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一 宇都美真の受難
宇都美真くん。元生徒会長命令よ。
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ウツミ高等学校の門を潜る瞬間、真のテンションは急降下する。腹が痛くなって頭が痛くなって帰りたくなるのだ。今すぐ降り電車に乗りたいったら乗りたいのである。
湿気に閉じ込められた様々なにおいをなぞりながら二階にある二年三組のドアを開く。クラスの大半は既に登校していた。真の席はこれまた最悪なことに教室の中心部にあるので人々と机の間を縫ってなんとか席に辿り着く。ようやっとの思いで腰を下ろせばニマニマと意地の悪い笑みを浮かべたマッシュルームヘアの男が横から話しかけてきた。
「よぉ真。課題は終わったか?」
「うるさいな。終わってると思ってるならお前は馬鹿だ」
「馬鹿は金曜日まで再提出祭り一人で開催してる真じゃねーの?」
からかいを含んだ口調だ。椅子を前後に揺らすたびに彼の黒髪がふわふわ揺れている。それっぽくシャツのボタンを開け、それっぽい時計を身につけていることからわかる通り、それっぽい雰囲気の男である。
「みつはいーよな。それなりに頭が良い」
「珍しいな真が褒めるなんて」
「だから課題頼む」
「うわこいつマジ馬鹿じゃねーの」
右手を軽やかに振って「それはねーよ」と笑う。黒髪も否定を強調するべく揺れてしまった。
みつ。黒鉄みつる。真の中学生来の悪友である。
二人が出会ったのは真夏の屋上であった。当時、まだ成績も上位でこの世の全てを悟ったかのような気持ちを携えていた真は、非日常感に飢えていた。授業中に窓枠からテロリストが侵入してくる妄想からアメコミヒーローの如く日本を救う英雄譚まで厨二病らしい妄想を網羅してしまうくらいには。
そして幸か不幸か、みつも同じ人種であった。厨二病を拗らせた二人が出会ったら痛々しさは百割マシになる。仲間を得たことによる最強無敵感から屋上で授業をサボる優等生のオレを実行してしまうのも致し方ないといえた。
さすがに高校生になれば表面にあふれていた厨二病は内側に潜り込ますことを覚える。みつは勉学、運動、容姿、どれをとってもそれなりの男に。真は厨二病を内に潜ませたは良いが体内で暴発し、取り返しのつかなくなった留年間近の馬鹿となった。
無造作に置いた草臥れたリュックを机の横にかけつつ、話題はみつのクラブ活動へと移る。
「そいやさー、俺、もう吹部やめてーんよね」
高一の初め、新歓で吹奏楽部の演奏に一目惚れした勢いで入った彼の姿が鮮やかに蘇り目眩がする。素早く瞬きをすることで視界は彩度を正しく持ち直す。あの時の勢いとみつの瞳の輝きようといったら、まるで命よりうつくしいものにであったかのようであった。しかし今は真意の読み取れぬ瞳で真を見つめ、質量の軽い言葉を一粒一粒連ねていっているではないか。
今の今までそんな素振りを見せず、放課後になれば楽しそうに音楽室に向かっていたのだ。昨日だってそう。みつが辞めようとするまで追い詰められていたのに一切気づかなかった自分に嫌気がさし、同時に課題なんてもので喚き散らす自分を恥じる。
真の表情があからさまに曇る。みつはなんて事もないように笑った。湿り気のない、心地の良い声。
「そんな顔すんなよ。ただ、人間関係ごたつき始めたり色々して面倒なんよな。俺揉め事したくて吹部入ったんじゃねーし」
それ以上は話したくないようだった。みつが濁した部分をつまびらかにして友として傷みに寄り添ってやりたいと思う反面、それを望んでいないみつの気持ちも理解できる。結果、真は何も言わずにみつの肩を叩いた。強すぎず弱すぎず、労いとして丁度良い強さを意識する。
「お疲れ様。僕は結構好きだったよ。みつのホルモン」
高一の時に行った演奏会でホルンに生命のすべてを吹き込むみつの姿。生命の産声が音となって会場を満たしていく。アレは多分、みつが本当にホルンを愛していたからだ。愛ゆえの音だ。
