116 / 209
秋季、野外訓練最終日。
遠くで、誰かの泣き声がした。
すすり泣きと、笑いと、安堵が混ざったような、不思議な音だった。
(……ごめんよ、みんな。生きろ)
胸の奥でそう呟く。
それは祈りであり、言い訳であり、同時に本音だった。
私は――生き残った。
エルンストのおかげで。
学園へ戻れば、毒とはさよならだ。
今日が、秋季野外訓練の最終日。
そして私は今、彼の背にいる。
視界は高く、揺れは一定で、足元の地面は遠い。
歩ける治癒魔術科の生徒は、もう誰もいなかった。
誰かは担がれ、
誰かは引きずられ、
誰かは……もう数を数える気力すらない。
私はエルンストの首にそっと腕を回す。
落ちないように、という名目で。
でも本当は、それだけじゃない。
背中は広くて、呼吸は落ち着いていて、歩調は乱れない。
毒に侵されているはずなのに、彼は一度も足を止めなかった。
照れ、という感情はどこかへ消えていた。
羞恥心も、遠慮も、毒のダメージの前では役に立たない。
今はただ、身を預ける。
この背中に。
ふわり、と風が抜けた。
揺れのリズムに、既視感が混じる。
(……あれ?)
この香り。
この背負われ心地。
どこかで――覚えがある。
無意識に、鼻先で空気をすくう。
すん、すん、と確かめるみたいに。
(……あ)
分かった瞬間、胸がゆるむ。
好きな匂いだ、と、身体が先に判断していた。
「……好き……」
声に出したつもりはなかった。
でも、言葉は外に零れていた。
エルンストの歩幅が、ほんの一拍だけ揺れる。
それから、何事もなかったかのように戻る。
耳が、赤い。
風のせい、ではない色だ。
「……かわいい耳だね」
思考が追いつかないまま、口が勝手に動く。
毒のせい。きっと、毒のせい。
「食べちゃいたい」
冗談のつもりだった。
冗談、だったはずなのに。
歯が、軽く触れた。
甘噛み――と言うほど強くもなく、
ただ、確かめる程度。
エルンストの背中が、びくりと震えた。
「……っ」
短い息。
それ以上は、何も言わない。
「気持ちいい……」
自分で言って、自分で驚く。
でも否定する気力もない。
背中の温度が、少しだけ上がった気がした。
それでも彼は、歩みを止めない。
一定の歩幅。
一定の呼吸。
確かな方向。
(……ああ)
この人は、最後まで運ぶ気だ。
私を。
確実に。
揺れが心地よくなってきた。
視界が、ゆっくりと滲む。
眠気が、波のように押し寄せる。
身体の重さが、遠のいていく。
最後に感じたのは、
彼の背中の温もりと、規則正しい足音。
――生きて、帰る。
その約束だけを胸に、
私は静かに、意識を手放した。
すすり泣きと、笑いと、安堵が混ざったような、不思議な音だった。
(……ごめんよ、みんな。生きろ)
胸の奥でそう呟く。
それは祈りであり、言い訳であり、同時に本音だった。
私は――生き残った。
エルンストのおかげで。
学園へ戻れば、毒とはさよならだ。
今日が、秋季野外訓練の最終日。
そして私は今、彼の背にいる。
視界は高く、揺れは一定で、足元の地面は遠い。
歩ける治癒魔術科の生徒は、もう誰もいなかった。
誰かは担がれ、
誰かは引きずられ、
誰かは……もう数を数える気力すらない。
私はエルンストの首にそっと腕を回す。
落ちないように、という名目で。
でも本当は、それだけじゃない。
背中は広くて、呼吸は落ち着いていて、歩調は乱れない。
毒に侵されているはずなのに、彼は一度も足を止めなかった。
照れ、という感情はどこかへ消えていた。
羞恥心も、遠慮も、毒のダメージの前では役に立たない。
今はただ、身を預ける。
この背中に。
ふわり、と風が抜けた。
揺れのリズムに、既視感が混じる。
(……あれ?)
