チェイサーキャットは夜に嗤う

ふらっぐ

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The fang of wolf

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人はそれを、悪しきと言う。
しかしそうなる運命を、それが果たして望んだだろうか?
 
 思えば、その言葉をはじめて聞いたのは、いつのことだったか。ひどく昔だったようなきもするし、つい昨日のことのようにも思える。

「狼という動物を、知っていますか?」

 そう、その人は聞いた。

 十代もはじまったばかりの頃に暮らしていた、あの孤児院でのことだ。その人の名前は、忘れてしまった。ただ皆に先生、先生と慕われていたのはよく覚えている。

「毛皮をまとっていて、鋭い牙を持ち、群れで狩りをする動物です」

「先生、それは犬じゃないんですか?」

 確か自分は、そう聞いた気がする。

「うーん、犬とよく似た動物ではあります。実際、犬の祖先のようなものらしいですからね。ただ、彼らは犬ほど優しくはありません。人には慣れず、彼らは彼らの掟の元に生きる。そのためか、人間からは、悪いイメージを持たれていたようです。文明が興る以前には、悪魔とも関連付けられていたようですから」

 正直、その頃の自分には、はっきりとしたイメージがつかめなかった。元々すでに存在しない動物になっていたわけだし、悪魔もなにも、その頃にはただ漠然と悪いもの、としてしかイメージなどできなかったのだ。

 だから、先生が次に言った言葉など、理解のしようもなかった。

「でもね、私は、彼らが自分たちは人間からは悪者に見えるということを、知っていたんじゃないかと思うんですよ。自分は悪者だと知っていながら、自分に課した掟のみに従って生きる。それが時に悲しくて、彼らは慟哭に任せて、吼えるのではないか、と」

 だがその言葉は、理解できないながら、どこか自分の心のどこかに、まるで幼い頃に集めていた、自分だけの宝物のように、残っていた。

 それが少しだけ理解できたのは、妹が、死んだ……いや、殺されたとき。

 暗い満月の夜だった。雲が明るいはずだった月を朧に隠し、かじかむような冷たい空気に満ちた、恐らく生涯、忘れることのできないであろう、満月の夜。

 今となってはまるで夢幻の向こうのような記憶しかない、荒野の真ん中で。

 そこにいたのは、見上げてもその顔を仰ぎ見ることがやっとのような、巨躯を誇るヴィクティムだった。涙と闇に紛れてはいたが、そのひどく色のない表情は、焼印で焼き付けたかのように、今もまぶたの裏を熱く、じくじくと苛んでいる。

 後で知ることになるが、そのヴィクティムこそが、エデンを統べる存在だった。

 そいつは、抱えていた妹を、どさりと、冷たい地面に放り捨てた。あの愛らしかった瞳が、死んだ魚のように変わり果てて、自分を見た。

「残念だったな。その少女は、適応できなかったようだ」

 そのたった一言を残し、まるで妹の死など、取るに足らない瑣末なできごとのように、そのヴィクティムは去った。

「アイカ……! アイカぁぁぁ……!」

 無力な自分に、煮えたぎる溶岩のような怒りを覚えた。すべての歯をみずからの歯軋りでへし折りそうなほどに食いしばり、拳を己の腕力自身で砕きそうなほどに、きつく握りしめた。

 そして、理解した。

「う……」

 先生の言っていた、慟哭に任せて、吼えるということの意味を。

「おおおおおおおおおおおああぁぁぁぁぁぁあぁあ!!」

 だから自分は、その時まで負っていた自分の名前を、捨てた。

 そして、新たな名を背負った。

 仇を討つという、みずからに課した掟のためなら、人から悪魔と恐れられようとかまわぬ。ただ己の掟を遂行するための牙となれれば、それでいい。

 だから自分は、その頃からそう名乗ることにした。

 狼の牙……ロウガと。



 
 目の前の少女は、ひどく不思議そうに、彼――――ロウガを、を見た。感情の色の薄い、どこか空虚にも見えるその瞳は、あの日の妹のそれと、よく似ていた。

 それがロウガの心を揺さぶっていることに、彼女は気づくはずもないだろう。

「……ファースト・ワンの少女よ。あの娘は、どうした」

 思わず、ロウガはその少女――――ミナに、尋ねていた。少女はいよいよもって不思議そうに彼を見返すばかりだったが、実際、その言葉を不思議に思っているのは、彼も同じだった。

 ――――自分は、何を、この少女を気遣うようなことを言っているのか。確かにこの少女は妹とよく似てはいるが、所詮はただの手段にすぎない。復讐を果たすために利用するだけのものにすぎないというのに。

