モブでいたはずの私が、ただひとりに溺愛されるまで

ChaCha

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俺にとって危険な女

――まずい。

自覚した瞬間には、もう遅かった。

頭が熱い。
身体も、心も、魂も。
ぐるぐると、中心を失って回っている。

円の中に立つ彼女を見た、その時からだ。
いや、違う。
本当はもっと前から――日々、少しずつ、確実に。

アイナの香りが、ふっと鼻腔を満たす。
確かに彼女だと分かる匂い。

治癒の気配。
生きている証。
熱を帯びた魔力の残滓。

それだけで、喉が渇く。

(……危険だ)

自分が、自分でなくなる感覚。
理性が、薄氷の上で軋む音がする。

彼女の頬に触れた指先。
耳にかかった髪を払った時の、かすかな体温。
額。
頬。
唇。

触れただけだ。
それ以上は、していない。

していない、はずなのに。

潤んだ瞳。
逃げない視線。
それどころか、絡め取るようにこちらを映す。

息が、乱れているのが分かる。
彼女の吐息が、熱を帯びて、俺の指にかかる。

――煽っている。

無自覚で。
残酷なほど、無防備に。

(分かっているのか……?)

今、自分がどんな顔をしているか。
どんな空気を放っているか。

ぷっくりとした唇。
言葉を紡ぐ前の、わずかな開き。
そこから零れ落ちる吐息。

欲しい、と。
抱いてほしい、と。
そう言っているようにしか見えない。

俺は、両手で顔を覆った。
そのまま、天を仰ぐ。

――落ち着け。

これは、罠だ。
本人にそのつもりはなくても、確実に。

狩る側と狩られる側が、いつの間にか入れ替わっている。


白くて、柔らかくて、怯えているようで。
けれど、気づけばこちらの喉元に歯を立てている。

危険な女。

俺にとって、これ以上なく。

扉が鳴った瞬間、現実に引き戻された。
騎士科の生徒。
忘れ物。
雑音。

――助かった。

その事実に、内心で苦く笑う。

「治癒をありがとう」

わざと、距離を作る言葉を選んだ。
声も、表情も、騎士としてのそれに戻す。

彼女も、すぐに理解した。
切り替えが早い。
それもまた、危険だ。

「いえ。治って良かったです」

完璧な返答。
誰が見ても、ただの学園の一場面。

週末の約束。
短いやり取り。
それだけで、また胸が熱くなる。

――これ以上は、踏み込むな。

自分に言い聞かせる。
何度も。

まだだ。
今ではない。

彼女を、怖がらせたくない。
逃がしたくない。

だから、選ばせる。
時間をかけて。
彼女自身の意思で。

だが――

(本当に、それで耐えられるのか?)

問いが、胸の奥で燻る。

指先に残る、彼女の熱。
視線に残る、潤んだ色。
吐息の余韻。

すべてが、俺を試している。

危険だ。
あまりにも。

それでも。

(……欲しい)

この感情を、否定するつもりはない。

彼女が俺にとって“危険”であるなら。
俺は、喜んでその危険を抱え込む。

理性の檻の中で、牙を研ぎながら。

――覚悟は、もうできている。

君が気づく、その日まで。





エルンスト視点
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