上 下
36 / 46
4章 三浦幸子28歳 母としての戦い

34話 産後の苦しみ(2)

しおりを挟む


我が子との面会を終わらせた幸子は『搾乳』を始める。小さく生まれた赤ちゃんにとって母乳は大切な栄養だからだ。また母体とはよく出来ており、早産だった場合小さく生まれた赤ちゃんに合わせて母乳の性質を変えるのだ。だからこそ赤ちゃんに母乳を持って行くのは大切な事だった。

前回は母乳を捨てる事を亡くなった息子に申し訳感じ搾乳をしなかったが今回は違う。赤ちゃんに栄養を届ける為に幸子はひたすら搾乳をする。


(痛ー!!前の乳腺炎も痛かったが、これも痛い!胸も腹もー!!)

授乳をすると子宮の収縮を促すホルモンが出る。授乳程ではないが搾乳も同じだ。だから授乳や搾乳をする度に後陣痛に苦しむ事になる。

20分痛みに苦しみ、20cc程出てくる。

(……こんだけ?こんなに頑張ったのに?)

現在の誠はげんなりする。


そして追い討ちをかけるのは……。

「三浦さん、子宮収縮剤飲んで下さいね。あ、母乳出ましたね。赤ちゃんに届けますね。」

「はい。お願いします。」


幸子は子宮収縮剤を飲む。本来は昼食時に飲まないといけなかったが、赤ちゃんの面会があるから時間をずらしてくれたのだ。何故時間をずらしてくれたのかというと……。


(痛ってー!!何だこの痛み!)

薬を飲み15分ぐらいで、激しい痛みを感じる。傷口ではない、子宮からの痛みだ。


『子宮収縮剤』、分娩を終えた産褥期の女性が飲む事を推進されている薬だ。名前の通り、子宮を収縮させる効力がある。子宮収縮は痛い、それを薬でコントロールするという事は……。


(痛い!痛い!あー!おい馬鹿旦那!お前、よくも仕事に行きやがったな!代われや、この野郎!)

誠は幸子の出産に合わせ昨日今日と急遽休んでいた。しかし幸子がもう大丈夫だから仕事に行ってと頼んだのだ。確かに明日から急に仕事をするのが大変だった為、誠は仕事に行く事にした。

だから現在の誠の怒りは完全な八つ当たりである。










前回の搾乳から三時間後、幸子はまた搾乳する。

(痛い!本当によくやるよな……。)

次も35cc出た。幸子は疲れて横になる。

(痛い……、このまま寝ていたい……。)


「三浦さーん、夕食ですよ。」

(もう?全然腹減ってないのに?)


しかし幸子はまたベッドのギャッジを上げ、夕食を無理矢理食べ始める。

内容は五分粥、鮭の塩焼き、じゃがいもとにんじんの温野菜、柔らかく煮たコンソメスープだった。

幸子は痛みに耐え、黙々と食べる。そして、最後まで食べ切る。


しばらくし助産師が食器を下げに来る。

「あ、全部食べましたね。じゃあこれ、痛いでしょうが飲んで下さい。」

「……はい。」


(うわあ!またこれか!これ飲むと腹痛くなるんだよな……。)

渡されたのは子宮収縮剤。赤い錠剤を見た瞬間に、幸子も現在の誠も身構える。……トラウマになっているようだ……。


「……あの、トイレだけ行って良いですか?」

「勿論、トイレ遠いですが歩けます?」

「はい、大丈夫です。」


助産師は幸子が歩けるか見る為にトイレまで導尿パックを持ち付き添う。ゆっくりだが幸子はベッドから立ち上がり、ゆっくり歩いて行く。廊下に出ると手すりを掴み、何とかトイレに着く。

「歩けましたね。帰りも付き添いましょうか?」

「いえ、歩きます。もし無理なら手伝ってもらえませんか?」

「はい、無理そうならトイレのナースコールを押して下さいね。」

「ありがとうございます。」


幸子は導尿パックを受け取りトイレに入って行く。導尿パックを専用S字フックにかけ、ズボンを下ろす。管が邪魔なのと傷口にズボンのゴムが当たり痛む。そして帝王切開の苦しみの一つである排便を力む苦しみを味わう。

(痛ー!!しかし我慢すると便秘になり余計に痛い……。今、やるしかないのか?)


10分程かけ、何とか排泄が終わる。

(痛い……、腹が……。もう歩けない……、車椅子持って来てもらおう。な?)

しかし幸子は自分で歩き始める。手すりを持ち、一歩ずつ。途中で見かけた助産師が車椅子を持って来ようか声をかけるが断り最後まで歩く。

「はぁ……、はぁ……、はぁ……。」


幸子はベッドに座り込む。横になりたいが、その動作もしんどく、ただ座り込み息を切らす。


(凄いよ、本当に。良くやった……。さあ、寝よう。)


幸子は子宮収縮剤を飲む。

(そうだったー!またか……。)


幸子は横になる。しばらくし痛みを感じお腹を抱えて我慢する。



一 出産三日後 生後三日目 一

幸子は体を起こし搾乳している。

(眠い……、まさか夜中まで搾乳に起きるとは思わなかった……。)

新生児の授乳は基本三時間毎、搾乳も分泌を促す為に三時間毎が良いとされている。赤ちゃんが側に居る場合は泣いて教えてくれるから自然と起きられるが、赤ちゃんが側に居ない場合目覚ましで起きるしかなく、なかなか辛いのだ。