「……まあいい。こちらにとっては好都合だ。ともに来てもらおう。その力、我らハウリング・ウルフが使わせてもらう」

 だが、その言葉に、少女の瞳が険しく変わった。

「……やだ。ミナ、あなたとは、行かない」

 その瞳は、以前、ここから連れ出した時に見た、無を体現するかのようなそれとは違っていた。そこには、確かに明確な意思の光が見て取れた。そこいらにいるような人間よりも、はるかに強い意志を持った、光が。

「……ほう。なぜだ?」

「ミナ、あなたが思っているような兵器、違う。助けてくれたのうれしいけど、ミナ、あなたのモノじゃない」

 じりっ、と。少女がかすかに後ずさりながら身構えた。この少女がファースト・ワンとして覚醒し始めていることは、ミザリィから報告を受けている。

 無意識のうちに唇を噛みしめながら、ロウガは己の得物に手をかけた。
「……お前の意思など、関係ない。俺は、お前の力をもって、俺の掟を果たすだけだ。それが嫌だと言うなら……抗って見せるがいい」

 鋭く、ロウガはカタナに付着したクリーチャーの血を振り払う。どこか心の底に残る、水の底に溜まった泥のようなわだかまりを、切り捨てるように。

「安心しろ。ケガをさせるつもりはない。貴様の力を使うのに、それが十分に発揮できないのでは困るのでな。だが……多少の痛みは覚悟しておけ」

 ロウガのその言葉に、いよいよもって少女のその瞳が明確な敵意を帯びた。その、かすかに震える手には、因子抑制剤のアンプルが握られている。

「……フン、そういうことか」

 ロウガのその言葉に、少女もこちらがそれを見て取ったことに気づいたか、アンプルをかばうようにそれを持った手を背中へと回す。

「……ミナ、おねえちゃんのために……あなたには負けない」

「あの娘のために……か」

 ならば。自分は、死んだ妹のために。

 その言葉を口にしかけ、だがロウガはそれを飲み込んだ。自分は、狼。誰にも理解されずともいい。だから、余計な情念を生んでしまいそうな言葉など、必要ない。

「よかろう。意思をもって戦いに望むなら、お前を幼き娘とは認識せん。我が道に立ちふさがる、障害と識覚しよう。悪魔が立ちふさがるならば悪魔を斬る。神が邪魔をするなら神を斬る。誰にも、俺の歩む道の邪魔はさせん……!」

 今まで、どこかその姿に抱いていた哀れみを、ロウガは捨て去った。少なくとも、己では、捨て去ろうとした。

 ただそれは、己に課した掟を貫くために。
 ミナの右手が、その髪とよく似た、青い光をまとう。それとともに、彼女の右手はその形態を変えていく。幼き少女の右手から、異形とも思える、剣のような刃へ。

 その変化が収まった瞬間、ミナは駆けた。それは、その容姿からは想像もできない速さだ。やはり、因子を持つものだけあって、身体能力はヒューマンのそれなど凌駕している。

 高速でロウガに駆け寄り、ミナは右手の刃を繰り出す。

 ロウガはそれをスウェーでかわす。スピードは確かにあるが、運動量で直線的な攻撃をカバーしているに過ぎない。その攻撃は、まっすぐで、正直だ。軌道を読むのは、そう難しくはない。

「フッ……スピードはあるが、それでは俺には当たらんぞ」

 一歩後ろに下がり、ミナの間合いから離れながら、ロウガが笑う。

 と、一転、引いたと見せかけて、ロウガは大きく前へと踏み込む。身長差からその一歩の目測がつかなかったか、ミナが虚を突かれた形で硬直する。

 ロウガはカタナを鞘に収めたまま、振り払うようにしてミナの腹に当身を食らわせた。

「うっ……!」

 よろよろと後ずさるミナに前蹴りで追撃を試みるも、今度はすばやく反応したミナに、これはかわされる。

「……お前は、ファースト・ワンだ。因子の力でその身体能力も目覚めつつある。その力は、確かに脅威ではある。だが……お前には、絶対的に足りないものがある。わかるか?」

 痛みにか、それとも悔しさのためか歯を食いしばるミナに、ロウガは色のない表情で語りかける。

「……ひとつは、経験だ。大人の男と戦ったことなどあるまい。ゆえに、その一歩の踏み込みの大きさの予測がつかない。いかに人間を超えた力を持っているとしても、相手の挙動の予測がつかねば、対応はできん」

