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脱落者
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三枝が消えた朝、私は初めて「名簿」というものの危うさを知った。
再教育センターの受講者リストから、彼の名前は消えていた。空白もない。単に“存在しなかったこと”にされていた。
誰も彼のことを話題にしなかった。いや、できなかった。
「彼」という主語を出すだけで、共感官にログが通報される。
“共感不能者の影響を拡散する行為”は第二級共感障害と見なされる。
そう、端末のポップアップには書かれていた。
私が再び元の生活に戻った日のこと。
オフィスでは誰もが表面上、笑顔だった。共感ワッペンを貼り、定期的に「あなたの意見に完全に賛成します」と言い合う。朝の挨拶の代わりだ。
けれど、気づく者は気づいていた。
“減っている”のだ。人が、徐々に。
名前が名簿から消え、空いた席に誰も座らなくなり、やがて記録そのものが塗りつぶされる。
「Aさんって最近見ませんね」などという言葉を口にすれば、言った本人が“次のAさん”になる。
存在の喪失が、伝染病のように静かに広がっていた。
月に一度、共感センターから送られてくる通知がある。
“社会適合ランキング”だ。
共感値、共鳴率、相互理解指標、共感頻度。
そのすべてが数値化され、職場で壁に貼り出される。
私はいつも中位にいた。上でも下でもない。それが、生き延びるためのベストポジションだった。
しかしその月、下位2位に名前が載っている男がいた。
藤井。
無口で、目立たず、共感の返答がワンテンポ遅い男だった。
「……そうですね」と言うまでの一拍が、“共感の逡巡”と解釈される。
彼はある日、昼休みに唐突に私に話しかけてきた。
「君、再教育に行ったことあるだろ?」
私は身を強張らせた。
「え? いや……その話は……」
「安心しろ。俺も行ったことがある。俺は……落ちた」
“落ちた”。その言葉に、思わず辺りを見回した。
「よく戻れましたね……」
藤井は笑った。いや、笑ったような気がした。
「俺はギリギリ、“社会保護枠”で残された。つまり、“完全には共感できないが、まだ危険ではない”と判定されたってわけだ」
「危険……?」
「そう。共感できない人間は、暴力性の予備軍とされる」
藤井の話は続いた。
「以前、俺の隣にいたやつがいた。名前は——まあ、今となっては言えないが」
「彼は、“理解しすぎた”んだ」
「……は?」
「彼は、全員の発言に即座に共感し、内容も引用しながら同調した。“君の痛みはわかる、なぜなら僕もかつて……”とかね。完全すぎる共感。けれど、それが“人工的すぎる”とみなされたんだ」
「え、逆に?」
「そう。“機械的な共感”は、“操作の可能性”とみなされる。つまり、本心ではない共感。それは、“欺瞞”であり、“排除の偽装”だと判断された」
私は思わず、額を押さえた。
つまり、共感しなければ排除。共感しすぎても排除。“適度な共感”という絶妙なバランスだけが、生存の鍵になる。
それは、感情の話ではなかった。運動神経の話だった。
数日後、藤井は消えた。
デスクには何も残されておらず、記録もなかった。
だが一枚、彼のロッカーの中から手書きのメモが見つかった。もちろん、それもすぐに“削除対象”とされたが、私はちらりと目にした。
> 「本当に共感している奴なんて、いない。
> ただ、“共感しているように見える演技”を、
> 全員が互いに監視し合っているだけだ」
再教育センターの受講者リストから、彼の名前は消えていた。空白もない。単に“存在しなかったこと”にされていた。
誰も彼のことを話題にしなかった。いや、できなかった。
「彼」という主語を出すだけで、共感官にログが通報される。
“共感不能者の影響を拡散する行為”は第二級共感障害と見なされる。
そう、端末のポップアップには書かれていた。
私が再び元の生活に戻った日のこと。
オフィスでは誰もが表面上、笑顔だった。共感ワッペンを貼り、定期的に「あなたの意見に完全に賛成します」と言い合う。朝の挨拶の代わりだ。
けれど、気づく者は気づいていた。
“減っている”のだ。人が、徐々に。
名前が名簿から消え、空いた席に誰も座らなくなり、やがて記録そのものが塗りつぶされる。
「Aさんって最近見ませんね」などという言葉を口にすれば、言った本人が“次のAさん”になる。
存在の喪失が、伝染病のように静かに広がっていた。
月に一度、共感センターから送られてくる通知がある。
“社会適合ランキング”だ。
共感値、共鳴率、相互理解指標、共感頻度。
そのすべてが数値化され、職場で壁に貼り出される。
私はいつも中位にいた。上でも下でもない。それが、生き延びるためのベストポジションだった。
しかしその月、下位2位に名前が載っている男がいた。
藤井。
無口で、目立たず、共感の返答がワンテンポ遅い男だった。
「……そうですね」と言うまでの一拍が、“共感の逡巡”と解釈される。
彼はある日、昼休みに唐突に私に話しかけてきた。
「君、再教育に行ったことあるだろ?」
私は身を強張らせた。
「え? いや……その話は……」
「安心しろ。俺も行ったことがある。俺は……落ちた」
“落ちた”。その言葉に、思わず辺りを見回した。
「よく戻れましたね……」
藤井は笑った。いや、笑ったような気がした。
「俺はギリギリ、“社会保護枠”で残された。つまり、“完全には共感できないが、まだ危険ではない”と判定されたってわけだ」
「危険……?」
「そう。共感できない人間は、暴力性の予備軍とされる」
藤井の話は続いた。
「以前、俺の隣にいたやつがいた。名前は——まあ、今となっては言えないが」
「彼は、“理解しすぎた”んだ」
「……は?」
「彼は、全員の発言に即座に共感し、内容も引用しながら同調した。“君の痛みはわかる、なぜなら僕もかつて……”とかね。完全すぎる共感。けれど、それが“人工的すぎる”とみなされたんだ」
「え、逆に?」
「そう。“機械的な共感”は、“操作の可能性”とみなされる。つまり、本心ではない共感。それは、“欺瞞”であり、“排除の偽装”だと判断された」
私は思わず、額を押さえた。
つまり、共感しなければ排除。共感しすぎても排除。“適度な共感”という絶妙なバランスだけが、生存の鍵になる。
それは、感情の話ではなかった。運動神経の話だった。
数日後、藤井は消えた。
デスクには何も残されておらず、記録もなかった。
だが一枚、彼のロッカーの中から手書きのメモが見つかった。もちろん、それもすぐに“削除対象”とされたが、私はちらりと目にした。
> 「本当に共感している奴なんて、いない。
> ただ、“共感しているように見える演技”を、
> 全員が互いに監視し合っているだけだ」
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