目の縁に一筆水を塗ったような表情のみつが瞬きをして、破顔した。
「ホルンだっつーの、馬鹿やろーう」
「ああそう。ホルンでもホルモンでも僕には変わらないね」
「そーかよそーかよ」
話している内に始業のチャイムが鳴った。教室が一気に鎮まり、それにならって真もみつの方に寄らせていた席を自分の机に戻す。そう時間の経たぬうちに廊下を歩く音が聞こえてきた。今日は何か小テストがあっただろうか。ふと今の今まで忘れていた事情が浮かび上がる。周りを見ると恐ろしいことにほとんどの人が単語帳を開いていた。先ほどまで話していたみつでさえも。
困った。これは先週もやったやらかしだ。金曜日の英単語テストは疲労と気の緩みからどうしたって忘れてしまう。これじゃ猫型ロボットも呆れてお手上げだ。
立て付けの悪い教室の前扉が開く音が響いた。生徒が一斉にそちらを向く。しかし真にはそんな余裕はなかった。リュックの中から必死の思いで単語帳を取り出し、単語帳に挟んでおいたテスト日程と範囲のリストを見て、該当ページに辿り着くべく素早くページを捲ってく。
静寂の中、教壇へと歩む人の気配があった。ところが静寂は徐々に戸惑いを含むものに変容する。いつもならすぐに挨拶する先生が挨拶しない。けれど真にはその理由を確認するほどの余裕がないのだ。一秒たりとも単語帳から目を離す事なく次から次へと単語を脳に刻んでいく。
ふと目の前に人の気配がした。絶対におかしい。先生からは感じることのない、甘い花の香りが鼻をかすめる。真の意識は単語帳から離れていきついに目の前の人影を捉える。
そこには女がいた。燃え上がる炎のような髪を腰まで伸ばし、毛先を緩く巻いたそれを黒いリボンでハーフアップにしている。胸から腰。そして脚のラインまでが完璧だ。紺色のセーラー服という何とも地味なウツミ高等学校の制服を見事に着こなしている。柔らかな印象の輪郭とは対照的に眉はきつい角度で折れ曲がり、紅で染めたような瞳は細められ、真のみをうつしている。
「宇都美真くんよね。あなた、堕落倶楽部に入りなさい。これは元生徒会長命令よ」
元生徒会長にそんな権利あるのか。そんなとぼけた疑問を浮かべながら、真はただ、毅然とした態度で立つ元生徒会長改め紅杏を見ていた。
湿気に閉じ込められた様々なにおいをなぞりながら二階にある二年三組のドアを開く。クラスの大半は既に登校していた。真の席はこれまた最悪なことに教室の中心部にあるので人々と机の間を縫ってなんとか席に辿り着く。ようやっとの思いで腰を下ろせばニマニマと意地の悪い笑みを浮かべたマッシュルームヘアの男が横から話しかけてきた。
「よぉ真。課題は終わったか?」
「うるさいな。終わってると思ってるならお前は馬鹿だ」
「馬鹿は金曜日まで再提出祭り一人で開催してる真じゃねーの?」
からかいを含んだ口調だ。椅子を前後に揺らすたびに彼の黒髪がふわふわ揺れている。それっぽくシャツのボタンを開け、それっぽい時計を身につけていることからわかる通り、それっぽい雰囲気の男である。
「みつはいーよな。それなりに頭が良い」
「珍しいな真が褒めるなんて」
「だから課題頼む」
「うわこいつマジ馬鹿じゃねーの」
右手を軽やかに振って「それはねーよ」と笑う。黒髪も否定を強調するべく揺れてしまった。
みつ。黒鉄みつる。真の中学生来の悪友である。
二人が出会ったのは真夏の屋上であった。当時、まだ成績も上位でこの世の全てを悟ったかのような気持ちを携えていた真は、非日常感に飢えていた。授業中に窓枠からテロリストが侵入してくる妄想からアメコミヒーローの如く日本を救う英雄譚まで厨二病らしい妄想を網羅してしまうくらいには。
そして幸か不幸か、みつも同じ人種であった。厨二病を拗らせた二人が出会ったら痛々しさは百割マシになる。仲間を得たことによる最強無敵感から屋上で授業をサボる優等生のオレを実行してしまうのも致し方ないといえた。
さすがに高校生になれば表面にあふれていた厨二病は内側に潜り込ますことを覚える。みつは勉学、運動、容姿、どれをとってもそれなりの男に。真は厨二病を内に潜ませたは良いが体内で暴発し、取り返しのつかなくなった留年間近の馬鹿となった。
