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第一話 約束の戦士

5-3 逃げ場無し

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「みっともない見当違いだったね、猟師さん」
 謎の子供は、なぜか燕尾服を着ている。その黒く小さな背中に隠れて、おばさんはあまりの痛みに震えているようだった。
「さて、と」
 いかにも無邪気そうな所作で、異質な姿が振り返る。
 目が、合ってしまう。眼帯に隠れていない、蒼い左目と。
 どうしてそう思うものか、いかにも残虐そうな、美しく澄んだ宝石のような瞳。現実味が無いのは、その場違いな服装故か、その小さな体で猟師を吹き飛ばしたという信じがたい現実故か。
 にこにこと、いや、にやにやと、まるで敵意が無いかのように人懐こそうな笑み。その実、こちらの命を握っているということを隠しもしない、壁のように大きな悪意。
 手を出せば――
「お兄さん、こんにちは」
 成す術もなく、殺されるのだろう。
 絵画の紳士のように一礼をする子供の前で、僕は逃げ出すことすらできず、ただただ凍りつくのみだった。
「始めまして、ボクは魔王軍のキアロスクーロ。お兄さんは、この村の人だよね」
「あ……」
 思わず返事をしてしまいそうになるほどの、友好的な態度。
 友好的に、見せかけた態度。
 友好的だと思い込まなくては逃げ出してしまいそうになる、恐ろしい、敵。
「ま、おう、ぐん……?」
 止せば良いのに、余裕をなくした僕の耳は余計な言葉を拾い、震えるばかりの唇は軽率に言葉を紡ぐ。
 見ている前で、黒い眼帯をした色白の顔面が、隠しようもない残虐に歪んだ。
「そう、魔王軍。この村からボクたちを倒すための勇者が輩出されたっていうから、挨拶に来ちゃいました」
 ああ、なんて、話が早い。こんなことを言われたら、何をしに来た、だなんていう陳腐な質問ができなくなってしまう。僕には他に、何の用意もないのに。
「ワキヤ……」
 おばさんの呻くような声。圧倒的な存在を前にして、足元の彼女に返事をする余裕すらない。
「居住区は……やられた……。畑も燃えてる……」
 絞り出すように言葉を紡ぐおばさんに手を出すわけでも咎めるでもなく、黒い装束の子供は彼女の苦しげな顔をまじまじと覗き込んだ。それがあまりに恐ろしかったのか、あるいは開き直ったのか、地面に這いつくばる猟師は一転、堰を切ったように言葉を続ける。
「アンタと合流すれば、やりようによっちゃあ状況が好転すると思ったんだ! だけど駄目だ、こいつには銃も魔法も効きやしない! 戻っても敵だらけだ。だからワキヤ、あんただけでも逃げな!」
 どこへ――逃げろと言うのだろう。この子供を振り切ることすら、きっとできやしないのに。
 立っているのがやっとだった。今にも僕は崩れ落ちてしまいそうで、だけどこんな未知の敵を前にして倒れてしまうのはあまりに恐ろしいから、無理やりにでも立っている他になかった。
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