モブでいたはずの私が、ただひとりに溺愛されるまで

ChaCha

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君が来なかった日

遅れた。

ほんの、少しだけのはずだった。
騎士科の上級生に捕まって、訓練の反省点を聞かれて、対応が長引いただけだ。
それだけなのに、胸の奥がやけにざわついている。

――急ごう。

足を速める。
夕暮れの学園は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返り、回廊に伸びる影だけがゆっくりと長くなっていく。

ここを抜ければ。
いつもの時間。
いつもの、はずの場所。

俺の足は、自然とそこへ向かっていた。

(待っているはずだ)

俺を見つけて、少し驚いたように目を見開いて。
それから、ふっと力の抜けた笑顔を浮かべる。

「遅いですよ」
そう言いながらも、どこか嬉しそうで。

――そんな顔が、当たり前になっていた。

角を曲がる。

……いない。

一瞬、思考が止まった。

(……あれ?)

視線を走らせる。
夕風に揺れる木々。
魔法灯の淡い光。
誰も、いない。

俺は無意識に歩みを止め、そこに立ち尽くした。

来ていない?
それとも、もう帰った?

いや、いつもなら――
俺が遅れても、少しは待っているはずだ。

胸の奥に、冷たいものが落ちる。

「……」

小さく息を吐いて、腰を下ろした。
鎧を脱いだ後の体は疲れているはずなのに、じっとしていられない。

時間が、やけに遅く感じる。

風の音がする。
遠くで誰かの笑い声が聞こえる。
学園は、変わらず日常を続けている。

――俺だけが、取り残されているようだった。

(どうしてだ)

理由を探す。

訓練がきつかった?
体調が悪かった?
それとも――

考えが、最悪の方向へ転びそうになって、歯を食いしばる。

違う。
彼女は、そんな理由も言わずに消える人間じゃない。

それでも。

来ない。

約束を交わしたわけでもない。
明確な言葉があったわけでもない。

それなのに、
「来るはずだ」と思っていた自分がいる。

――思っていた以上に、依存している。

その事実が、胸を締めつけた。

鐘の音が、空気を震わせた。

帰寮を告げる合図。

結局、最後まで彼女は現れなかった。

俺は立ち上がり、しばらくその場を見つめてから、踵を返す。

馬車の待つ方角へ向かう道は、いつもより暗く感じた。

(……情けないな)

ただ会えなかった、それだけだ。
それだけなのに、心がこんなにも騒ぐ。

自分でも驚くほど、
彼女が生活の中に入り込んでいる。

馬車に乗り込み、扉が閉まる。

揺れ始めた車内で、ぽつりと独り言が零れた。

「……来年から、寮に入るか」

理由は、いくらでも後付けできる。
学園への距離。
騎士としての立場。
訓練効率。

けれど、本当の理由は――

会えない時間に、耐えられない。

彼女が来なかった、それだけで。
こんなにも心が乱れるなら。

もう、認めるしかない。

俺は、完全に――
アイナに、囚われている。

次は、待たせない。
いや、待たせる前に、俺が行く。

そう、静かに決めた夜だった。





エルンスト視点
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