無造作に置いた草臥れたリュックを机の横にかけつつ、話題はみつのクラブ活動へと移る。
「そいやさー、俺、もう吹部やめてーんよね」
高一の初め、新歓で吹奏楽部の演奏に一目惚れした勢いで入った彼の姿が鮮やかに蘇り目眩がする。素早く瞬きをすることで視界は彩度を正しく持ち直す。あの時の勢いとみつの瞳の輝きようといったら、まるで命よりうつくしいものにであったかのようであった。しかし今は真意の読み取れぬ瞳で真を見つめ、質量の軽い言葉を一粒一粒連ねていっているではないか。
今の今までそんな素振りを見せず、放課後になれば楽しそうに音楽室に向かっていたのだ。昨日だってそう。みつが辞めようとするまで追い詰められていたのに一切気づかなかった自分に嫌気がさし、同時に課題なんてもので喚き散らす自分を恥じる。
真の表情があからさまに曇る。みつはなんて事もないように笑った。湿り気のない、心地の良い声。
「そんな顔すんなよ。ただ、人間関係ごたつき始めたり色々して面倒なんよな。俺揉め事したくて吹部入ったんじゃねーし」
それ以上は話したくないようだった。みつが濁した部分をつまびらかにして友として傷みに寄り添ってやりたいと思う反面、それを望んでいないみつの気持ちも理解できる。結果、真は何も言わずにみつの肩を叩いた。強すぎず弱すぎず、労いとして丁度良い強さを意識する。
「お疲れ様。僕は結構好きだったよ。みつのホルモン」
高一の時に行った演奏会でホルンに生命のすべてを吹き込むみつの姿。生命の産声が音となって会場を満たしていく。アレは多分、みつが本当にホルンを愛していたからだ。愛ゆえの音だ。
目の縁に一筆水を塗ったような表情のみつが瞬きをして、破顔した。
「ホルンだっつーの、馬鹿やろーう」
「ああそう。ホルンでもホルモンでも僕には変わらないね」
「そーかよそーかよ」
話している内に始業のチャイムが鳴った。教室が一気に鎮まり、それにならって真もみつの方に寄らせていた席を自分の机に戻す。そう時間の経たぬうちに廊下を歩く音が聞こえてきた。今日は何か小テストがあっただろうか。ふと今の今まで忘れていた事情が浮かび上がる。周りを見ると恐ろしいことにほとんどの人が単語帳を開いていた。先ほどまで話していたみつでさえも。
困った。これは先週もやったやらかしだ。金曜日の英単語テストは疲労と気の緩みからどうしたって忘れてしまう。これじゃ猫型ロボットも呆れてお手上げだ。
立て付けの悪い教室の前扉が開く音が響いた。生徒が一斉にそちらを向く。しかし真にはそんな余裕はなかった。リュックの中から必死の思いで単語帳を取り出し、単語帳に挟んでおいたテスト日程と範囲のリストを見て、該当ページに辿り着くべく素早くページを捲ってく。
静寂の中、教壇へと歩む人の気配があった。ところが静寂は徐々に戸惑いを含むものに変容する。いつもならすぐに挨拶する先生が挨拶しない。けれど真にはその理由を確認するほどの余裕がないのだ。一秒たりとも単語帳から目を離す事なく次から次へと単語を脳に刻んでいく。
ふと目の前に人の気配がした。絶対におかしい。先生からは感じることのない、甘い花の香りが鼻をかすめる。真の意識は単語帳から離れていきついに目の前の人影を捉える。
そこには女がいた。燃え上がる炎のような髪を腰まで伸ばし、毛先を緩く巻いたそれを黒いリボンでハーフアップにしている。胸から腰。そして脚のラインまでが完璧だ。紺色のセーラー服という何とも地味なウツミ高等学校の制服を見事に着こなしている。柔らかな印象の輪郭とは対照的に眉はきつい角度で折れ曲がり、紅で染めたような瞳は細められ、真のみをうつしている。
「宇都美真くんよね。あなた、堕落倶楽部に入りなさい。これは元生徒会長命令よ」
元生徒会長にそんな権利あるのか。そんなとぼけた疑問を浮かべながら、真はただ、毅然とした態度で立つ元生徒会長改め紅杏を見ていた。
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