ニャル様のいうとおり

時雨オオカミ

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壱の怪【脳残し鳥に御用心】

「彼女はそれを望んでいる」

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「っはぁ、はぁ……」

 一気に疲れが体を襲い、跪く。
 脳の指令が切れたからか、青凪さんの体はゆっくりと崩れ落ちてコンクリートの床に倒れていく。

「あお、なぎさん!」

 あれでは怪我をしてしまう。
 そう判断し、彼女の脳が入った鳥の死骸を掴んで駆け寄った。
 彼女の脳は生きている。生きているのだ。怪異に攫われてしまったが、どうにか元に戻すことはできないだろうか。
 しかし、俺には手術なんてできないし魔法が使えるわけでもない。
 あいつに縋るような目線をやっても面白そうにこちらを見て…… 近づいて、きた? 

「私なら、彼女の脳を元に戻すことができるけれど…… お前はどうしたい?」

 目を猫のように細めて奴が言うのは、ひどく甘美な誘いだった。

「お、れは……」

 彼女の青味がかった黒髪をそっと触れる。
 紫堂君も、黄菜崎君も、緑川さんも助けることができなかった。
 それならばせめて彼女だけでも。そう心の中で呟く。

「ほらほら、時間がないよ?」

 にやにやとした笑みを浮かべる奴の誘いは、怪しすぎる。
 だけれど、それでも助けられる命があるのに放っておくなんてこと、したくないと俺の良心が叫んでいるのだ。

「…… ぅ」
「え?」

 俺が迷いながら拳を握りしめると、彼女の瞼が震えて薄っすらと開かれる。
 その黒い目に光はなく、どこか虚ろで暫く視線を彷徨わせたかと思うとこちらを捉えた。

「なんで……」
「ははっ、鳥の機能が少し…… 残って、いるらしい……」

 自嘲するように彼女が枯れた声を出す。

「鳥の意識は、死んでる、から…… 私、の意識が表に、出てこれたみたいだよ」

 その言葉に少しだけ希望を持って、女の子だとか年下だとか考えもせずにその手を両手で持ち上げ、握り込む。

「ぜ、絶対に助けてみせるから! だからもう少し辛抱しててくれ! だからさ!」

 その状態のままあいつの顔を窺い見る。
 あいつはそんな俺の表情を面白そうに見つめてから 「お前が望むならやってあげてもいいよ?」 と相変わらず蕩けるような笑みで言った。
 しかし、その言葉を聞いて僅かに眉を顰めた彼女が 「いや、待て」 と制止する。

「待てって言われても、早くしないと死んじゃうんだぞ!?」

 俺の言葉に目を見開き、そして伏せた彼女は言いにくそうに唇を震わせてその言葉を絞り出す。

「ねえおにーさん……」
「な、なんだ?」

 悲痛な表情の彼女に嫌な予感を感じつつ握った手を更にぎゅっと、握りしめて声を聞き取りやすいように少し身を屈めた。

「お願いだよ…… そんなことを言わずに…… 私を、殺してくれ」

 頭が真っ白になった。

「ど、どうしてだ? やけになってるんだったら……」
「そんなこと、ない…… 予感が、するんだ。なあ、神内さん…… 私が助かったら…… 私は、どうなる? 知って、いるんだろう?」

 虚ろな目に涙が溜まっていく。
 それを動かせない体で拭えるわけもなく、彼女の頬に雫が滑った。

「…… くふふ、お前の予感は当たっているだろうね」

 その不吉な笑い声に、彼女は 「そうだろうね」 と返す。
 分かっていないのはどうやら俺だけだ。

「どういうことだよ! 説明してくれなきゃ分かんないだろ!」

 叫ぶ俺にあいつは 「くふふ」 と嘲るように笑って親切そうに言葉を紡いでいく。

「脳を元に戻しても、一生目覚めないかもしれないし、目覚めたとしても重度の障害と波のある発狂症状が起こり続けるだろうね。そうしたら意識なんてなく、周りの人に危害を加えるだろう。くふふ、植物状態が一番マシだけれど、それでも親族の負担にはなるだろうね? 一生目覚めるかも分からない娘のためにお金をかけて、そして精神的に疲弊していく。目覚めたとしても発狂する娘に絶望して自殺しちゃうかもね?」

 絶句。その一言だった。
 こいつはそれを隠したまま彼女の蘇生を俺に判断させるつもりだったのか。

「で、でも、死ぬよりはマシだろ!?」

 俺の言葉に奴は冷めた目で見るばかり。
 彼女は 「ふふ」 と笑って目を伏せた。

「なら、やはり、死んだほうが…… マシさ」
「そんなこと言わないでくれよ、青凪さん……」

 俺はどこかで昔のクラスメイトのことを思っていたのかもしれない。
 助けることのできなかったあいつら。馬鹿やって、楽しかった学生生活。一瞬で崩れた信頼関係。正気を失ったあいつらの表情、行動…… そして、絶望。