幸子はその後朝食を食べ、薬を飲み、痛みに耐え、搾乳をし、昼食を食べ、子供に会いに行く。

赤ちゃんは今日も小さな体で頑張っていた。その姿にある決意をする。


「カテーテルを取る?大丈夫ですか?」

「はい、お願いします。」

尿管カテーテルを取って欲しいと頼んだのだ。


本来、帝王切開の手術後は一日ぐらいで尿管カテーテルを取り患者に歩行を促す病院が多い。しかし、幸子は出産前の安静生活により筋力や体力が落ちていると配慮され、まだカテーテルを外していなかった。排便時だけトイレに行くならそこまで負担ではないが、排尿までトイレに行くのは負担がかかる。だから助産師は心配している。

「先生に聞いてきますね。許可が出たら取りますね。」

「ありがとうございます。」


しばらくし助産師が戻ってくる。尿管カテーテルと、食事が取れている事から点滴も取る許可が出たらしく外してもらう事となる。


「辛かったら言って下さい。ポータブルトイレ持ってきますからね。」

「ありがとうございます。」

(大丈夫か?まだ痛いだろう?)


誠がそう考えている間にカテーテルを抜いてもらう。

(痛い!早く終われ!)

尿管カテーテルは入れる時程ではないが、抜く時もまた痛いのだ。幸子は痛みにまた耐える。


「お疲れ様でした。終わりましたからね。」

「ありがとうございます……。」

次は点滴も外してもらう。


「ずっと付けてて気持ち悪かったですよね?」

「はい、やっとすっきりしました。」

幸子を繋ぐものはなくなり爽快な表情をしている。その後も搾乳をし、夕食を食べて薬を飲み、痛みに耐え一日が終わろうとする。そこに……。


「具合はどうだ?」

「あなた……。」

誠が仕事後に来る。

「無理して来なくて良かったのに……。」

「ついでだ。」


この病院は誠の仕事場とは反対の方角にある。何のついでなのだろうか?

「点滴ないのか?」

「うん、もう必要ないから取ってもらったの。」

「そうか。」

誠は安堵の表情を浮かべる。


「ありがとう。」

「……別に……。それよりだ、そろそろ名前を決めないとな。」

「あなたは何かある?」

「そうだな……、女の子だし、やはり『サッ子』とか『サッチー』が良いな?」

(だから何だよその名前は!『ユズッキー』とか、『ゆずかりんとう』とかで良いだろ?)

過去も現在もネーミングセンスは壊滅的なようだ……。


「お前は?」

「私は……、私は柚と名付けたいの。」

「ゆず?漢字での『柚』か?」

「うん。」

「どうしてだ?お前そんなに柚好きだったっけ?」


「果物の方じゃなくて柚の花の方から考えたの。柚の花言葉は『健康美』や『幸福』といわれているらしいの。だから、健康に幸せになって欲しくて……。」

幸子がそう考えていたのは安静入院中に読んだ植物図鑑だった。そこに花言葉が載っており『柚』と名付けたいと考えていたのだ。

「柚……、良い名前だな。じゃあこれからあの子は柚だ。」

「ありがとう。」


こうして誠と幸子の第二子の名前は『柚』と決まり大事に育てられる事になる。幸子は毎日母乳を届け面会に行き成長を見守る。

幸子が柚を出産し8日、退院となる。


「本当にお世話になりました。」

幸子は助産師と看護師に頭を下げる。

「本当に迎えの人居なくて大丈夫です?」

「タクシー頼んであるので大丈夫です。」


「そう?……これから大変でしょうが、頑張って下さいね。」

「はい。」

幸子は決意の表情で答える。


幸子の入院生活が終わる。小さく生まれた柚は入院したまま、幸子は一足先に退院となる。


病院の敷地内にまた、怪しい人影が見える。幸子はクスクス笑いながら近付く。


「あなた、何しているの?」

「うわあ!……何だお前か!出勤のついでだ!」

「はいはい。」


誠は変わらず鞄を幸子から奪い歩く。まだ幸子はいつも通り歩けない為タクシーに乗る。振動に耐えながらなんとかアパートに着き、誠に支えられ階段を登りなんとか部屋に入る。

「……あなた、ありがとう。あなたが居なかったら階段登れなかったわ。」

「たまたまだ。」

「仕事行って……。」


「ああ、お前は寝てろよ?分かったな?」

「はい。」

幸子は笑う。


「……辛かったら母さん呼ぼうか?」

幸子は笑顔から一転、思わず顔を強張らせる。

「どうした?」


「……あ、ううん。なんでもないの……。」

誠は医師から言われた、「妻と子供を守らないといけない」の言葉の意味がやはり分かっていない。明らかに幸子の表情が変わったが、その事にも気付いていないのだ。


「私は大丈夫。だから……。」

幸子は言葉に詰まる。


「そうか?無理するなよ?」

「うん、行ってらっしゃい。」

誠を送り出し幸子は横になる。無理してまた悪くなると姑が来る……、それは嫌だった。

それに自分が悪くなると柚に会いにいけなくなる。早く体を回復させて柚に会いに行く。それが目標なのだ。

そう、退院は嬉しいが今の幸子の状態では病院まで行けないのだ。柚に会えるのは幸子が自分で歩いて病院に行けるようになるまでお預けとなる。

しかし幸子は休みながら搾乳だけは、しっかり三時間毎にする。どれだけしんどくても、痛くても、乳房が内出血が複数出来ても止めなかった。



しおりを挟む

処理中です...