モブでいたはずの私が、ただひとりに溺愛されるまで

ChaCha

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隠した手紙

宿に城の使いが来た時点で、嫌な予感はしていた。

雪を払った外套。
慣れた足取り。
ネルケ辺境伯家の紋章。

――ああ、来たか。

「領主様より、お嬢様に至急お戻りいただきたいとのことです」

丁寧で、柔らかい口調。
だがその声の奥に、隠しきれない高揚が滲んでいた。

理由を聞かずとも、分かる。

「……誰か来るのか?」

平静を装って問うと、使いは待っていましたと言わんばかりに声を弾ませた。

「はい。エルンスト様が、見聞を名目に遊びにいらっしゃるそうで」

――やっぱり、か。

胸の奥が、冷たく沈んだ。

エルンスト。
あの青い髪の騎士。
アイナの世界を、静かに侵食している男。

使いは本当に嬉しそうだった。
未来の婿を見る目だ。

「領主様も奥方様も、大層お喜びでして」
「お嬢様も、きっとお喜びになりますね」

……なるほど。

ここではっきり理解した。

これは「帰還要請」じゃない。
「準備」だ。

アイナを呼び戻し、迎え入れるための。

ヴィルは、口元だけで笑った。

「アイナはな」
ゆっくりと言葉を選ぶ。
「温泉地で特訓もしたいって言ってた。あいつ、頑固だろ?」

使いが困ったように眉を下げる。

「ええ……ですが、領主様のご意向でして……」
「説得は、俺がする」

即答だった。

「俺の言葉なら、聞く」
「少し遅れるかもしれないが……必ず伝える」

使いは少し迷ったあと、頷いた。

「では……雪が深くなる前に」
「お願いします」

そう言って、頭を下げて去っていった。

扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。

――さて。

ヴィルは、手の中の封筒を見る。

上質な紙。
封蝋。
ネルケ辺境伯家の正式な印。

間違いなく、アイナ宛て。

そのまま、宿に用意されている自室へ戻った。

誰もいない部屋。
暖炉の火が、静かに揺れている。

ヴィルは、封筒を開けない。

読む必要はない。
中身は分かっている。

「帰ってこい」
「客が来る」
「未来の話をしよう」

そんなところだろう。

ヴィルは、引き出しを開けた。

何でもない、普通の木製の引き出し。
予備の手袋。
替えの紐。
小物。

その奥に、封筒を滑り込ませる。

――カタン。

引き出しを閉める音。

それだけで、胸の奥が少し落ち着いた。

「……まだ、だ」

呟く声は低い。

アイナは、今ここにいる。
温泉に行って、笑って、安心している。

久しぶりに見た、無防備な顔。
俺の隣で、何も疑っていない時間。

あの男が来る場所に、今すぐ戻す理由はない。

(まだ、早い)

エルンストは、騎士だ。
正面から、正しい手順で、奪いに来る。

だからこそ――

「時間を、ずらす」

ほんの少しでいい。
雪が深くなるまで。
気持ちが緩むまで。
選択肢が見えなくなるまで。

幼馴染という立場は、便利だ。

疑われない。
責められない。
拒まれない。

アイナは、俺を信じている。

「……守ってやるんだよ」

誰から?
エルンストから?

違う。

――“選ばされる未来”から、だ。

ヴィルは、暖炉の火を見つめながら、静かに息を吐いた。

封筒は、引き出しの中。

まだ、誰にも届かない。

エルンストが来る頃には――
状況は、少し変わっているはずだ。

それでいい。

幼馴染は、
彼女の世界に、いつでも“自然に”存在できる。

恋人より、ずっと強い立場で。

「……大丈夫だ」

誰に言うでもなく、そう呟いた。

雪は、静かに降り続いている。


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