この香り。
この背負われ心地。
どこかで――覚えがある。
無意識に、鼻先で空気をすくう。
すん、すん、と確かめるみたいに。
(……あ)
分かった瞬間、胸がゆるむ。
好きな匂いだ、と、身体が先に判断していた。
「……好き……」
声に出したつもりはなかった。
でも、言葉は外に零れていた。
エルンストの歩幅が、ほんの一拍だけ揺れる。
それから、何事もなかったかのように戻る。
耳が、赤い。
風のせい、ではない色だ。
「……かわいい耳だね」
思考が追いつかないまま、口が勝手に動く。
毒のせい。きっと、毒のせい。
「食べちゃいたい」
冗談のつもりだった。
冗談、だったはずなのに。
歯が、軽く触れた。
甘噛み――と言うほど強くもなく、
ただ、確かめる程度。
エルンストの背中が、びくりと震えた。
「……っ」
短い息。
それ以上は、何も言わない。
「気持ちいい……」
自分で言って、自分で驚く。
でも否定する気力もない。
背中の温度が、少しだけ上がった気がした。
それでも彼は、歩みを止めない。
一定の歩幅。
一定の呼吸。
確かな方向。
(……ああ)
この人は、最後まで運ぶ気だ。
私を。
確実に。
揺れが心地よくなってきた。
視界が、ゆっくりと滲む。
眠気が、波のように押し寄せる。
身体の重さが、遠のいていく。
最後に感じたのは、
彼の背中の温もりと、規則正しい足音。
――生きて、帰る。
その約束だけを胸に、
私は静かに、意識を手放した。
あなたにおすすめの小説
せっかく転生したのにモブにすらなれない……はずが溺愛ルートなんて信じられません
嘉月
恋愛
隣国の貴族令嬢である主人公は交換留学生としてやってきた学園でイケメン達と恋に落ちていく。
人気の乙女ゲーム「秘密のエルドラド」のメイン攻略キャラは王立学園の生徒会長にして王弟、氷の殿下こと、クライブ・フォン・ガウンデール。
転生したのはそのゲームの世界なのに……私はモブですらないらしい。
せめて学園の生徒1くらいにはなりたかったけど、どうしようもないので地に足つけてしっかり生きていくつもりです。
少しだけ改題しました。ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いします。
治療係ですが、公爵令息様がものすごく懐いて困る~私、男装しているだけで、女性です!~
百門一新
恋愛
男装姿で旅をしていたエリザは、長期滞在してしまった異国の王都で【赤い魔法使い(男)】と呼ばれることに。職業は完全に誤解なのだが、そのせいで女性恐怖症の公爵令息の治療係に……!?「待って。私、女なんですけども」しかも公爵令息の騎士様、なぜかものすごい懐いてきて…!?
男装の魔法使い(職業誤解)×女性が大の苦手のはずなのに、ロックオンして攻めに転じたらぐいぐいいく騎士様!?
※小説家になろう様、ベリーズカフェ様、カクヨム様にも掲載しています。
転生したら乙女ゲームの主人公の友達になったんですが、なぜか私がモテてるんですが?
山下小枝子
恋愛
田舎に住むごく普通のアラサー社畜の私は車で帰宅中に、
飛び出してきた猫かたぬきを避けようとしてトラックにぶつかりお陀仏したらしく、
気付くと、最近ハマっていた乙女ゲームの世界の『主人公の友達』に転生していたんだけど、
まぁ、友達でも二次元女子高生になれたし、
推しキャラやイケメンキャラやイケオジも見れるし!楽しく過ごそう!と、
思ってたらなぜか主人公を押し退け、
攻略対象キャラからモテまくる事態に・・・・
ちょ、え、これどうしたらいいの!!!嬉しいけど!!!