 ロウガの言葉に、ミナの瞳が鋭く細められる。同時に、再びミナが駆けた。先ほどと同じように、高速ですばやく、正面から。

「所詮はまだ幼き子供か……」

 その挙動に、ロウガは己の得物を構える。今度は、避けるのではなく、攻撃にて迎え撃つ。ミナが近づいてきたところを狙い、ロウガはまたも大きく踏み込んだ。

 だが。

 しっかりと視界に捉えていたはずのミナの姿が、消えた。それと同時に、かすかながら、左耳に空気を斬り裂く音が届いた。

 反射的に、ロウガは前に踏み込んだ姿勢から、前へと転がる。先ほどまで彼がいた空間を、刃が斬り裂く音が駆け抜けていった。

 ロウガは転がる勢いをそのまま活かし、受身の要領で立ち上がると、カタナを構えたまま、油断なく後ろを振り返った。

「……どうやら、俺にも慢心があったようだ。お前は、一度経験したパターンの有効な利用法を知っている」

 ゆらり、と。ロウガはカタナを抜く。刃を返し、峰に当たる部分をミナへと向けると、下段に、脇を閉めた形で刀を構えなおした。

「だがそれゆえに、相手のパターンが見たことのないものだと、対処ができない。そしてこれは……我が我流の技」

 そのカタナが、徐々に威圧するような覇気をまとっていく。まるでカタナがロウガの一部となったかのように、その闘気を遺憾なく発揮していく。
 
「セイッ!」

 気合の声とともに、ロウガはその神速をもってカタナを抜く。抜刀と同時に一気に降りぬいたその剣戟は、空気を斬り裂く真空の刃となってミナに襲いかかる。

「……………っ!」

 声にならないうめきとともに、ミナがその衝撃にひざをついた。抜刀の速さと衝撃波の速さは比例する。抜刀を見切れなければ、衝撃波をかわすことはできない。そして、それが鋭角に入るのを避けることも。

「悪いが、これで終いだな。今のがまともに入っては、もはや立つことはできまい。……さあ、俺と来てもらおう」

 カタナを納めながら、ロウガはその少女へと歩み寄る。ミナはひざをついたまま、うつむいて顔を上げることもない。

 しかし、ロウガが少女の目の前に立った、その瞬間。

 ぎりりと、歯を食いしばり、ミナが彼を見た。その瞳には、おおよそ、幼い少女のものとは思えない、燃え上がるような闘気が込められている。

「……なぜだ」

 思わず、ロウガは訊ねていた。不可解だ。この少女に、あのセトミという娘をそこまでして助ける理由など、彼には見当たらなかった。

「……セトミおねえちゃん、ミナと同じ。いろんな悲しいこと、あって……でも、それを越えて、生きてる。だから、ミナ、助けられるだけじゃない。おねえちゃんのために、なにかしたい」

 顔を上げることのないまま、ミナがぐっと、両の拳を握った。

 不意に、ロウガの背筋を、ぞくりと冷たいものが走る。それは、ヴィクティムとの戦いを始めてこの方、如何な相手にも感じたことのないような、危うい悪寒だった。

 ――――それを、眼前の年端もいかぬ少女が発している。ロウガは、一歩、後ろへと退いている自分に気づき、歯噛みした。冷たい汗が一筋、頬を伝って流れ落ちていく。

「ミナは、ミナの意思で戦う! ミナ、誰かに利用されるだけの兵器じゃない!」

 吼える言葉とともに、ミナは顔を上げた。その力強い意思の表示とともに、その姿がまばゆい光に包まれていく。

「な……なんだと!?」

 狼狽するロウガに、まるでその姿を知らしめようとするかのように、少女は立ち上がり、その両腕を十字に広げる。光の中に浮かぶそのシルエットが、不意に人にあらざる形を取った。

 少女の背に現れたそれは、紛れもなく、天使の背の羽そのものだった。

「これは……まさか、新たな力が目覚めたというのか……?」

 ぼう、と、まるで魅せられたようにその姿に見入るロウガの目に、徐々に宙へと浮かび上がっていくミナの姿が映る。

 我に返ったときには、その少女の姿はもはや、手の届かないところへと飛び去っていた。

「……しまっ……!」

「……行け!」

 ミナが、剣のごとく変化した右手を鋭く振るう。エネルギーの収束する甲高い音とともに、ロウガの足元が少女の髪の色に似た、透明な青に染まりだした。

「チィッ!」

 反射的に、ロウガは飛び込み前転の要領で前へと跳ぶ。次の瞬間、先ほどまで彼が建っていた場所が、ガンマレイででも撃たれたかのように、光とともに爆ぜた。

 それで生じた亀裂の向こうに、ミナがゆっくりと舞い降りる。その背は、まるでロウガなどすでに眼中にないかのように、部屋の入り口へと走り去ろうとする。

「……待て!」

 思わず出た声に、その背が一度、ぴたりと止まる。だが、その少女が振り返ろうとすることはない。

「……ミナ、おねえちゃんのところへ行く。もうこれ以上、邪魔しないで」

 突き放すように紡がれた言葉に、ロウガの二の句がたたらを踏む。そうこうしているうちに、その足は再び入り口へ向かい、そして姿を消した。

「……あれが、ファースト・ワンの更なる進化か……。あの娘……このまま戦いの渦中にさらされれば、いずれ……」

 その背が消えた先を見つめながら紡がれた言葉は、誰の耳に届くこともなく、静かに霧散した。


 
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