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第二十七章 白と黒
02 青い魔道着が宙を舞う。茶髪ポニーテールの少女、カズ
しおりを挟む青い魔道着が宙を舞う。
茶髪ポニーテールの少女、カズミである。
至垂徳柳の、巨蜘蛛の胴体を切り付け踏み付け、駆け上がる。
トンボを切って、急降下。
二本のナイフを至垂に狙い定めて、
「うおらあ!」
必殺の雄叫びを張り上げた。
だが、
「雑魚が!」
という怒声と同時に、垂直落下からいきなり水平軌道。壁に激突した。
巨蜘蛛の背から突き出している白銀の魔道着を着た至垂の上半身、その右手に持っている剣のひらで殴られたのである。
「カズミちゃん!」
心配し、友の名を叫ぶアサキ。
壁が崩れて、大きな穴が出来ている。
既にカズミはそこから這い出しているが、今の激突でかなりダメージを受けたようである。頭を押さえ、ふらり身体をよろめかせている。
「大丈夫?」
「屁でもねえ。……でも、おかしいんだ。身体が自由に動かねえんだ」
「わたしもだよ。重たいんだ」
身体も、動きも。
だから先ほどだって、なんということのない体当たりを避け損ねてしまった。
カズミちゃんもか。
一体、なんなんだ、この身体は。
わたしたちに、なにが起きているというのだろう。
「よそ見とは余裕だな余裕だな」
巨体が、広がっていた。
アサキの、視界一杯に。
至垂の上半身を背から生やした巨蜘蛛が、後ろ足を蹴ってアサキへと飛び込んだのだ。
はっ、
とアサキが目を見開いた時には、遅かった。
蜘蛛本体の頭から生えている、長く鋭い角が突き刺さっていた。
腹部を、刺され、貫かれていた。
「アサキ!」
カズミは蒼白な、自分の魔道着より青くなった顔で、赤毛の少女の名を叫んだ。
だが、赤毛の少女、アサキの口元には微笑が浮かんでいた。
貫かれ、そのまま体当たりを受けているというのに。
と、っとアサキは、床に足を着いた。
「さっきのカズミちゃんの台詞じゃないけど、大丈夫」
至垂の体当たり、突進が、止まっていた。
壁にぴたり背を押し付けられているアサキであるが、よく見ると巨蜘蛛の角は腹部に刺さってはいなかった。
二本ある角のうち、一本を小脇に抱え、掴んでいた。
それがカズミの立ち位置からだと、突き抜けたように見えたのである。
「心配させんなあ! バカ! ヘタレ! 音痴! ギャグセンス最悪女! アホ毛! 貧乳! 洗濯板!」
こんな時であるというのに、友へと容赦ない罵倒を浴びせるカズミである。
顔に浮かんでいるのは、安堵、喜びの笑みであったが。
アサキは仲間からの罵詈雑言を受けながらも、脇に抱えた角を右手に掴み直すと、左腕を伸ばしてもう片方の角も掴んでいた。
身を少し低く落として、押し返そうと床を踏む足裏に力を込める。
「まさか力比べで勝てると思っているのかね」
ふふ、
蜘蛛の背から生えた人の上半身、至垂の顔に、笑みが浮かんでいる。
仮に腕力が互角であるとしても、質量が違い過ぎる。
体格差、体重差、二十倍以上もあるのだ。
むだなあがきよと至垂の口元がにやけるのも、当然というものだろう。
じりじりと、アサキの身体がまた壁へと押し付けられて、いまにも潰されそうだ。
顔を歪ませながらも、きっと睨んでアサキは重圧を押し返そうと全身に力を込める。
でも、やはりこの質量差、びくとも動かない。
「頑張るのは結構だが結構だが、終わりにさせて貰うよ。もうきみたちに利用価値はなく、リスク考えると、とっとと死んで欲しいのでね」
六本足の巨蜘蛛、その背から生える白銀の魔法使い至垂徳柳の上半身、剣を持った右手がゆっくり高々と振り上げられた。
「アサキ逃げろ!」
カズミが叫びながら助けに向かおうとするが、足がふらついて転びそう。まだ先ほどのダメージが残っているのだろう。
「逃げろってえ!」
せめて懸命に怒鳴るカズミであるが、聞こえていないのかアサキは逃げなかった。
むしろ、自らの身体を押し当てていた。
