キツネつきのお殿さま

唯純 楽

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はたらきもののお殿さま

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「殿、楠村でここのところ病人が相次いでいるようです。風邪のような症状ですが、高熱がでることもあり、子供が罹ると重くなるようです」

「そうか。子供が苦しむのは気の毒だな。他の村に飛び火しても大変だ。奥医師に何人かの医師を派遣するよう命ずる」

「ありがとうございます」

「殿、山吹村の水路が先の嵐で一部壊れているようです。田植えに間に合わないと農民たちが心配していると報告が」

「即刻修繕するように。勘定奉行、そなたに差配を任せる」

「はっ! 承知つかまつりました」

「殿、城下の寺子屋ですが、子供で溢れかえって座る場所もないくらい繁盛しているとのこと。混雑しているところはいっそ文字通り近隣の寺社に場所を借りてはどうかと……」

「候補はあるのか?」

「これに」

「うむ……妥当なところだろう。これを基に、寺子屋の師匠らに意見を聞くように」

「さっそく一両日中に意見を取りまとめ、改めてご報告申し上げまする」

「殿、ご政務とは関りがないことですが、めでたいことなのでぜひお耳に入れたく……」

「めでたいことならば、ぜひとも聞きたい」

「銀杏村で妊婦が一度に十人も産気づき、八十を超えた産婆さんばが三日三晩寝ずの働きをしたおかげで、赤子も母親もみな無事にお産を終えたとのことです」

「見上げた産婆魂だな。ぜひとも長生きしてもらわねば困る。精のつくものでも贈ってやることにしよう」

「殿。先日、昨年の大嵐で被害を受けた桐野村を視察に参った際に、年貢の先延ばしをお許しいただいた上、年越しのための品々までお気遣いいただいたことに対し、村人一同からの感謝を綴った手紙を預かって参りました。村人たちの家も冬になる前に修繕を終えられたおかげで、みな元気に春を迎え、田植えの準備も万端とのことです」

「そうか、それはよかった。手紙は後でしかと読もう」

 照葉城てりはじょうの大広間で、次から次へと入れ替わり立ち替わりやって来る役人たちの話を聞き、決裁を下し、時には調査を命じていると、あっという間に一日が過ぎる。厠へ行くのも一苦労の忙しさだ。

 一国一城の主ともなれば、日がな一日遊び暮らしているというような夢のような殿様暮らしが本には書かれているようだが、自由気儘に城を抜け出したり、城の女中とそこかしこで戯れたりする暇など、一切ない。
 大体が、顔を合わせるのはむさくるしい男ばかりだ。

潤いが足りないと思うものの、女子を好いたことも好かれたこともない。

 興味がないわけではないが、自分の容姿が女子どころか人に好かれるものではないと知っているので、積極的になれないし、なるつもりもない。

 髪も瞳も黒一色というのが当たり前の照葉の国で、秋弦の容貌は異形そのものだった。
金茶色の髪と瞳に白い肌。着流しを纏えば女子のようにも見えるひょろりとした細身の体は、がっしりした色黒の男が好まれる照葉の国では男色を疑われる。

 秋弦にそちらの気はなく、二十歳の健康な男子らしく女子の身体に興味はあっても、照葉の国に住む者は、どんなに秋弦のことが嫌いでも、殿様の命令や望みには逆らえない。

 そうとわかっていて、軽々しく誰かを見初めることなどできなかった。

 世継ぎを設けるのは現当主の義務と重々承知しているが、いざとなれば弟がいる。世継ぎには弟の子供を据えればいい。
 今のところ、政略結婚を考えるほど諸外国との関係が緊迫しているわけでもない。無理して他に縁を求めれば、かえって争いの種を招き入れることになるだろう。

 それに……心の安らぎを得られぬ嫁をもらうよりも、ひとりでいる方がよっぽど幸福な人生を送れるのではないかと思わなくもない。

「――本日の謁見は以上でございます」

 最後の一人が退出し、取次役が告げるのを聞いて、大広間の上段から下りた秋弦は、ふと視線を感じて首を巡らせ、下段の隅に控えていた祐筆の若者が慌てて俯くのを見た。

 見覚えのないその若者は、近々役目を辞する者の後任だった。
 秋弦の姿を間近に見て驚かない者のほうが珍しいので、咎めるつもりはまったくないが、まったく気にせずにいられるほど強くもなりきれない。 

 ――男にすら避けられる容姿が、女に好かれるとは思えない。

 二十歳の秋弦は、おひとり様街道をまっしぐらに進んでいた。
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