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第二話 村の救世主

1-2 虚勢

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「ねえ、ワキヤさん」
 ぞくり、と。
 背筋が凍った理由に、すぐには気づくことができなかった。
「ボク、バカのフリする奴は嫌いだな」
 キアロスクーロは笑顔のままで、その声色は明るいままで、それなのに、小さな口から放たれる声は――どうしてそう感じるものか――弾んでいない。
「忘れちゃったのかな、自分がするべきことを」
 諭すような声。冷たい声。幼く非力な子供が拗ねて残念がっているのと変わらないはずなのに、その声は僕のことをどうしようもなく凍えさせる。
 するべきこと――?
 思わず、聞き返しそうになった。幸運なことに、不用意に思い浮かべた言葉は口に出されていなかった。
 鸚鵡返しだなんて、そんなバカを晒すような愚か者は、きっとその瞬間にでも血祭りにあげられている。
 青ざめた僕を見て、キアロスクーロは口角を吊り上げ、目を細めた。それがほんの一瞬だけ見失っていた「楽しげな」笑顔であることに気づいて、僕の緊張は情けなくも霧散した。
「じゃあ、ちゃんと約束は守ってね。もしもすっぽかしたら、スフマートにやられるよりも、もっと酷い目に遭わせてやるから」
 黒くて細い姿が、すっと立ち上がる。燕尾服が背を向けたので、僕は――たったそれだけで安心できるはずもないのに――安心してしまって、脱力した上体を仰向けに投げ出した。
「きみたちの散り様は、スフマートから教えてもらうことにするよ。じゃあね」
 ざくざくと、軽い体重で小石を踏みしめる音が遠ざかっていく。心臓がうるさいほどに胸を叩いて、脱力した身体に生を実感させる。

 空は青く、夕刻まではまだ時間があるようだ。キアロスクーロに胸を貫かれてから、いったいどれだけの時間が経過したのだろう。あれだけの状態から、本当に、物の数分で――いや、もしかしたらほんの数秒で、死にかけた身体を治癒してしまったというのか。
 格が違う。視界が霞む。涙が溢れているのだった。
 レイヴ。きみは、あんな化け物に立ち向かうというのか。きみなら、あんな化け物を倒せるというのか。
「ワキヤ。おい、ワキヤ!」
 グレイプの嗄れ声。霞んだ世界に、緑のぼやけたシルエットが顔を覗かせる。
「おい、またぶっ倒れちまって、大丈夫だったかよ、本当に!」
 大丈夫なもんか。まだまだ、ぜんぜん、涙の止まる気配がない。
「こわかった……」
 何かを吐き出さなければどうにかなってしまいそうで、涙交じりの泣き言が漏れ出る。
「こわかったよ……なんて怖いんだよ……あんな、あんな敵が――」
「ワキヤ!」
 おばさんの叱咤。驚きはしたけれど、幼い頃に感じていたような恐怖はもはや無い。
 そんな、魔王軍の刺客に比べればどうということもない怒声が、涙も止まるほどに、心強い。
「悔しいが、あいつに逆らえるほどアタシらは強くない。あのガキ、ご丁寧にも逃走の選択肢を潰してくれやがって……だから、行くしかないよ、もう」
 涙を拭う。再び晴れる視界。グレイプの安堵した顔。
「ヤツの言うスフマートってのがどんなもんかは知らないが、やるんなら一泡吹かせてやろうじゃないか」
 威勢の良い声。きっと、虚勢。
「開き直るしか、ないですもんね」
 立ち上がる。キアロスクーロの治療のおかげか、キアロスクーロが追い詰めてくれたおかげか、今にも委縮して潰れてしまいそうになる心とは裏腹に、身体は軽い。
「すみませんでした。僕、あんな、情けないばっかりで。こんなこと言ってる今でもまだ、やっぱり、怖いけど――」
 苦虫を噛み潰したような、おばさんの顔。ああ、きっと、僕と同じ気持ちなんだ。
「やるからには、救ってやりましょう。僕らの手で、村を」
 声が震える。武者震いでは、決してない。体の芯から、恐怖心が僕の声を震えさせている。身体は嘘を吐けない。だからこそ、
「これは虚勢だけど、でも、本気ですよ」
 吐き出す言葉だって、嘘じゃない。
 そういうことにすれば――そういうことにしたからこそ、僕は立ち上がれたのだ。
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