絶対的寛容のシュプレヒコール

財前法一

文字の大きさ
4 / 6

脱落者

しおりを挟む
 三枝が消えた朝、私は初めて「名簿」というものの危うさを知った。
 再教育センターの受講者リストから、彼の名前は消えていた。空白もない。単に“存在しなかったこと”にされていた。

 誰も彼のことを話題にしなかった。いや、できなかった。
 「彼」という主語を出すだけで、共感官にログが通報される。

 “共感不能者の影響を拡散する行為”は第二級共感障害と見なされる。

 そう、端末のポップアップには書かれていた。


 私が再び元の生活に戻った日のこと。
 オフィスでは誰もが表面上、笑顔だった。共感ワッペンを貼り、定期的に「あなたの意見に完全に賛成します」と言い合う。朝の挨拶の代わりだ。

 けれど、気づく者は気づいていた。
 “減っている”のだ。人が、徐々に。

 名前が名簿から消え、空いた席に誰も座らなくなり、やがて記録そのものが塗りつぶされる。
 「Aさんって最近見ませんね」などという言葉を口にすれば、言った本人が“次のAさん”になる。

 存在の喪失が、伝染病のように静かに広がっていた。


 月に一度、共感センターから送られてくる通知がある。
 “社会適合ランキング”だ。

 共感値、共鳴率、相互理解指標、共感頻度。
 そのすべてが数値化され、職場で壁に貼り出される。

 私はいつも中位にいた。上でも下でもない。それが、生き延びるためのベストポジションだった。

 しかしその月、下位2位に名前が載っている男がいた。

 藤井。

 無口で、目立たず、共感の返答がワンテンポ遅い男だった。

 「……そうですね」と言うまでの一拍が、“共感の逡巡”と解釈される。

 彼はある日、昼休みに唐突に私に話しかけてきた。

 「君、再教育に行ったことあるだろ?」

 私は身を強張らせた。

 「え? いや……その話は……」
 「安心しろ。俺も行ったことがある。俺は……落ちた」

 “落ちた”。その言葉に、思わず辺りを見回した。

 「よく戻れましたね……」

 藤井は笑った。いや、笑ったような気がした。

 「俺はギリギリ、“社会保護枠”で残された。つまり、“完全には共感できないが、まだ危険ではない”と判定されたってわけだ」

 「危険……?」

 「そう。共感できない人間は、暴力性の予備軍とされる」

 藤井の話は続いた。

 「以前、俺の隣にいたやつがいた。名前は——まあ、今となっては言えないが」
 「彼は、“理解しすぎた”んだ」

 「……は?」

 「彼は、全員の発言に即座に共感し、内容も引用しながら同調した。“君の痛みはわかる、なぜなら僕もかつて……”とかね。完全すぎる共感。けれど、それが“人工的すぎる”とみなされたんだ」

 「え、逆に?」

 「そう。“機械的な共感”は、“操作の可能性”とみなされる。つまり、本心ではない共感。それは、“欺瞞”であり、“排除の偽装”だと判断された」

 私は思わず、額を押さえた。
 つまり、共感しなければ排除。共感しすぎても排除。“適度な共感”という絶妙なバランスだけが、生存の鍵になる。

 それは、感情の話ではなかった。運動神経の話だった。

 数日後、藤井は消えた。
 デスクには何も残されておらず、記録もなかった。

 だが一枚、彼のロッカーの中から手書きのメモが見つかった。もちろん、それもすぐに“削除対象”とされたが、私はちらりと目にした。

 > 「本当に共感している奴なんて、いない。
 > ただ、“共感しているように見える演技”を、
 > 全員が互いに監視し合っているだけだ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

身体交換

廣瀬純七
SF
大富豪の老人の男性と若い女性が身体を交換する話

リアルメイドドール

廣瀬純七
SF
リアルなメイドドールが届いた西山健太の不思議な共同生活の話

ボディチェンジウォッチ

廣瀬純七
SF
体を交換できる腕時計で体を交換する男女の話

リボーン&リライフ

廣瀬純七
SF
性別を変えて過去に戻って人生をやり直す男の話

処理中です...