窓際の距離感 Side:明石忠明

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03.不良

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 ゴールデンウィークが明けた頃から、宇治川が不良っぽい生徒に呼び出されるようになった。明らかに初対面の相手だが宇治川は素直についていく。初めは動揺していたクラスメイトたちも、自分に害がないとわかるとスルーするようになった。
 そんなことが続いて1週間ほどしたときに日直だった忠明は日誌を持って職員室を訪れていた。放課後に荷物を置いたまま連れていかれた宇治川を待っているべきかどうか考えていると、日誌を受け取った飯野は中身の確認もそこそこに、「宇治川くんのことなんだけど」と話しかけてきた。

「明石くん、何か聞いてる?」

 本人に聞けばいいのにと喉まで出かかったがこらえた。

(飯野先生、宇治川にビビってるっぽかったもんな)
「おれが知ってるのは、仲良くおしゃべりしにいってるわけではないことだけですね。相手も知りませんし」
「時々、血がついてるじゃない? 先生、気が気じゃなくて」
「じゃあ自分でそう言えばいいじゃないですか」

 宇治川は根っからの不良というわけではないことは、1ヶ月ほどの付き合いで察している。何も言わずについていくのも、クラスメイトには何の関係もないと相手に示すためだろう。歩み寄りもしない教師に対して、どうしてこうも苛立ちが募るのか、自分でもわからなかった。

「……あ、うん。ごめんなさい」

 忠明から言い返されるとは思っていなかったのか、飯野は大きく瞬きをした。

「……あ、いや、私宇治川くんに嫌われてると思ってるんだけど、そういうのも、明石くん知らない?」
「あいつ、嫌うほど先生のこと知らないと思いますけど」

 飯野は少し考えこんで小さく頷いた。視線を床に落としたままきょろきょろと動かす。

(飯野先生の隈、けっこうすごいな)

 失礼だとは思いつつもじろじろと見ていると、ふわりとコーヒーの香りがした。

「知花ちゃん、コーヒー淹れたけど――……、あ、ごめん」

 国語教師の筒井が両手にマグカップを持って立っていた。飯野は忠明と同じくらいの身長だが、筒井はもう少し背が高く、忠明は見下ろされてしまう。こうして並ぶと、年の近いはずの二人だが飯野の方が全体的に疲れているような気がした。

(……宇治川みたいな不良がいることでの心労?)
「あ、大丈夫です。おれ、もう用事終わったんで。失礼します」

 飯野の宇治川への態度は、どこか違和感がある。それがなんなのかはわからないが、本能的にこの教師は信用ができないと忠明は思っていた。
 教室に戻っても、宇治川は不在のままだった。

(待っててくれとも言われてないしな)

 忠明が帰る準備を始めたとき、河合と木村、それに彼らが仲良くしている他の男子生徒に話しかけられた。

「明石くん、僕たち今日カラオケに行こうと思うんだけど行かない?」
「! 暇だし行きたい」

 頭の隅で宇治川を心配しつつも、いつまでもクラスで宇治川と共に孤立するわけにもいかないと思っていた忠明にとってはありがたい提案だった。

「宇治川くんも勇気出して誘ってみようと思ってたんだけどね」
「いや、山内は最後までビビってたじゃん」
「うるせぇな、仕方ないだろ」
「明石くんと話してるところを見ると、悪い人じゃないんだなとは思うんだけどね」

 河合がフォローになっていないフォローをする。

「うん、見た目で損してるけどいい奴だよ。誘いたくなったら誘ったらいいよ」

 忠明が言うと、木村がぎこちなく頷く。頭ではわかっていても恐怖を感じることはあるのかもしれない。押し付けるつもりはないと伝わるといいけど、と思いながら忠明はにこっと笑って話題を変えた。

「おれ、カラオケって初めてで楽しみ」
「え、初めて?」
「うん。中学のときはいっつもファミレスが定番だったな」
(つっても、中2までの思い出だけどな)

