3 / 26
2.俺のところに、宙から女の子が降ってきた
しおりを挟む
「……ええ~~?」
ボヤきながら、夜空を見上げる。あの不思議な切れ目はもう消えていて、何の跡もない。
腕の中の女の子を見る。
十歳ぐらいかな。色が白くて……睫毛が長い。雨を弾いて、その雫が珠になって散りばめられている。
長い黒髪……身長の半分ぐらいはありそうだ。
温かい。死んではいない……みたいだけど……。
雨に打たれたまま、まじまじと眺めていたが……とにかくここに突っ立っていても何も解決しないことに気づいた。
雨に濡れっ放しじゃ、俺もこの子も風邪をひいてしまう。
女の子を抱きかかえたまま、放り投げていた傘をどうにか拾う。
もうびしょ濡れだから今さら傘を差しても……とは思ったけど、雨はまだ降り続いていたし。
ここから俺とユズの住むアパートは、真っすぐ歩いて1分もかからないぐらいだ。
これなら女の子を抱きかかえながらでも、歩いていけるだろう。
……とは言っても、女の子はすごく小さくて軽かったんだけど……。
二階建てのアパートの外付けの、錆びた鉄階段。雨で足元が滑りそうになるので、気を付けながらゆっくりと昇る。
俺の部屋は一番奥で、ユズの部屋はその手前。
ユズの部屋のドアの前に着くと、俺はどうにか顎でインターホンを押した。
「ユズー、手が空いてないんだー。ドアを開けてくれー!」
と、いつものように大声で叫ぶ。
ユズは基本、居留守を使う。俺だとわからない限り、絶対に出ない。
足音が聞こえてきて、やや面倒臭そうにユズがドアを開けた。
「……え?」
俺が抱きかかえている女の子を見て、固まっている。
「拾ったんだ。俺の部屋に連れていくから、代わりにドアを開けてくれ」
「トーマ、それ犯罪……」
「とにかく後で説明するから。ほら、びしょ濡れだろ? 早く乾かさないと!」
「……」
ユズが眉間に皺を寄せながら、俺のズボンのポケットに手を突っ込んで部屋の鍵を取り出す。
そして代わりにドアを開けると、手で支えてくれた。
ドアを開けるとすぐに3畳ほどのキッチン。左手には風呂とトイレがある。
そしてその奥には、6畳の洋間。絵にかいたような大学生の一人暮らしだ。
今日はユズが来る予定だったから、部屋は割と片付いていた。
ユズに頼んで押し入れのカラーボックスからバスタオルをいくつか出してもらい、カーペットの上に敷いてもらった。
その上に、そっと少女を寝かせる。
ベッドに寝かせるには、あまりにもビチャビチャだし……。
「トーマ、ちゃんと事情を説明して……」
ユズが頭を抱えて、溜息をついた。
「んーと……この子が空から降って来たんだ」
「はあ?」
「えっと……すぐそこなんだけど。あの、空き地があるところ。空を見上げたら、空に穴が開いて、光が洩れて……で、そこから落ちてきた」
「……」
どう考えてもこれ以上説明しようがない。
はたしてユズがこれで納得してくれるか疑問だったけど、意外なことにユズは何も言わず、じっと何かを考え込んでいた。
「……で、どうするつもりなの?」
「とりあえず、風呂に入れようかと。雨に濡れたから風邪ひくだろ」
「……」
ユズがげんなりした顔をする。
「そうじゃなくて、警察とか……」
「空から降って来たのに、警察って意味ないんじゃないか?」
「……まあ、確かに……」
そんな会話をしていると、女の子がゆっくりと目を開けた。
「あ……」
何となく遠巻きに見てしまう。
ものすごく可愛い女の子だということは分かっていたけど、目を開くととんでもない美少女だった。
ゆっくりと起き上がり、黒い大きな瞳でじっと俺達を見つめている。
「……××……」
女の子が聞いたこともない言葉を呟いた。……何語だろう?
