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何かを逃した感覚
ベルが鳴った。
その音を合図に、身体が自然と動く。
騎士科の授業が終われば、次は治癒魔術科の教室へ向かう。
それは、もう癖のようなものだった。
――今日も、迎えに行く。
廊下へ出た瞬間、空気が妙に重いことに気づいた。
人は多い。音もある。いつもと何も変わらないはずなのに。
(……なんだ?)
理由のわからない違和感が、皮膚の内側をなぞる。
一歩、また一歩と進むたびに、胸の奥がざわついた。
早足になる。
治癒魔術科の教室が見えてきた、その時――
ふっと、何かが抜け落ちた感覚がした。
音が、遠のく。
視界の端が、微かに歪む。
(……今のは、なんだ)
足を止める。
息を吸う。
それでも、胸の奥のざらつきは消えない。
教室の前に立ち、扉の横から中を覗く。
――いない。
アイナの姿が、ない。
(……は?)
一瞬、思考が止まった。
見落としたのかと思い、もう一度、今度ははっきりと見渡す。
机。
窓際。
後方。
――いない。
(……どこだ)
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
おかしい。時間的には、まだここにいるはずだ。
もう一度、教室全体を見回す。
視線を低く、高く、丁寧に。
――やっぱり、いない。
喉の奥が、ひくりと引き攣った。
(なぜだ)
考えようとするのに、頭がうまく回らない。
理由はいくらでも考えられるはずなのに、言葉が浮かばない。
足を動かそうとする。
追いかけようとする。
――動かない。
床に縫い止められたみたいに、足が重い。
一歩も踏み出せない。
心臓の音が、急に大きくなった。
どくん、どくん、と不規則に跳ねる。
(……おかしい)
喉の奥が詰まる。
気持ち悪い。
視界が、揺れた。
次の瞬間、強い吐き気が込み上げてきた。
「……っ」
反射的に口を押さえ、廊下を外れる。
誰も見ていない場所へ、ふらつくように歩き、トイレに駆け込んだ。
洗面台に手をつき、前屈みになる。
――吐いた。
胃の中が、空っぽになるまで。
喉が焼けるような感覚が残る。
「……はぁ……はぁ……」
呼吸が荒い。
額に、冷たい汗が滲んでいる。
水で口をすすぎ、顔を上げる。
鏡に映った自分の顔は、ひどく青ざめていた。
(……落ち着け)
大丈夫だ。
これは、ただの勘違いだ。
きっと、教師に呼ばれた。
あるいは、先に移動しただけだ。
治癒魔術科は忙しい。そういうことも、ある。
(そうだ……それだけだ)
無理やり、理由を当てはめる。
そう思い込まなければ、立っていられなかった。
(次は……いる)
次の授業。
次の休み時間。
食堂。
次には、必ず、いつもの場所にいる。
――いる、はずだ。
そう言い聞かせながら、ゆっくりと背筋を伸ばす。
まだ、胸の奥に残るざらつきには目を向けない。
見ない。
考えない。
それが、一番安全だと、本能が告げていた。
(大丈夫だ)
もう一度、そう呟く。
だが、その言葉は、鏡の中の自分にすら届かなかった。
胸の奥に、ぽっかりと空いた穴。
そこから、冷たい闇が、じわじわと滲み出してくる。
――何かを、確かに、逃した。
「…はは…嘘だろ……」
乾いた笑いが出た。
理由はわからない。
証拠もない。
それでも。
取り返しのつかない何かが、
自分の知らないところで、決定的にずれてしまった。
そんな予感だけが、重く、暗く、心に沈んでいった。
ヴィル視点
その音を合図に、身体が自然と動く。
騎士科の授業が終われば、次は治癒魔術科の教室へ向かう。
それは、もう癖のようなものだった。
――今日も、迎えに行く。
廊下へ出た瞬間、空気が妙に重いことに気づいた。
人は多い。音もある。いつもと何も変わらないはずなのに。
(……なんだ?)
理由のわからない違和感が、皮膚の内側をなぞる。
一歩、また一歩と進むたびに、胸の奥がざわついた。
早足になる。
治癒魔術科の教室が見えてきた、その時――
ふっと、何かが抜け落ちた感覚がした。
音が、遠のく。
視界の端が、微かに歪む。
(……今のは、なんだ)
足を止める。
息を吸う。
それでも、胸の奥のざらつきは消えない。
教室の前に立ち、扉の横から中を覗く。
――いない。
アイナの姿が、ない。
(……は?)
一瞬、思考が止まった。
見落としたのかと思い、もう一度、今度ははっきりと見渡す。
机。
窓際。
後方。
――いない。
(……どこだ)
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
おかしい。時間的には、まだここにいるはずだ。
もう一度、教室全体を見回す。
視線を低く、高く、丁寧に。
――やっぱり、いない。
喉の奥が、ひくりと引き攣った。
(なぜだ)
考えようとするのに、頭がうまく回らない。
理由はいくらでも考えられるはずなのに、言葉が浮かばない。
足を動かそうとする。
追いかけようとする。
――動かない。
床に縫い止められたみたいに、足が重い。
一歩も踏み出せない。
心臓の音が、急に大きくなった。
どくん、どくん、と不規則に跳ねる。
(……おかしい)
喉の奥が詰まる。
気持ち悪い。
視界が、揺れた。
次の瞬間、強い吐き気が込み上げてきた。
「……っ」
反射的に口を押さえ、廊下を外れる。
誰も見ていない場所へ、ふらつくように歩き、トイレに駆け込んだ。
洗面台に手をつき、前屈みになる。
――吐いた。
胃の中が、空っぽになるまで。
喉が焼けるような感覚が残る。
「……はぁ……はぁ……」
呼吸が荒い。
額に、冷たい汗が滲んでいる。
水で口をすすぎ、顔を上げる。
鏡に映った自分の顔は、ひどく青ざめていた。
(……落ち着け)
大丈夫だ。
これは、ただの勘違いだ。
きっと、教師に呼ばれた。
あるいは、先に移動しただけだ。
治癒魔術科は忙しい。そういうことも、ある。
(そうだ……それだけだ)
無理やり、理由を当てはめる。
そう思い込まなければ、立っていられなかった。
(次は……いる)
次の授業。
次の休み時間。
食堂。
次には、必ず、いつもの場所にいる。
――いる、はずだ。
そう言い聞かせながら、ゆっくりと背筋を伸ばす。
まだ、胸の奥に残るざらつきには目を向けない。
見ない。
考えない。
それが、一番安全だと、本能が告げていた。
(大丈夫だ)
もう一度、そう呟く。
だが、その言葉は、鏡の中の自分にすら届かなかった。
胸の奥に、ぽっかりと空いた穴。
そこから、冷たい闇が、じわじわと滲み出してくる。
――何かを、確かに、逃した。
「…はは…嘘だろ……」
乾いた笑いが出た。
理由はわからない。
証拠もない。
それでも。
取り返しのつかない何かが、
自分の知らないところで、決定的にずれてしまった。
そんな予感だけが、重く、暗く、心に沈んでいった。
ヴィル視点
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