記憶喪失の私はギルマス(強面)に拾われました【バレンタインSS投下】
かのこkanoko
恋愛
記憶喪失の私が強面のギルドマスターに拾われました。
名前も年齢も住んでた町も覚えてません。
ただ、ギルマスは何だか私のストライクゾーンな気がするんですが。
プロット無しで始める異世界ゆるゆるラブコメになる予定の話です。
小説家になろう様にも公開してます。
前世の記憶しかない元侯爵令嬢は、訳あり大公殿下のお気に入り。(注:期間限定)
miy
恋愛
(※長編なため、少しネタバレを含みます)
ある日目覚めたら、そこは見たことも聞いたこともない…異国でした。
ここは、どうやら転生後の人生。
私は大貴族の令嬢レティシア17歳…らしいのですが…全く記憶にございません。
有り難いことに言葉は理解できるし、読み書きも問題なし。
でも、見知らぬ世界で貴族生活?いやいや…私は平凡な日本人のようですよ?…無理です。
“前世の記憶”として目覚めた私は、現世の“レティシアの身体”で…静かな庶民生活を始める。
そんな私の前に、一人の貴族男性が現れた。
ちょっと?訳ありな彼が、私を…自分の『唯一の女性』であると誤解してしまったことから、庶民生活が一変してしまう。
高い身分の彼に関わってしまった私は、元いた国を飛び出して魔法の国で暮らすことになるのです。
大公殿下、大魔術師、聖女や神獣…等など…いろんな人との出会いを経て『レティシア』が自分らしく生きていく。
という、少々…長いお話です。
鈍感なレティシアが、大公殿下からの熱い眼差しに気付くのはいつなのでしょうか…?
※安定のご都合主義、独自の世界観です。お許し下さい。
※ストーリーの進度は遅めかと思われます。
※現在、不定期にて公開中です。よろしくお願い致します。
公開予定日を最新話に記載しておりますが、長期休載の場合はこちらでもお知らせをさせて頂きます。
※ド素人の書いた3作目です。まだまだ優しい目で見て頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。
※初公開から2年が過ぎました。少しでも良い作品に、読みやすく…と、時間があれば順次手直し(改稿)をしていく予定でおります。(現在、146話辺りまで手直し作業中)
※章の区切りを変更致しました。(9/22更新)
【完結済】私、地味モブなので。~転生したらなぜか最推し攻略対象の婚約者になってしまいました~
降魔 鬼灯
恋愛
マーガレット・モルガンは、ただの地味なモブだ。前世の最推しであるシルビア様の婚約者を選ぶパーティーに参加してシルビア様に会った事で前世の記憶を思い出す。 前世、人生の全てを捧げた最推し様は尊いけれど、現実に存在する最推しは…。 ヒロインちゃん登場まで三年。早く私を救ってください。
主人公の義兄がヤンデレになるとか聞いてないんですけど!?
玉響なつめ
恋愛
暗殺者として生きるセレンはふとしたタイミングで前世を思い出す。
ここは自身が読んでいた小説と酷似した世界――そして自分はその小説の中で死亡する、ちょい役であることを思い出す。
これはいかんと一念発起、いっそのこと主人公側について保護してもらおう!と思い立つ。
そして物語がいい感じで進んだところで退職金をもらって夢の田舎暮らしを実現させるのだ!
そう意気込んでみたはいいものの、何故だかヒロインの義兄が上司になって以降、やたらとセレンを気にして――?
おかしいな、貴方はヒロインに一途なキャラでしょ!?
※小説家になろう・カクヨムにも掲載
心が読める私に一目惚れした彼の溺愛はややヤンデレ気味です。
三月べに
恋愛
古川七羽(こがわななは)は、自分のあか抜けない子どもっぽいところがコンプレックスだった。
新たに人の心を読める能力が開花してしまったが、それなりに上手く生きていたつもり。
ひょんなことから出会った竜ヶ崎数斗(りゅうがざきかずと)は、紳士的で優しいのだが、心の中で一目惚れしたと言っていて、七羽にグイグイとくる!
実は御曹司でもあるハイスペックイケメンの彼に押し負ける形で、彼の親友である田中新一(たなかしんいち)と戸田真樹(とだまき)と楽しく過ごしていく。
新一と真樹は、七羽を天使と称して、妹分として可愛がってくれて、数斗も大切にしてくれる。
しかし、起きる修羅場に、数斗の心の声はなかなか物騒。
ややヤンデレな心の声!?
それでも――――。
七羽だけに向けられるのは、いつも優しい声だった。
『俺、失恋で、死んじゃうな……』
自分とは釣り合わないとわかりきっていても、キッパリと拒めない。二の足を踏む、じれじれな恋愛模様。
傷だらけの天使だなんて呼ばれちゃう心が読める能力を密かに持つ七羽は、ややヤンデレ気味に溺愛してくる数斗の優しい愛に癒される?
【心が読める私に一目惚れした彼の溺愛はややヤンデレ気味です。】『なろうにも掲載』