ひょっとして、日本語が通じないんだろうか。
俺が少し驚いていると、ユズが少し前に出て少女とじっと目を合わせた。
今日はコンタクトをしているから、平気なんだろうか。
……だとしても、これはユズの行動としてはかなり珍しい。
そんなことを考えていると、ユズが
「……トーマ、彼女は自分がどこから来たのか全く分からないってさ」
と言った。
「へっ?」
「記憶がないんだって」
「名前も?」
驚いて聞き返すと、少女は微かな声で
「シ……ナ……」
と言った。
どうやら、俺たちの言っていることはわかるらしい。
ただ……自分の名前も、おぼろげみたいだ。
「シィナちゃんね。よかった、名前は憶えていて……。名前ないと不便だもんな」
俺が言うと、ユズは
「トーマのその何事にも動じないところは、本当に尊敬するよ……」
と半ば呆れるように言った。
そうは言っても……慌てたって何も解決しないしな。
何だかよくわからないときは、目の前のことを一つ一つ片付けた方がいい。
「とりあえず、お風呂に入った方がいいよな。俺、準備してくるよ」
俺はそう言って部屋を出た。
このアパートは一人暮らし用には珍しく、ユニットバスではなくちゃんと浴室とトイレが分かれている。
それが気に入ってここにしたんだよな。大学までは、ちょっと歩くけど。
浴槽を軽く洗ってお湯を溜め始め、部屋に戻る。
するとシィナが
「あ……がと……」
と言って、にこっと笑った。
「あれ? 言葉……」
「さっきは、記憶を失ったショックで言葉が出てこなかったらしい。トーマの喋りを聞いて、少し思い出したってさ」
「じゃあ……やっぱり日本人だよな」
「……」
ユズは、俺の問いには何も答えなかった。
それには重要な意味がある気がしたけど――ユズが話したくなるまで待つのが、何となく俺たちの間のルールになっていた。
だからこのときも、俺はユズにはそれ以上、何も聞かなかった。
シィナをお風呂に連れて行くと、全く知らなかったらしく不安そうに俺を見上げた。
どういう育ちなんだ?とは思ったけど、そもそも空から降ってきた女の子に育ちも何もないか、と深くは考えないことにした。
とりあえず服を着たまま頭だけは洗ってあげて、後は身体を洗って風呂につかるように言って、浴室を出た。
部屋に戻ると、ユズが
「……トーマって、本当に面倒見がいいよね」
とポツリと言った。
「そうか?」
「うん……。小学校の先生、本当に向いていると思う」
ユズは少し笑った。
思えば、大学に入ってからずっと暗い顔をしていたし、言葉数もかなり少なかった。
ユズがこんなに喋るのは、かなり久し振りのような気がする。
不思議な感じでシィナを拾ったから、不思議に強そうなユズに思わず頼ったけど、よかったのかも知れないな、と思った。
着替えがないことに気づいて、慌てて近所のコンビニまで走った。
正直、小学生とはいえ女子の下着を買うことについてはかなりの抵抗があったけど、ユズには到底無理だろうから、仕方がない。
そしてそのついでにおにぎりや弁当も買ってきた。
帰ってきた後、とりあえず約束通りユズと……あとシィナも一緒に、借りてきたDVDを見た。
シィナはテレビにもかなり驚いていたが、映画は面白かったらしく、楽しそうに笑っていた。
「……ところで、これからどうするかな?」
DVDも見終わって、俺はシィナを見ながら言った。
「まだ小さいとは言え、女の子だから……俺たちで預かるのはマズくないか?」
「……」
ユズは少し考え込んだ。
俺たち、と完全にユズを巻き込む表現をしたんだが、そこに異論はないようだった。
「誰か、同級生の女子に頼んだ方がいいのかな?」
俺がそう言うと、シィナが慌てたように俺の腕をぎゅっと握った。
そして俺を見上げてプルプルと首を横に振る。
少し泣きそうな顔にも見えた。
「……何だ?」
「トーマに懐いてるんだよ」
ユズが溜息をついた。
懐く? 俺に?
会ったばっかりなのに?