 心の中で自嘲的に補足を入れながら、山内が「カラオケのドリンクバーもいいぜ」というのに頷く。
 カラオケは駅前にあり、木村が慣れた様子で学割だとかドリンクバーつきだとかコースを指定する。他にも高校生がちらほらいて、第一高校の制服も見かけた。
 ドリンクバーで先に飲み物をとって部屋へと行く。河合に続いて薄暗い部屋に入った時、ドクンと心臓が大きく鳴った気がした。手足の先がしびれるような感じがし、呼吸が浅くなる。後ろにいた山内がドアを閉めようとしたのを止め、「ごめん、トイレ」と行って部屋を出た。

(え、なんだ今の。……昼ご飯食べすぎたかな)

 各部屋からの音漏れでうるさい廊下を通りトイレに行くと、ドクドクと激しく鳴っていた鼓動は落ち着き、冷えていた指先に血流が戻った気がした。
 部屋を見る。偏光シートを貼ってあるので中はクリアに見えないが、中の3人は和気あいあいと話している。

(あんなに、息がしづらかったのに……?)

 3畳ほどの部屋が、やけに狭く見えた。それとも実際に狭いのか。自分の感覚が正しいのかどうか、判断がつかなかった。深呼吸をして再び扉に手をかける。

「ごめん、待たせた」

 ドアに一番席にすとんと座る。ドアが閉まるにつれてぎゅうっと肺を掴まれたかのように呼吸ができなくなっていくが、初めて高校生らしい放課後の時間に誘われたのだ。忠明にとっては、今は自分の体のことよりもそっちが重要だった。

「明石くんって普段何聞くの?」
「えー、バンプとか……」

 3人に見られていることを意識すると、足が貧乏ゆすりのように揺れた。太ももの上に置いた手をぎゅっと握ると、汗でじっとりと湿ってきた。

「あ、暑いね」
「エアコン強くする?」
「ありがとう……」
(食べすぎじゃなくて、あたったのかな)

 30分程度で帰ろうと決めつつも、トイレに行けば少しは良くなっていたので結局2時間ほど粘り、なんとか他の3人と一緒にカラオケ店を出ることができた。
 家に着くころにはすっかり体調は良くなり、タイミングの悪さに自分の体のことながら納得がいかなかった。階段を上りきると、宇治川が手すりに寄りかかっていた。
 怪我らしい怪我は見当たらず、ほっと息をついて鍵を取り出した。

「来てたの? 連絡しろよ」
「ケータイ折られた」
「はあ? 弁償させろ」

 鍵を開けると宇治川は慣れた様子で上がりこんできた。換気のために窓を開けると、よどんだ空気が入れ替わって息がしやすい気がした。

「今日はな、河合たちとカラオケ行ってきたんだ」
「へぇ」
「宇治川も呼びたかったって」

 返事がないので振り返ると、宇治川はテーブルに突っ伏して寝ようとしていた。

「あっ、寝るな寝るな!」
「この家、寝やすい……」
「あー……寝るにしても、この前置いてった部屋着に着替えろ!」

 持って帰らせようと思っていた洗濯済みの部屋着を投げつけると、宇治川がのろのろと着替えだす。宇治川が服を脱ぐと、腹や背中に赤黒い痣と擦り傷がたくさんあった。

「お前、この怪我……!」
「寝れば治る」
「待ってろ。伯母さんとこから救急箱借りてくる」
「いいって」

 宇治川が制止しようとしたが、既に忠明は玄関を出ていた。伯母に電話をかけようとして、恵の電話番号に変更する。伯母に言えば、母にも伝わってしまう。

「あ、恵? 今家? 救急箱ってある? あ、いや、おれじゃなくて――……あ、そうだ。ミッツン。ミッツン、仲良くなったんだよ」

 順を追って説明しようと思うとそこからになってしまう。伯母のいる前で、金髪で鼻にピアスをしている男と仲良くなったとは言えなかった。
 家に着くと、恵は救急箱を持って外に立っていた。

「ママにはコンビニ行くって言ってきた」
「え、恵もくんの?」
「ミッツン、久しぶりに会いたいし」
「あいつ、中学の頃から喧嘩三昧だったの?」
「え、喧嘩? ツンツンしてるけど、そういうタイプじゃないよ」
「え? 完全に不良なんだけど」
「えー、それ、本当にミッツン? あたしの知ってるミッツンは優しくて、お母さんのことで落ち込んでた素直な子なんだけど」

