トイレのミネルヴァは何も知らない

加瀬優妃

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1時間目 ストーカー問題

第2話 これは、ピンチ……?

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 超絶イケメンが私のことを知ってる!! 何か嬉しい!
 ……ってバカ、違う! 惑わされるな!

 浮かれる自分にアッパーを食らわせ引っ込ませる。はい、冷静な方の莉子、前に出てー。
 うーん、そもそも何でおばちゃんじゃないってバレたんだろう。しっかり顔は隠してたのに。

 何か焦点が合わない。ぼんやりとした新川透の顔をまじまじと見つめていると、目が合った彼が
「うっ」
と小さく呻いて口元に手を当て、視線をそらした。
 しかしそのまま何度もこちらをチラ見している。……ような気がする。

 何だ? 何だ? 笑いをこらえているのか?
 人の素顔を見て笑うとは失礼な奴だな。よく見えないんだから多少間抜け面でも仕方ないじゃん。
 うーん、眼鏡が飛んでよく見えない。そうだ、眼鏡はどこに……。

 眼鏡は新川透の足元に落ちていた。私が拾う前にさっと手を伸ばした彼が、眼鏡を持った瞬間
「重っ!」
と驚いたように声を上げた。

「レンズ分厚っ! 伊達眼鏡かと思ってたけど、違うんだ」
「本物の眼鏡です! どうも!」

 拾ってくれたから、一応お礼はね! 言うけどね!
 私はひったくるようにして彼の手から眼鏡を奪うと、すぐにかけた。
 新川透は私が眼鏡をかけたのを確認すると、にやりと口の端を上げた。

 しかし……本当にこれが、新川透だろうか。
 生徒達を相手にするときのような、聖人君子の笑顔はない。
 何というか……意地悪そう?

「ここで立ち話もなんだし、ちょっと外で話そう。昼飯奢るよ」
「結構です」

 こんな目立つ容姿の人と外でご飯とかあり得ない。それこそ月とスッポン、
「なあに? あの瓶底眼鏡」
「落差ひどーい」
「身の程知らず」
と、聞かなくていい陰口を食らい、スッポンはより惨めになるんですぅ。

 つまりは、いらん注目を浴びることになり、誰かに見つかってしまうかもしれない。
 それだけは、絶対に嫌だ。

「私はまだ仕事中で……」
「山田さんから、今日は午前上がりだって聞いてるけど?」
「っ!」

 山田のおばちゃん! 守秘義務はどうした!
 くっ……そんなところにまで手を回しているのか!
 きっと私の名前も、山田さんに聞いたんだな。

 うーん、完全に今日を狙ってたんだな。
 ミネルヴァのこともそうだけど、私がまだ若いってバレたのも非常に都合が悪い。
 彼は浪人生だけでなく、現役高校生も担当しているのだ。
 その中には当然、私の同級生だった子たちだっている。
 ……悔しいが、新川透の言う通りにするしかない。

「……わかりました」

 渋々頷くと、新川透はパッと顔を明るくして嬉しそうに頷いた。
 これから人を脅そうとしている人間の笑顔とは思えなかった。
 なんだか少年のよう……というか、無邪気な感じ。
 生徒相手の聖人君子スマイルとも、先ほど見せた意地悪スマイルとも違う。

 その後、予備校から少し離れたパチンコ屋の駐車場で落ち合う約束をし、私達はその場で別れた。

   * * *

 トイレのミネルヴァ……それは、予備校生たちのお助け女神。

 職員室や自習室、教室のある1階から6階は普段から人が行きかい、トイレの利用者も多い。
 しかし7階は式典や講演会をする大ホールがあるのみで、普段は扉にも鍵がかかっている。当然その7階のトイレも、他の階に比べるとめったに利用する人はいない。

 その7階の女子トイレに問題を置いておくと、トイレのミネルヴァが答えを教えてくれる――。

 それがこの予備校に通う女子生徒の間で広まったのは、今から2か月前の、6月頃のことだった。

 いやね、最初はほんの出来心だったんですよー。
 あれは……ゴールデンウィーク明けだったかなあ、7階の女子トイレに、プリントの忘れ物があってね。
 別にそれは珍しいことじゃないよ。予備校では余ったテストだとか書き損じのプリントだとかがしょっちゅう忘れられているから、たいていは捨てちゃうんだよね。名前が書いてあれば届けるけどさ。

