モブでいたはずの私が、ただひとりに溺愛されるまで

ChaCha

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違和感と疑心

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視界から、消えた。

その瞬間、エルンストの思考は凍りついた。

――いない。

ほんの一瞬。
煙と土埃、魔力の残滓が視界を遮っただけだ。
だが、その一瞬で、確かに――アイナの姿が消えた。

「……アイナ?」

声が、低く漏れる。
戦場で名前を呼ぶ愚を、彼は理解している。
それでも、抑えられなかった。

胸の奥が、ひどく冷える。

守ると決めた。
傍にいると決めた。
それなのに。

「……くそ」

剣を振るいながら、視線は無意識に彼女を探している。
治癒魔術の光。
あの独特の、白に淡い色が混じる気配。

――ない。

背筋を、嫌な予感が走った。

配置は崩れていない。
撤退命令も出ていない。
それなのに、彼女だけがいない。

(おかしい)

冷静になれ、と自分に言い聞かせる。
混戦だ。視界が悪い。偶然だ。
そう、偶然であってほしい。

だが。

エルンストは、違和感を覚えていた。
ずっと前から。
ほんのわずかな、判断の遅れ。
僅かな誘導のズレ。
魔物の流れが、不自然に“こちら側”へ来る瞬間。

そして――
アイナがいなくなった、この瞬間。

視線が、自然と一人の男を捉える。

ヴィル。

彼は剣を振るいながらも、どこか落ち着きすぎていた。
必死さがない。
焦りがない。

それが、戦場では異常だった。

(……まさか)

その考えを、エルンストは一度、振り払う。
証拠がない。
疑うには、理由が足りない。

だが――
胸の奥で、確信に近いものが芽生え始めていた。

一方。

アイナは、いた。

本隊からわずかに外れた場所。
木々に遮られ、戦場の喧騒が少し遠のく空間。

足は、震えていない。
呼吸も、乱れていない。

自分でも驚くほど、冷静だった。

(……落ち着け)

心の中で、何度も繰り返す。
気づかないふりをする。
理解しないふりをする。

そう決めた。

「治癒魔術、展開します!」

本隊に戻ったふりをして、声を張る。
手は、正確に動く。
魔力も、乱れていない。

でも。

胸の奥だけが、ざわついていた。

さっき、見た。

ほんの一瞬。
ヴィルの瞳が、こちらを捉えた。

――獲物を見る目。

それが何を意味するのか。
考えたくない。
考えてはいけない。

(違う……気のせい)

自分に言い聞かせる。
ヴィルは幼馴染だ。
守ってくれる人だ。

そう、信じてきた。

だから、平静を装う。
治癒を続ける。
誰にも悟られないように。

そして、ヴィルは。

剣を振るいながら、内心で笑っていた。

――踏みとどまった。

本当に、ギリギリだった。

今なら。
誰も見ていない。
誰も気づかない。

腕を伸ばせば、触れられた。
抱き寄せれば、奪えた。

その一歩を、踏み出さなかった。

理由は、単純だった。

アイナの瞳。

恐怖を抱えながらも、必死に平静を保とうとする、その色。
怯えているのに、信じようとしている、その表情。

それを見た瞬間。

胸の奥が、ひくりと歪んだ。

――後悔。

同時に。

――悦び。

(……ああ)

ゾクッと、背筋が震える。

自分が、彼女に影を落とした。
自分の存在が、彼女の心を揺らした。

それが、たまらなく――

「……やべぇな」

小さく呟く。
誰にも聞こえない声で。

一線は、越えていない。
だが、もう後戻りはできない。

エルンストは、確信し始めていた。
ヴィルは、危険だ、と。

アイナは、気づかないふりを続けていた。
だが、心は、確かに震えていた。

そしてヴィルは。

その震えを、愛おしく思ってしまった自分を、
もう、否定できなくなっていた。




戦場は、終息へ向かっていたが
――不穏な戦いは続いていた。



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