「僕も……他の人を関わらせない方がいいと思う」
「何で?」
「……」
ユズはそれには答えなかった。いつものルールで、どうやら聞いてはいけないらしい、とおとなしく口をつぐむ。
たっぷり考え込んでから、ユズはシィナの方を見た。
「……しばらく様子を見よう」
笑顔、とまではいかないものの穏やかな顔でシィナに話しかける。
シィナは俺の腕をぎゅうっと握り、こくんと頷いた。俺の顔を見上げ、ちょっとはにかみながら笑う。
信じられないが、本当にこの子は俺に懐いているらしい。
ここにいていいんだ、と安心したように見えた。
ボヤきながら、夜空を見上げる。あの不思議な切れ目はもう消えていて、何の跡もない。
腕の中の女の子を見る。
十歳ぐらいかな。色が白くて……睫毛が長い。雨を弾いて、その雫が珠になって散りばめられている。
長い黒髪……身長の半分ぐらいはありそうだ。
温かい。死んではいない……みたいだけど……。
雨に打たれたまま、まじまじと眺めていたが……とにかくここに突っ立っていても何も解決しないことに気づいた。
雨に濡れっ放しじゃ、俺もこの子も風邪をひいてしまう。
女の子を抱きかかえたまま、放り投げていた傘をどうにか拾う。
もうびしょ濡れだから今さら傘を差しても……とは思ったけど、雨はまだ降り続いていたし。
ここから俺とユズの住むアパートは、真っすぐ歩いて1分もかからないぐらいだ。
これなら女の子を抱きかかえながらでも、歩いていけるだろう。
……とは言っても、女の子はすごく小さくて軽かったんだけど……。
二階建てのアパートの外付けの、錆びた鉄階段。雨で足元が滑りそうになるので、気を付けながらゆっくりと昇る。
俺の部屋は一番奥で、ユズの部屋はその手前。
ユズの部屋のドアの前に着くと、俺はどうにか顎でインターホンを押した。
「ユズー、手が空いてないんだー。ドアを開けてくれー!」
と、いつものように大声で叫ぶ。
ユズは基本、居留守を使う。俺だとわからない限り、絶対に出ない。
足音が聞こえてきて、やや面倒臭そうにユズがドアを開けた。
「……え?」
俺が抱きかかえている女の子を見て、固まっている。
「拾ったんだ。俺の部屋に連れていくから、代わりにドアを開けてくれ」
「トーマ、それ犯罪……」
「とにかく後で説明するから。ほら、びしょ濡れだろ? 早く乾かさないと!」
「……」
ユズが眉間に皺を寄せながら、俺のズボンのポケットに手を突っ込んで部屋の鍵を取り出す。
そして代わりにドアを開けると、手で支えてくれた。
ドアを開けるとすぐに3畳ほどのキッチン。左手には風呂とトイレがある。
そしてその奥には、6畳の洋間。絵にかいたような大学生の一人暮らしだ。
今日はユズが来る予定だったから、部屋は割と片付いていた。
ユズに頼んで押し入れのカラーボックスからバスタオルをいくつか出してもらい、カーペットの上に敷いてもらった。
その上に、そっと少女を寝かせる。
ベッドに寝かせるには、あまりにもビチャビチャだし……。
「トーマ、ちゃんと事情を説明して……」
ユズが頭を抱えて、溜息をついた。
「んーと……この子が空から降って来たんだ」
「はあ?」
「えっと……すぐそこなんだけど。あの、空き地があるところ。空を見上げたら、空に穴が開いて、光が洩れて……で、そこから落ちてきた」
「……」
どう考えてもこれ以上説明しようがない。
はたしてユズがこれで納得してくれるか疑問だったけど、意外なことにユズは何も言わず、じっと何かを考え込んでいた。
「……で、どうするつもりなの?」
「とりあえず、風呂に入れようかと。雨に濡れたから風邪ひくだろ」
「……」
ユズがげんなりした顔をする。
「そうじゃなくて、警察とか……」
「空から降って来たのに、警察って意味ないんじゃないか?」
「……まあ、確かに……」
そんな会話をしていると、女の子がゆっくりと目を開けた。
「あ……」
何となく遠巻きに見てしまう。
ものすごく可愛い女の子だということは分かっていたけど、目を開くととんでもない美少女だった。
ゆっくりと起き上がり、黒い大きな瞳でじっと俺達を見つめている。
「……××……」
女の子が聞いたこともない言葉を呟いた。……何語だろう?