渾身の力を腕に、足に、全身に、掛けて、異形の巨蜘蛛へと。
「うああああああああああああ!」
なんと、押し戻し始めていた。
質量、体重、数十倍はある、巨蜘蛛の胴体を押し戻していた。
当然というべきか、巨蜘蛛から生える至垂の表情には明らかな驚きと動揺が浮かんでいた。
「おしまいだ!」
余裕の笑みなどどこかへ捨てて、至垂はアサキの頭上へと長剣を叩き落とした。
だが、剣は空を切っていた。
すっ、とアサキの身体が、沈んでいたのである。
力尽きたのではない。
腰を落として、自らを巨蜘蛛の下へと潜り込ませたのだ。
二本の角へと手を掛け掴んだまま、赤毛の少女は自ら後ろへ倒れ込む。
蜘蛛の腹部に、片足を押し当てる。
と、巨体が軽々と持ち上がっていた。
それは巨蜘蛛自身の馬力によって。
アサキに押し負けまいと、踏ん張っていたからである。
柔道の技である巴投げの要領だが、効果それ以上であった。
相手の重量からくる勢いがまるで違うし、技の掛け手であるアサキ自身も、魔道着を着たことによる魔力循環の効率化により肉体能力が向上している。
巨蜘蛛は無抵抗に持ち上げられて、身体が垂直に立っていた。
わずかな滞空時間の後、反対側へと倒れる。
壁や窓を砕き割りながら、巨大な蜘蛛はひっくり返った状態で地へと叩き付けられた。
轟音と共に、周囲がぐらぐら激しく揺れた。
それきり、巨蜘蛛は動かなくなった。
腹や六本の足を見せたまま。
とてつもない巨体が背中側から叩き付けられたのである。その背から生えた至垂の上半身は、完全に潰れているかも知れない。
いくら魔道着は打撃にも強いとはいえ、服は服だ。重量重圧を受ければ、着た者の身体ごと潰れるのは必然である。
「相変わらず、規格外なことするな……お前」
青い魔道着を着たポニーテールの少女は、ようやく足のふらつきも収まったようで、アサキへ近寄ると肩を叩いた。
「いや、ただ死にものぐるいで。考えるよりも身体が動いてたんだ」
「須黒センセかよ。無意識にブレーンバスターって」
「どこで、どうしているんだろうな。須黒先生」
「生きてりゃ会える。まずは、ここがどこかだ」
「そうだね」
アサキたちは、建物の外へと出た。
巨蜘蛛を投げて破壊した、壁の大穴を通り抜けて。
視線を左右に走らせて、二人とも警戒怠りなく。
「しかし信じられねえデカさだな、こいつ」
壁を突き破って建物の外でひっくり返っている巨蜘蛛の、あまりの大きさにカズミが目をまん丸にしている。
彼女たち二人は、これより遥かに大きなザーヴェラーという敵と戦ったことがあるが、だからって驚きが冷めるわけではない。
人語を解す巨大な怪物など、始めてであるからだ。
カズミは倒した相手の異形ぶりにばかり目を奪われていたが、アサキはそれよりも外の様子が気になって、きょろきょろ周囲を見回していた。
足元である地面は、グレーの舗装がされている。
アスファルトやコンクリートの類ではなく、歩道によく見るタイル素材でもなさそうだ。
人間の気配は、まったくない。
だというのに、ちり埃が積もった感じもまったくない。
不自然に綺麗だ。
なんといえば、いいのだろう。
精巧なミニチュア然としている、とでもいえばいいのか。
振り返って背後、自分たちのいた建物を、振り返り見上げた瞬間、ぞっと寒気がした。
見たことがないというだけでなく、誰が想像するだろうかという、あまりに非現実的な造形だったのである。
高さは、三十メートルほどであろうか。
赤茶けた円錐形の、というだけであればまだしも、素人がチャレンジしたソフトクリームのようにぐにゃぐにゃ大きく歪んでいる。
上層先端は、いまにも折れそう倒れそう。
果たして先鋭的で片付けられるものかという奇妙奇抜なデザインであり、さらには見回せば似た作りの建築物に囲まれている。
妙な建築物地帯の、ここは外れということか、立っているこの一面よりも先に建物は存在しない。
ただし、グレーの舗装はずっと、遥か向こうにまで続いているようだ。
遥か、向こう。
