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3章 三浦幸子25歳 妊娠、そして……

30話 二度目の……(2)

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『切迫早産!!』

病室に駆けつけた誠は驚き、医師に詰めかける。

「早産!早く生まれるという事ですか!妻は!子供は!」


「お、落ち着いて下さい。すみません、言い方が悪かった。正確には早産しかけている状態です。」


医師は順番に説明を始める。

まず、『早産』とは妊娠23週から36週までに出産する事をいう。

一方で『切迫早産』とは早産しかけている状態の事をいい、対応次第では早産から出産適齢時期の『正期産』と呼ばれる37週までお腹に留めておく事も出来るのだ。

切迫早産の症状は複数あるが、幸子の場合、出血と腹部の張りが起こり、救急車を待っている間に破水までしてしまったのだ。

出血と腹部の張りだけの場合、正期産である37週まで妊娠の継続が出来る可能性もあったが、幸子は少量ではあるが破水してしまっている。その場合、一ヶ月以内に出産になる場合が多いとの事だった。


幸子は妊娠23週目。お腹の子供は推定400gから500gぐらいであり、まだ臓器が未完成の時期だった。当時は1994年、もし今生まれてしまったら生存率は僅か30%、そして、もし助かっても重い障害が残る可能性があるとの事だった。


誠はその言葉を聞き黙り込んでしまう。子供はまた駄目になってしまうのか……?重い障害とは何なのか?育てていけるのか……。突然の事に、ただ青ざめるのだった。


「……こ、こいつはその事を?」

病室のベッドで寝ている幸子を見る。


「いえ、大変混乱されていまして今は眠ってもらっています。勿論、胎児に影響のない薬ですから大丈夫です。」

誠は腑に落ちる。これだけの事が起き、幸子が冷静に眠っているのは薬のおかげだったと知る。


「……ただ、目が覚め落ち着かれたら話さないといけません。お母さんには赤ちゃんが早く生まれる事と、一日でもお腹に留めた方が良い事を話し頑張ってもらわないといけませんから。」
 

「頑張る……?何を……?」

「三浦さん……、これから奥さんはベッドでの安静生活を送らないといけません。何時でも体を起こす事は許されません。それは想像を絶する程の苦痛です。ですから奥さんを支えて下さい。」


『安静生活』。切迫早産の進行度によるが幸子は破水をしてしまい、体を起こせば破水が進行する可能性がある為一刻の猶予もなかった。

安静生活で辛いのは、体が起こせない為仕事や家事、趣味などの日常生活が送れない事。しかしそれだけではない。体が起こせないという事は食事も洗面も全てベッドで行う事になる。当然、入浴も出来ず体を拭くのみとなる。そして何より辛いのは……。

医師はこれ以上の言葉は阻まれる。これは幸子だけに話そうと決める。


誠は状況を理解する。安静生活におけるストレスは全て自分が受けると決意を固める。そして医師に一つ頼み事をする……。

医師は了承し、また来ると言い出て行く。誠は幸子の手を強く握る。





数時間後、幸子は目を覚ます。目を覚ました途端、赤ちゃんと騒ぎパニックになりそうになるが、誠が幸子を抱きしめ冷静になるように話す。幸子が目を覚ましたら医師から話をしてもらうと決まっており誠はナースコールを押す。

しばらくして産婦人科医が来る。現状を説明し、幸子に安静にしているように話す。幸子は現状を受け入れ安静生活を受け入れる。


「……あの、動悸がして……、息切れも……。赤ちゃん大丈夫ですか?」

「これは、薬の影響です。『ウテメリン』と呼ばれる子宮収縮抑制剤を今点滴から流してします。これにより子宮の収縮を抑え早産を防ぐようにしています。しかしこの薬には副作用もありまして、動悸や息切れはそのせいです。辛いでしょうが耐えて下さい。」

「薬……。赤ちゃんは大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ、赤ちゃんには影響ない薬ですから。しかし、お母さんには負担があって……。2、3日経つと落ち着く方が多いので耐えてもらうしかありません。」

「だったら大丈夫です。ありがとうございます。」


「……まずは一週間、24週を目指しましょう。そしたら……。」

医師は黙る。

「先生?」

「あ、いえ。とにかく24週を目指しましょう。」

「はい。」


医師はまた来ると言い出て行く。24週を目指す理由。それはお腹の子供の生存率を上げる為と、後遺症による障害の確率を軽減する為だった。

医師は幸子に、赤ちゃんの為に安静にしないといけないと話したが、赤ちゃんは一ヶ月以内に生まれる可能性が高い事、早く生まれたら亡くなる可能性がある事、後遺症から障害を抱える可能性はまだ話していないのだ。

何故か?誠に頼まれていたからだ。今日の所は安静にしていないといけない旨だけを話して欲しい。早産する事、子供の生存率と障害の可能性は落ち着いてから話して欲しいと……。

