モブでいたはずの私が、ただひとりに溺愛されるまで

ChaCha

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秋季、野外訓練初日。

朝の空気は、もう完全に秋だった。
夏の名残を引きずっていた湿気は消え、ひんやりとした風が頬を撫でる。
その冷たさが、これから始まるものの不穏さを、やけに際立たせていた。

支給品を受け取った瞬間、まず確認したのは――重り。

「あれ?」

思わず声が漏れる。

「不思議だ……軽く感じる」
「わかる……」
「重りの……安心感が……ない……」

治癒魔術科の生徒たちが、同じ感想を抱いていた。
夏の地獄を越えた私たちにとって、2倍重りはもはや命綱。
それが“普通”に戻っただけなのに、心細さが半端じゃない。

(あの時の私たち、どれだけ追い込まれてたんだろう……)

そんなことを考えていると、教官のやけに元気な声が響いた。

「はい!整列!秋季野外訓練は楽しいぞー!期待して良い!」

――信用ならない。
治癒魔術科全員が、無言でそう思ったはずだ。

次の瞬間、配られたのは紫色の小瓶。

嫌な予感しかしない。

「毒だ」

即答。

空気が、凍った。

震えながら手を挙げる生徒がいた。

「……治癒魔術では、解毒することが出来ません……」

「そのとおりだ!」

満面の笑みで肯定される。

「じわじわと削られる。戦闘を長引かせると大変だぞ」

(削られる!?)
(じわじわ!?)

涙声が飛び出した。

「あ、あの……騎士科が飲むものですよね……?」

必死の希望。

「はっはっはっ!安心するといい!みんなの分はある!」

…………

沈黙。

あまりにも完璧な沈黙だった。
森の音すら、遠のいた気がする。

(あ、これ……)

(始まる前から死ぬやつだ)

心の中で、静かに覚悟を決める。

「やっぱり遺書……書いておけば良かった」
「俺も……」
「お母さま……お父さま……さようなら……」

「「毒なんかに負けちゃダメ!!」」
「「生きろ!!」」

誰かが叫び、誰かが泣き、誰かが抱きつく。
私たちは、なぜか円になって抱き締め合った。

(なんで私たち、訓練前に最終回迎えてるの……)

そして――今。

「し、信じられない……」
「痛い……」
「胃が……胃がぁ……」

呻き声が、あちこちから上がる。

体の奥が、じわじわと熱く、重く、気持ち悪い。
魔力の流れが乱されているのが、はっきり分かる。

(これが……毒……)

治癒魔術でどうにかできない、という事実が、余計に恐怖を煽った。

ふと、視線を横にやる。

騎士科。

――平然としている。

普通に立っている。
普通に呼吸している。
普通に、いつも通り。

(え?)

「……あの人たち……」
「顔色、変わってなくない?」
「もしかして……飲み忘れ……?」

思わず呟いた瞬間、騎士科の誰かがこちらを見て首を傾げた。

「? ちゃんと飲んだぞ?」

(飲んだ上でそれ!?)

世界の理不尽を、ここに見た気がした。

(同じ“人間”じゃないよね……?)

胃を押さえながら、私は深呼吸する。
きつい。
気持ち悪い。
正直、泣きたい。

でも。

(……これが、前線なんだ)

毒。
長引けば不利になる状況。
治癒ではどうにもならない消耗。

先生の言葉が、頭の奥で重く響いた。

――前線に立つ者が倒れた時、最後に命を繋ぐのは誰か。

(……私たちだ)

足が震える。
胃が痛む。
それでも、立っていなければならない。

横を見ると、B班の仲間が歯を食いしばっていた。

「……生き残ろうな」
「……うん」

短い言葉。
それだけで、少しだけ力が入った。

騎士科の向こう側に、見慣れた青い髪が見える。
エルンストは、いつも通りの落ち着いた表情で、こちらを確認していた。

目が合う。

一瞬。

それだけで、不思議と背筋が伸びた。

(……大丈夫)

毒はきつい。
状況は最悪。
でも――逃げるわけにはいかない。

秋季野外訓練初日。

まだ始まったばかりなのに、
私たちはすでに、命の重さを噛み締めていた。



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