モブでいたはずの私が、ただひとりに溺愛されるまで

ChaCha

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辺境訓練の現実

翌朝から、空気が違っていた。

夜明け前の冷たい風が、肌を刺す。
城内の訓練場に集まる騎士団と訓練参加者たちの表情は、学園で見てきたそれとはまるで別物だった。

軽口はない。
笑顔もない。
あるのは、研ぎ澄まされた緊張と、静かな覚悟だけ。

――ここは、辺境伯領。

我が家の領地は、魔の森を抱え、巨大な湖を越えれば隣国と接し、さらに未踏破の天然ダンジョンまで点在している。
陸の魔物だけじゃない。水棲魔物、飛行系、群れで襲う獣型。

つまり。

戦場が、日常だ。

城下には冒険者ギルドがあり、武器屋、錬金術師、行商人、そして戦いに慣れた領民たちが暮らしている。
規模だけ見れば、王都に劣らない。

……なんて言ったら、父に怒られるかもしれないけど。

それだけ広いということは、それだけ守るものが多いということだ。
賊の討伐も、魔物の排除も、「特別な任務」じゃない。

当たり前の日常。

誰だ。
学園の外は平和だなんて思ったやつ。

現実は、こんなもんよ。

「現実はね……過酷なもんよ……」

ぼそっと呟いた私の横で、ヴィルが肩を竦めた。

「またなんか言ってる」

いつものやり取り。
なのに、今日はその声が少し低い。

今日は、実戦。

辺境訓練という名の、本物の戦場。

訓練場の壇上に、指揮官たちが上がる。
その中に――私は、自然と視線を向けていた。

エルンスト。

騎士たちの中でも、一段と目を引く立ち姿。
鎧に身を包み、無駄のない動きでそこに立つ姿は、学園で見ていた彼よりも、ずっと現実的で、ずっと遠く感じた。

紹介と挨拶が始まる。

彼の名が呼ばれた瞬間、周囲の空気がわずかに引き締まるのがわかる。
信頼されている。
それが、はっきりと伝わってくる。

その横で。

ヴィルの雰囲気が、がらりと変わった。

背筋が伸び、呼吸が浅くなり、纏う圧が重くなる。
いつもの幼馴染じゃない。
辺境伯領の騎士としての顔。

「……ヴィル?」

思わず声をかけると、彼は一瞬だけこちらを見た。
その瞳は、真剣で、少しだけ焦りを含んでいた。

「アイナ……俺から離れるなよ?」

低く、強い声。

冗談でも、軽口でもない。
命令に近い響き。

理由を聞こうとして、言葉が喉に詰まった。
今は、聞くべきじゃない。
そう直感が告げていた。

「……うん」

頷くことしか、できなかった。

私の視線は、再び壇上へ戻る。
エルンストは前を向いたまま、微動だにしない。

でも――

なぜか、ほんの一瞬。
こちらを見た気がした。

錯覚かもしれない。
それでも、胸の奥がきゅっと締まる。

これは、学園の延長じゃない。
恋を眺める場所でもない。

命を守る場所。
奪われないために、戦う場所。

そして私は、もう「モブ」でいるつもりはない。

エルンストの隣に立つ未来を、はっきりと意識してしまったから。

重たい空気の中、指揮官の号令が響く。

辺境訓練、開始。

――ここからが、本当の現実だ。



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