 高認から大学受験を目指している私としては、そういうプリントって助かるんだよね。独学だとどれぐらい自分ができてるかもわからないし、予備校ではこんな問題をやっているのかあ、と参考にもなるしさ。

 でね、その日の忘れ物は漢字テストだったんだ。名前も書いてない、さらの状態。
 トイレ掃除が予定より早く終わって時計を見たら、仕事終了まであと10分。漢字テストも10分。上手い具合に胸ポケットにはシャーペンが入っていて。
 時間つぶしがてらやってみるかあ、って思ったのよ。

 それで真剣になってしまったのがマズかったね。廊下から数人の女子の声が聞こえてきて、もう焦っちゃって。
 掃除用具をガバッと右腕で掴み、『清掃中』の立札を左腕で抱えて、猛ダッシュ。声とは反対の職員用の階段へと大慌てで逃げ込んで。
 後ろめたさから声のする方は見なかったけど、2、3人の女子が何やらテンション高くきゃいきゃいと話してたみたいだったなー。
 
 でね、その書き込んだ漢字テストのことはすっかり忘れちゃったのよ。

 翌日、再び7階の女子トイレを訪れたら洗面台の上にはプリントがあって、そのときに初めて思い出した。
 昨日の漢字テストそのままになってたのか、と思いながら手に取ると、今度は数学のプリントに変わってた。その余白には『これはどうですか?』という小さな丸い文字が書いてあって。

 いんやもう、びっくりしたねー。
 だってこれって、昨日の漢字テストの持ち主からのコメント、だよね?
 どういうこと? 挑戦状? 私のことがバレてる? 
 まさか昨日の集団の誰かだった? だからって掃除のおばちゃんに思い至る?

 いろんなことが、頭をぐるぐると駆け巡った。

 何もせずに無視するのが一番いいってのは、わかってたんだ。
 そうすれば、あの漢字テストは何かの間違い、イタズラということになり、そのまま忘れ去られていくんだろうって。

 でも……結局、答えを書いちゃった。

 高校をやめてから、一年近く経つんだけどね。
 同年代の子たちが生き生きと学校生活を送ってるのを見ると「いいな」と思うし。
 同じプリントを解くことで、ちょっと仲間入りできた気分になれたし。
 あとやっぱりね……完全に日陰にいる私を見つけて声をかけてくれたことが、嬉しかったんだよね……。

 最初はその小さな丸文字の子だけだったけど、そのうち色々な女子に広まったみたい。毎日のように、7階の女子トイレにプリントが置かれるようになった。
 英語、国語、数学、日本史、物理、化学……。
   
 最初はさー、ビクビクしてたよ。掃除中や移動中に女子生徒と出くわすたびに、バレるんじゃないかと思ってひやひやしてさ。
 だけど彼女たちは私を掃除のおばちゃんと信じ切っているようで、声をかけることなんてなかったし視線を寄越すことすらなかったんだよね。

 いてもいなくても関係ない。誰にも認識されない存在。
 それが、現在の私。

 さ、寂しくなんかないよ? これはそういう話じゃなくて、ホッとしたって話ね。そっちだから。
 あ、でも、一度だけ私のことを話題にしている女子グループに遭遇したことがあるな。

「ねぇ、誰だと思う? ミネルヴァって」
「古手川さんじゃない? 東大進学コースの才女だし」
「でもさ、本人は違うって」
「そりゃ認める訳ないよー」
「でもさー、ミネルヴァ、文系教科は強いけど理系教科はちょっと弱いよね。前さ、1つ間違えてた」
「だっさー!!」

 悪かったな、ダサくて……。
 教えてもらった答えを丸写しするのはダサくないのか。
 まぁでも、『ミネルヴァ』やるようになったおかげで現状だと理数系教科が厳しい、ってわかったんだし、良しとするか。

 そんな感じで……最初の漢字テストから3か月が過ぎた。
 もう大丈夫だと安心しきっていて、私なりにこの毎日を楽しんでたんだけどなあ。まさか、新川透に見破られるとは。
 彼がなぜ私に目をつけたのか、そしてその目的は何なのか。
 とにかくそれを、知らなきゃ駄目だよね!
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