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逃げ場のない昼食
店内は、昼どき特有の賑やかさに満ちていた。
木のテーブルが並び、食器の触れ合う音と笑い声が柔らかく混じり合っている。
外の冷たい空気を忘れさせる、少し甘い匂い。
治癒魔術科B班は、いつもの調子で席に着いた。
円卓に近い配置で、自然と距離が近い。
「じゃあ俺これ!」
「えー、それ重くない?」
「平気平気、午後動くし」
メニューを覗き込みながら、あちこちで声が弾む。
その中に、エルンストがいることに、もう誰も違和感を覚えていなかった。
背筋を伸ばしつつも、会話の流れに合わせて頷き、笑い、適度に口を挟む。
(……完全に溶け込んでる)
アイナは、内心でそう思いながら、メニューを開いた。
「なんということ……!」
思わず声が漏れる。
「はじまった」
「どうしたの?」
「私が求めている料理が……無い……!」
メニューをぱらぱらとめくっても、肉、肉、肉。
煮込みも、焼きも、揚げも、すべて肉。
「ざんねん」
「ここ肉推しだからなぁ」
班のみんなが笑う中、アイナは肩を落とした。
「解せぬ……」
「また今度だね」
そのやり取りを聞きながら、エルンストは静かに様子を見ていた。
アイナの落ち込む表情。
唇の端をわずかに尖らせる癖。
(……そういうところも)
無意識に、視線がそこに留まる。
注文が決まり始め、皆が店員を呼ぼうと身を乗り出した、その時だった。
エルンストが、ほんの少しだけ椅子を引いた。
音も立てずに、自然に。
そして、アイナの隣へと距離を詰める。
誰にも気づかれない程度。
でも、確実に近い。
「……」
アイナは、ふと横から伝わる体温に気づいた。
視線を向ける前に、低い声が耳元に落ちる。
「君の好みを、詳しく知りたい」
息が、かかるほど近い距離。
抑えた声。
(……っ)
心臓が、一拍遅れて跳ねた。
「え、えっと……」
「魚、だろう?」
小さく笑う声。
揶揄ではない、確信めいた響き。
「……はい」
「そうだと思った」
視線が合う。
短く、深く。
その一瞬で、周囲の音が遠のいた気がした。
(近い……)
触れてはいない。
触れてはいないのに、逃げ場がない。
それなのに、不思議と嫌ではなかった。
むしろ、安心してしまう自分がいて、慌てて視線を逸らす。
「じゃあ、次は魚がある店を探そう」
「……次?」
思わず聞き返すと、エルンストは何でもないことのように頷いた。
「好みは、覚えておきたい」
その言葉が、静かに胸に落ちる。
班の誰かが声を上げた。
「注文、決まった?」
「はーい!」
空気が戻る。
賑やかさが、再びテーブルを満たす。
エルンストは、さっと距離を戻し、何事もなかったように姿勢を正した。
誰かが見ていた形跡は、ない。
(……今の、見られてないよね)
胸を押さえたくなる衝動をこらえ、アイナは水を一口飲んだ。
ふと気づく。
いつの間にか、エルンストの座る位置は、アイナの隣が定位置になっていた。
誰も提案していない。
誰も文句も言っていない。
ただ、自然に、そうなっている。
(……あれ)
この距離、この配置。
無意識のうちに、囲われているような感覚。
でも、それを拒否する理由を、アイナは見つけられなかった。
テーブルの下で、指先が微かに震える。
それを隠すように、ナプキンを整える。
エルンストは、何も言わない。
ただ、そこにいる。
逃がさない距離で。
押し付けない態度で。
(……ずるい)
そう思いながらも、
アイナの視線は、無意識に、彼の方へと戻ってしまうのだった。
木のテーブルが並び、食器の触れ合う音と笑い声が柔らかく混じり合っている。
外の冷たい空気を忘れさせる、少し甘い匂い。
治癒魔術科B班は、いつもの調子で席に着いた。
円卓に近い配置で、自然と距離が近い。
「じゃあ俺これ!」
「えー、それ重くない?」
「平気平気、午後動くし」
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その中に、エルンストがいることに、もう誰も違和感を覚えていなかった。
背筋を伸ばしつつも、会話の流れに合わせて頷き、笑い、適度に口を挟む。
(……完全に溶け込んでる)
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「はじまった」
「どうしたの?」
「私が求めている料理が……無い……!」
メニューをぱらぱらとめくっても、肉、肉、肉。
煮込みも、焼きも、揚げも、すべて肉。
「ざんねん」
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アイナの落ち込む表情。
唇の端をわずかに尖らせる癖。
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無意識に、視線がそこに留まる。
注文が決まり始め、皆が店員を呼ぼうと身を乗り出した、その時だった。
エルンストが、ほんの少しだけ椅子を引いた。
音も立てずに、自然に。
そして、アイナの隣へと距離を詰める。
誰にも気づかれない程度。
でも、確実に近い。
「……」
アイナは、ふと横から伝わる体温に気づいた。
視線を向ける前に、低い声が耳元に落ちる。
「君の好みを、詳しく知りたい」
息が、かかるほど近い距離。
抑えた声。
(……っ)
心臓が、一拍遅れて跳ねた。
「え、えっと……」
「魚、だろう?」
小さく笑う声。
揶揄ではない、確信めいた響き。
「……はい」
「そうだと思った」
視線が合う。
短く、深く。
その一瞬で、周囲の音が遠のいた気がした。
(近い……)
触れてはいない。
触れてはいないのに、逃げ場がない。
それなのに、不思議と嫌ではなかった。
むしろ、安心してしまう自分がいて、慌てて視線を逸らす。
「じゃあ、次は魚がある店を探そう」
「……次?」
思わず聞き返すと、エルンストは何でもないことのように頷いた。
「好みは、覚えておきたい」
その言葉が、静かに胸に落ちる。
班の誰かが声を上げた。
「注文、決まった?」
「はーい!」
空気が戻る。
賑やかさが、再びテーブルを満たす。
エルンストは、さっと距離を戻し、何事もなかったように姿勢を正した。
誰かが見ていた形跡は、ない。
(……今の、見られてないよね)
胸を押さえたくなる衝動をこらえ、アイナは水を一口飲んだ。
ふと気づく。
いつの間にか、エルンストの座る位置は、アイナの隣が定位置になっていた。
誰も提案していない。
誰も文句も言っていない。
ただ、自然に、そうなっている。
(……あれ)
この距離、この配置。
無意識のうちに、囲われているような感覚。
でも、それを拒否する理由を、アイナは見つけられなかった。
テーブルの下で、指先が微かに震える。
それを隠すように、ナプキンを整える。
エルンストは、何も言わない。
ただ、そこにいる。
逃がさない距離で。
押し付けない態度で。
(……ずるい)
そう思いながらも、
アイナの視線は、無意識に、彼の方へと戻ってしまうのだった。
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