ひょっとして、日本語が通じないんだろうか。
俺が少し驚いていると、ユズが少し前に出て少女とじっと目を合わせた。
今日はコンタクトをしているから、平気なんだろうか。
……だとしても、これはユズの行動としてはかなり珍しい。
そんなことを考えていると、ユズが
「……トーマ、彼女は自分がどこから来たのか全く分からないってさ」
と言った。
「へっ?」
「記憶がないんだって」
「名前も?」
驚いて聞き返すと、少女は微かな声で
「シ……ナ……」
と言った。
どうやら、俺たちの言っていることはわかるらしい。
ただ……自分の名前も、おぼろげみたいだ。
「シィナちゃんね。よかった、名前は憶えていて……。名前ないと不便だもんな」
俺が言うと、ユズは
「トーマのその何事にも動じないところは、本当に尊敬するよ……」
と半ば呆れるように言った。
そうは言っても……慌てたって何も解決しないしな。
何だかよくわからないときは、目の前のことを一つ一つ片付けた方がいい。
「とりあえず、お風呂に入った方がいいよな。俺、準備してくるよ」
俺はそう言って部屋を出た。
このアパートは一人暮らし用には珍しく、ユニットバスではなくちゃんと浴室とトイレが分かれている。
それが気に入ってここにしたんだよな。大学までは、ちょっと歩くけど。
浴槽を軽く洗ってお湯を溜め始め、部屋に戻る。
するとシィナが
「あ……がと……」
と言って、にこっと笑った。
「あれ? 言葉……」
「さっきは、記憶を失ったショックで言葉が出てこなかったらしい。トーマの喋りを聞いて、少し思い出したってさ」
「じゃあ……やっぱり日本人だよな」
「……」
ユズは、俺の問いには何も答えなかった。
それには重要な意味がある気がしたけど――ユズが話したくなるまで待つのが、何となく俺たちの間のルールになっていた。
だからこのときも、俺はユズにはそれ以上、何も聞かなかった。
シィナをお風呂に連れて行くと、全く知らなかったらしく不安そうに俺を見上げた。
どういう育ちなんだ?とは思ったけど、そもそも空から降ってきた女の子に育ちも何もないか、と深くは考えないことにした。
とりあえず服を着たまま頭だけは洗ってあげて、後は身体を洗って風呂につかるように言って、浴室を出た。
部屋に戻ると、ユズが
「……トーマって、本当に面倒見がいいよね」
とポツリと言った。
「そうか?」
「うん……。小学校の先生、本当に向いていると思う」
ユズは少し笑った。
思えば、大学に入ってからずっと暗い顔をしていたし、言葉数もかなり少なかった。
ユズがこんなに喋るのは、かなり久し振りのような気がする。
不思議な感じでシィナを拾ったから、不思議に強そうなユズに思わず頼ったけど、よかったのかも知れないな、と思った。
着替えがないことに気づいて、慌てて近所のコンビニまで走った。
正直、小学生とはいえ女子の下着を買うことについてはかなりの抵抗があったけど、ユズには到底無理だろうから、仕方がない。
そしてそのついでにおにぎりや弁当も買ってきた。
帰ってきた後、とりあえず約束通りユズと……あとシィナも一緒に、借りてきたDVDを見た。
シィナはテレビにもかなり驚いていたが、映画は面白かったらしく、楽しそうに笑っていた。
「……ところで、これからどうするかな?」
DVDも見終わって、俺はシィナを見ながら言った。
「まだ小さいとは言え、女の子だから……俺たちで預かるのはマズくないか?」
「……」
ユズは少し考え込んだ。
俺たち、と完全にユズを巻き込む表現をしたんだが、そこに異論はないようだった。
「誰か、同級生の女子に頼んだ方がいいのかな?」
俺がそう言うと、シィナが慌てたように俺の腕をぎゅっと握った。
そして俺を見上げてプルプルと首を横に振る。
少し泣きそうな顔にも見えた。
「……何だ?」
「トーマに懐いてるんだよ」
ユズが溜息をついた。
懐く? 俺に?
会ったばっかりなのに?
「僕も……他の人を関わらせない方がいいと思う」
「何で?」
「……」
ユズはそれには答えなかった。いつものルールで、どうやら聞いてはいけないらしい、とおとなしく口をつぐむ。
たっぷり考え込んでから、ユズはシィナの方を見た。
「……しばらく様子を見よう」
笑顔、とまではいかないものの穏やかな顔でシィナに話しかける。
シィナは俺の腕をぎゅうっと握り、こくんと頷いた。俺の顔を見上げ、ちょっとはにかみながら笑う。
信じられないが、本当にこの子は俺に懐いているらしい。
ここにいていいんだ、と安心したように見えた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
0
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる