。
「あっ、てめ待て、この野郎!」
慌てて拓飛は続いて窓から飛び出すが、斉天大聖の姿はどこにも見当たらない。拓飛は歯がみして全身に氣を巡らすが、思うように丹田から氣が湧いて来ず、気が付けば全身に疲労感を感じる。
「……チッ。ここに来る前に調子に乗って氣を使い過ぎちまったか」
氣を落ち着けると左手の紙つぶてを思い出した。以前、師父から似たような紙つぶてを投げられ、無警戒に開いてみると痺れ粉が飛び出したものだ。湧き上がる怒りを抑えて、警戒しながらゆっくりと紙を開くと拓飛の顔から笑みが漏れる。
「ヘヘッ、そうこなくっちゃな」
その時、張豊貴の屋敷の方から男たちの荒々しい声と共に、聴き慣れた女の叫び声が聞こえて来た。
「だから! あたしは賊じゃないですってば! 白髪で目つきと口が悪い男の仲間なんです!」
拓飛は頭を掻きながら呟いた。
「そういやアイツのことを忘れてたな」
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