 恵と話せば話すほど、別の人物の話をしているような気がした。
 忠明が家を出るときはテーブルに突っ伏していた宇治川だったが、戻ってみると堂々とベッドで寝ていた。

「うわぁ、髪染めたんだ。やんちゃになったね、ミッツン」
「おい宇治川、起きろ。消毒するから」

 もぞもぞと素直にお腹を出す。痛々しい怪我に恵は小さく息をのんだ。

「なんで喧嘩なんて……」
「よくわかんないんだよ。いっつも呼び出されてるのに応じてるだけで、自分から突っかかってはいないんだけど」
「それで、ミッツンは――」

 それまでも何度か呼ばれていたが、恵がミッツンと呼んだ時に宇治川は目を開いてがばっと起き上がった。あまりの勢いに折り畳み式のベッドがギシッと音を立てた。

「……明石?」
「久しぶりだね、ミッツン」

 服をぐっと引っ張り怪我を隠す。

(あ、そっか、好きな女に怪我とか見られたくなかったよな)

 そこまでは気が回らなかったので素直に申し訳なく思っていると、宇治川はボソリと「元気か?」と聞いた。

「あ、うん。大木とも同じクラスだし、仲良くやってる」
「……そうか」

 大木というのは知らない名前だが、恵の好きな男の名前だろう。確かに好きな男の話を聞かされると以前言っていたが、ここまであけすけだとさすがに宇治川が不憫になった。

「ありがとな、恵」

 救急箱を片付け、軽く恵の背中を押す。これ以上、宇治川の傷を増やすわけにはいかなかった。

「あ、ミッツン! また今度ゆっくり話そうね!」
「おう」
「送るか?」
「大丈夫だよ」

 恵を見送ると、忠明は「あー」と声を漏らした。

「ごめんな、恵に怪我見られるとか嫌だったよな」
「まぁ、明石とか関係なく引かれるだろうから見せたくはないけど……。……消毒してくれてありがとな」
「何したら、そんなこと……」
「さぁ? 髪染めたから?」
「制服のボタン全部留めてる奴が髪染めただけで殴られるわけないだろ」

 普段から身だしなみには気を使う宇治川を揶揄するつもりだったが、「殴られる」という言葉を使った途端、なにか引っかかった。

「見えないとこだけやられてんのかよ」
「そうだな、意外と陰湿だよな。あいつらが飽きるまでのちょっとの辛抱だよ」
「でもそんなの、相手が負けたらそれを口実にまた――……」

 そこまで言ってはじめて、宇治川が報復の報復がないと自信を持っていることに気付いてサァッと血の気が引いた。喧嘩ではなく、理由もなく、一方的に暴行を受けているのだ。

「なんでやり返さないんだよ!」
「やり返して、お前とか河合とか木村に矛先が向いたらどうすんだよ。俺の後ろに座ってる衛藤なんか、女子だぞ」

 絶句していると、宇治川がもぞもぞと布団をかぶって背中を向けた。

「眠い」
「飯作るから、その間は寝てていいけど食ったら帰って寝ろよ」
「んー」

 生返事が返ってきた。忠明が作れる料理は肉野菜炒めだけだが、宇治川は気に入ったようで時々材料を買ってきて忠明の家の冷蔵庫に詰め込んでいる。肉が焼ける音が野菜を入れると変わっていく。そこに塩コショウを振ると、野菜の水分がご飯に合うスープを作る。一人分だったらご飯の上にのせてしまえばご飯が汁を吸っておいしそうだが、二人分なので仕方なく皿に盛りつける。

(宇治川の件は飯野先生に言っても……頼りにならなそうだな……)

 ご飯をよそいながら考えていると、宇治川が起きて顔を洗い出した。

「……料理作れんのいいなぁ」
「おれはこの肉野菜炒めだけで時々家で料理当番を担当してたからな」

 一人暮らしをして初めてレパートリーが少なくて困るということに直面したわけだが、実家では基本は母が料理をして時々頼まれる分には問題なかった。

「俺もやってみようかな。お袋がいなくなってからカップ麵ばっかだし」
「あー、言ってたな。一緒に料理部とか入ってみるか?」
「女子ばっかりだろ、やだ」

 普通に雑談をできていることにほっとしながらも、忠明はまだ考えていた。



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