建物内にいた時から窓の外に見えていた、低い山々らしき連なり。
外に出たことで、よりはっきりと姿をさらしている。
「ここは……」
どこだ。
アサキは思った。
外へさえ出れば、きっと見慣れた風景が待っている。
そう信じていたのに、知らない土地というだけでなく……そう、まるで異世界じゃないか。
ぐらり。
足元に、微かな揺れを感じた。
至垂、である。
とどめを刺さなかった甘さが、といわれればそれまでであるが、腹を見せて逆さまに倒れている巨大な蜘蛛が、ぴくりぴくりと動いているのである。
突然、跳ねた。
高く。
裏返しになったまま、背中の力で。
跳ね、空中で体勢を変えて、巨体は着地した。
どおおん、と大きな地響き、振動が伝わる間もなく、六本足の巨蜘蛛はぞぞりと足を動かして、アサキたちの方へとその大きな身体を向けた。
蜘蛛本体の背中からは、白銀の魔道着を着た至垂徳柳の上半身が生えているが、先ほど自身の巨体に潰されたことでひしゃげて歪んでいる。
白銀の魔道着の中は、骨が折れに折れている状態であろう。
身体だけでなく顔も、何故これで生きていられるというくらいにぐしゃり潰れている。
潰れているが、明らかな笑みが浮かんでいる。
非詠唱の治癒魔法だろうか。
見る見るうち、至垂の身体の傷が癒えていく。
歪みが戻っていく。
元の姿に戻るまで、さしたる時間は掛からなかった。
ここで初めて見た時の、元の姿に。
「少し油断したようだ。もうきみたちに、まぐれはないと思って貰おう」
至垂は右手の長剣を強く握る。
「そりゃあ、こっちの台詞だ」
白銀の魔法使い至垂と、青魔道着のカズミは、同時に唇を釣り上げた。
かくして、戦いが再開された。
今度は外へと舞台を移動して、なんの意味があるのか分からない戦いが。
「雑魚に用はない! 真っ先に倒すべき、殺すべき、滅ぼすべきは令堂和咲ただ一人! どけい!」
「じゃあ、力ずくでどかしてみろよ!」
巨蜘蛛の前足をかいくぐりながら踏み込むカズミ、胴体側面を蹴って背中へと駆け上った。
蜘蛛の背の至垂へと、二本のナイフを躊躇いなく流れるように振り下ろす。
至垂が右手に持った剣で受け、ナイフを跳ね上げる。
同時に、左手のひらから、
「死ね!」
青白い光弾が放たれる。
どれほどの破壊力であるのか、それは分からなかった。
既にそこに、カズミの姿はなかったからである。
カズミは、巨蜘蛛から離れるように後方へとトンボを切って、着地していた。
「身体の違和感にも、少しずつ慣れてきたぜ」
カズミは、にやり強気な笑みを浮かべると、再び身を至垂へと飛び込ませた。
巨大な蜘蛛の化物と、魔法使いによる、激しい戦闘。
その最中だというのに、アサキは、意識上の空であった。
怪物と化した至垂のことよりも、ここがどこなのか、そればかり気になってしまって。
ここで死んだら、どこもなにも、それこそ意味がないというのに。
戦わなければ、生き残れないというのに。
分かっている。
けど、でも、
どうしてこんな、状況もまるで分からないまま、わたしたちが、殺し合わなければならないの?
思いながら、アサキは不意に天を見上げる。
真っ黒な、空を。
いまは、夜だろうか。
だから、暗いのだろうか。
雲一つない空だ。
非常に澄んだ空だ。
でも、星は一つも出ていない。
なんだろう。
この違和感は。
世界に対して思う、この違和感は。
感じることへ感じる、この違和感は。
まるで虚無の空間にいるかのような、この違和感は。
どこ?
ここは。
いつ?
現在は。
誰?
わたしは……
なにを、すればいい。
何故、ここにいる。
わたしは、
わたし、たちは……
「アサキィィィィ!」
カズミの絶叫。
はっ、と気付いた時には、遅かった。
ガツッ、
骨を直接に打つかの衝撃、痛み。
アサキの身体は、横殴りに吹き飛ばされていた。
天を突く巨人の大きな手に振り払われでもしたかのように。
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