確かに、幸子が今全てを聞いたら精神的なショックで早産してしまうかもしれない。だから2、3日待つと決めたのだ。

しかし、ずっと黙っている訳にもいかない。破水している現状を考えると早いと数日で出産になる可能性も充分ある。近い内に話さないといけないのだ。







幸子は不意に体を起こそうとして誠が止める。その瞬間に幸子は悟る。この安静生活の一番の過酷さを……。


「どうした?何か欲しい物があるなら取ってくる。水か?あ、腹減ったか?食事を出してもらったから食べろ。」

誠は幸子の横にタオルを引き、お膳を乗せる。


「……な、何でもないの。ごめんなさい、食事はいらないわ。あなた食べてくれない?」

「しかしな、栄養摂らないと……。」

「いいの!食べて!私いらないから!」


幸子は布団を被る。

「……分かった。明日は食べろよ?」

「分かってるから……。」


誠は食事を済まし洗い場に片付けに行く。その帰りに、借りているコップに水入れて帰ってくる。


「ほら、水だけでも飲め。」

誠は吸い飲みに水を移し、幸子に飲ませようとする。

「……あ、うん。飲むから置いておいて……。」

「駄目だ、少しは飲まないとまた脱水で倒れる!」

「点滴してるから大丈夫よ!……点滴しているから……。」


幸子は黙り込む。顔を紅潮させ、息を切らし、手を震わす。

「おい、大丈夫か?」

誠は幸子に詰め寄る。

「やめて!」

誠が持っているコップが離れ、幸子の服や布団にかかる。


「……あ。」

「悪い!大丈夫か?」

誠は幸子の服を自分の服で拭こうとする。


「近付かないで!!」

「え?」

「帰って!いや!いや!」

「どうしたんだよ?」

「帰ってよー!!」

幸子は布団を被り泣き始める。


誠はどうして良いのか分からず、ただ黙り込んでしまう。そうしている間に、幸子の泣き声が聞こえて来たのか助産師が来る。

助産師は幸子の姿にある事を察したようだ。


「……お父さん、今日は帰って下さい。」

「いや、しかし!」

「私達に任せて下さい。入院セット持って来て下さいねー。」

助産師は無理矢理、誠を追い出す。そして……。


「三浦さん、大丈夫ですよ。服を変えましょう。シーツも。大丈夫ですからね。」


「……ごめんなさい……。」

幸子は泣いている。そう、先程不意に起き上がろうとしたのはトイレに行こうとしたからだった。誠に止められ、初めてこの安静生活の現実を思い知ったのだ。食事、水を断ったのもその為だった。しかし元々我慢しており体に水が掛かった瞬間、不意に出てしまったのだ……。


「謝らないといけないのはこっちですよ。声をかけようと思っていたんですけど、遅れてしまって……。これからは遠慮なく声をかけて下さい。我慢は体に毒ですからね。」

「……はい。すみません……。」

そう話しながら助産師は着替えを素早く行う。急な入院で服を持って来ていない為、病棟のパジャマを貸してもらい、汚した服を手洗いし洗濯にまでしてくれた。


「尿に関しては尿管カテーテルをする事も出来ますよ。どうします?」

「……あ、お願いします。」

「痛みや不快感がありますが大丈夫ですか?」

「はい、我慢します!だから……。」

幸子は痛みより排泄の苦痛の方が辛かった。だから尿管カテーテルを入れてもらう。


「いっ!」

幸子は顔を歪める。

「ゆっくり深呼吸して下さいね。すぐ終わります。」

「はぁー、はぁー、はぁー。」

「お疲れ様でした。これで大丈夫ですから水分を取って下さい。」

「……ありがとうございます。」

幸子は安堵し水を飲む。


「夕飯食べました?」

「……すみません……、食べていません……。」

「明日から食べて下さいね。赤ちゃんに栄養をあげないといけませんよ。気を遣うのは私達ではなく赤ちゃんにですよ。」

「……あ。ありがとうございます……。」

幸子はその言葉に考える。確かに赤ちゃんに栄養を与えないといけない。……しかし……。


幸子は恥ずかしさのあまり、助産師と目を合わせられない。


「おやすみなさい。何かあったら呼んで下さいね。」

助産師は灯りを消し部屋を出て行く。


幸子は布団を被り一人泣く。朝は普通に生活していたのに、急に動けなくなってしまったからだ。全て自分が悪いと分かっているが、トイレにも行けなくなってしまった現状を受け入れる事が出来なかった。


(……やっと分かったよ……。あの時、泣いていた理由が……。だから見舞いに行く時は必ず詰め所に行かないといけなかったんだな……。そんな事気付いていなかったよ……。ごめんな……。)


幸子は眠る事など出来ずに動悸、息切れ、軽い吐き気に苦しむ。


(こんなに苦しいんだな……。知らなかったよ……。お前はこんなに苦しかったのか……。本当に俺は知らない事ばかりだな……。)



[……どうしよう、酷い事言ってしまった……。謝らないと……。]

幸子の声が聞こえる。しかし、幸子は何も発していない。幸子の思考だ。


(い、いいんだ!あんな察しの悪い馬鹿旦那なんか!微塵も気にしていないからな!)

嘘だ。本当は凄く落ち込んで帰って行った。あれ程、拒否されたのは初めてだったからだ。


幸子はその夜、寝られない一日を過ごす。


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