 救いたかった。助けたかった。

 それを、彼女で代用しようとしてるんじゃないか? あいつの冷たい目はそうやって俺を責め立てているように見えた。

「くふふ、無理矢理生かされるのってそんなにいいことなのかな? 
 誰かの迷惑になるくらいならいっそ死んだほうがどちらも幸せになれるんじゃない?」

 甘言は手の平を返し、俺の心を揺さぶる言葉に。
 そして、青凪さんの決意を固めていくようにあいつは言葉を選んで誘導していく。

「以前と同じ行動も思考も出来ずにただ暴れるだけだなんて、それって生きてるって言うのかな? それこそ殺してあげたほうが親切なくらいだ」

 彼女が目覚めることがなければ、きっとあいつは真実も告げず蘇生したに違いない。
 奴が説得している相手は俺じゃない。彼女だ。

「〝 彼女はそれを望んでいる 〟お前に望んでいるよ」

 沈んでいく。彼女の瞳は深海のように黒く、深くなっていく。
 それは、きっと深い絶望。

「お前の手で殺されることを、望んでいるよ」

 彼女の目が懇願するようにこちらへ向く。
 やめてくれ。そんな目で見ないでくれ。

「ねえ、お前はどっちを選ぶの…… ?」

 優しく語りかけられる言葉がかえって怖い。
 呼吸が荒く、息が苦しい。
 そんなものを俺に選べというのか? 無理だ。俺にはできない。
 俺はきっぱり選べるほど強くなんかないし、酷いことを言うがそんな責任なんて、とりたくない。俺は弱い人間だ。無理に決まっている。

「おにーさん……」

 嫌だ、嫌だ、嫌だ! 

「俺は…… 、俺は、それでも、できねぇよ!」

 握っていた手を離して床を叩く。
 ゴリッ、と鈍い音がして拳から血が流れた。

「そう…… くふふ、優しさってときに残酷だよね」

 バタバタ、と耳元で羽音が聞こえた気がして振り返る。
 なにもいない。

 ギャア! 

 再び、耳元で聞こえた。

「ぅ、わ、ああああああ!?」

 手元に置いていた赤竜刀を防御のために咄嗟に構える。
 そうして刀に自らぶつかってきたそれは、赤い血を撒き散らしながら〝 再び 〟倒れていく。
 ばっさりと切れた青味がかった黒髪が宙を舞ってひらひらと落ちていくのが視界の端に映った。

「あ……」

 首元を斬り裂かれて彼女の服が首かけエプロンのように真っ赤に染まっていき、ピチャン、と何かの雫が滴り落ちていく。

「ばかだなぁ、おにーさん…… は」

 ぎゃあ、と鳥の声を真似るように呟いて彼女は笑う。


 ―― 特技は、怪異譚を集めることと、動物の鳴き真似、かな。


「あ、な、なんで……」

 自ら構えられた刀に首を滑らせて彼女は崩れ落ちていく。
 その身を真っ赤に染めて。その顔に笑みを浮かべて。
 まるで満足そうに、嬉しそうに…… 〝 ありがとう 〟とでも言うように。

「おにー、さん、のせい…… じゃ、ない…… よ」

 その鮮やかな飛沫が目の前を過ぎ去ってビチャリと音を立てた。
 その行方を辿り、頬を触ればどろりとした〝 それ 〟が手についたのが分かる。

「う、嘘だ……」

 彼女はもう動かない。

「嘘だ」

 彼女はもう話さない。

「うそだ」

 彼女はもう目を開けない。

「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だぁぁぁぁぁぁぁ!」

 倒れた彼女から血溜まりが広がっていく。
 そして満足そうに俺の頬を撫で、哄笑するあいつの声を背景に、ぷつりと、俺の意識は途切れた。





 ◆





「さてと、れーいちくんの可愛い顔も見れたことだし、帰ろっか」

 気絶した彼を担いでそいつ…… 神内が独り言を呟いた。

「脳は置いといてっと」

 鳥の死骸だけを一箇所に集め、神内は満足そうに頷く。
 するとずるり、と床の一部から巨大な顎が現れて鳥の群れを一飲みに口の中へと収めていった。
 その口はばぐん、と閉じて暫く骨を砕くような凄惨な音を口の中で響かせると次第にその姿を床から生やしていき、ついには大きな狼の姿をとる。
 その姿は巨大で、背に生えたタテガミのような蛇がうねうねと蠢いた。

「後始末ご苦労様」

 神内が携帯電話を片手に言うとその巨大な狼は鋭い目線を彼へと向け、眉を顰めるようにグルルと唸り声をあげる。

『ああ? なんでてめぇがいるんだよ。仕事の依頼があったと思ったらキチガイと遭遇するとか俺様ついてねーな』

 器用に狼の口から発せられた言葉に神内が 「これこれ」 と携帯電話を指差してにっこりと笑う。
 それに狼は 『あの依頼お前かよ』 とげんなりとした表情になる。

「そうそう、そこの脳は置いていってよ」
『あー? …… ああ、神隠し扱いになるよかマシな処理か』

 どこか納得したように狼は呟くと、その場に残った女性の遺体を優しく咥えてまた足元からずぶずぶと床に沈んでいく。

『じゃーなヒトデナシ。もう呼ぶなよ』
「じゃあね番犬。またよろしくね」

 ―― その狼の頭は、三つあった。





「さて、これで仕上げだね」

 嬉しそうな声で玄関に貼ってあったポスターに、見つけたマジックペンで書き直しながら神内は妖しげに笑う。



【脳残し鳥に御用心】


 書き換えられたポスターは、風によって悪戯に揺れていた。
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