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君が腕に抱く回数
アイナは、ずっと憂鬱だった。
ヴィルとエルンストに挟まれた日常。
表面上は穏やかで、笑っていて、冗談も言い合っている。
けれど、水面下では視線がぶつかり合い、空気がきしむ瞬間が何度もあった。
それでも。
アイナは「気づかないふり」を選んでいた。
二年生として、学園生活を円滑に回すため。
自分の心を守るため。
生存本能のようなものだった。
――大丈夫。
――考えすぎ。
――私は、ちゃんとここにいる。
そう、何度も言い聞かせて。
そして、今日の朝。
春の光が満ちる中庭を歩いていたときだった。
ばさり、と。
白い鳥たちが一斉に空へ舞い上がる。
羽音に驚いて、反射的に視線を上げる。
その先で、ふわりと揺れた桃色の髪。
ヒロインだ。
「わっ……!」
澄んだ声。
驚いた拍子に足を止めた、その一瞬。
石畳に、つま先が引っかかる。
ぐらり、と身体が傾いた。
――あ。
思うより早く、影が差す。
エルンストが走った。
迷いのない動き。
訓練で鍛え抜かれた身体が、一直線にヒロインへ向かう。
そして。
――ガシッ。
ヒロインの腕を、しっかりと掴んだ。
そのまま、引き寄せる。
倒れ込むはずだった身体が、騎士の胸板に受け止められる。
完成してしまう光景。
顔を上げたヒロインは、息を呑み、
次の瞬間、喜色に染まった瞳でエルンストを見上げていた。
「君は、よく転けそうになるね」
落ち着いた声。
いつもの、エルンストの声音。
騎士科の制服。
変わらない、凛とした佇まい。
「助けてくれて、ありがとう。エルンスト君」
自然に。
あまりにも自然に、名前を呼ぶ。
エルンストは一瞬だけ目を瞬かせ、
それから、口元をわずかに緩めた。
「名前、知ってたんだな」
「えっと……良い噂ばかりだよ!」
くす、と小さく笑うエルンスト。
「へぇ。それは、お世辞でも有難い」
――そこで。
ふわりと、世界が区切られた。
ヒロインとエルンスト。
二人だけの、完成された空間。
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
やめて。
やめて、お願い。
私から、エルンストを奪わないで。
その時だった。
隣で、ヴィルが気づいたように視線を向ける。
そして、わざとらしく、低く囁いた。
「あいつら……お似合いだな」
悪魔の囁き。
血の気が引く。
ダメ。
嫌だ。
声を出さなきゃ。
ここにいるって、示さなきゃ。
「……え、エルン! あの……っ」
喉が震える。
声が、思ったよりも小さくなった。
それでも。
声は、届いた。
エルンストは、即座に振り向いた。
「アイナ。今行く」
迷いのない言葉。
ヒロインから、手を離す。
距離を取る。
そして、こちらへ戻ってくる。
隣に立ったエルンストの存在に、
ほんの一瞬だけ、息ができた。
――戻ってきてくれた。
でも。
胸の奥で、別の問いが膨らむ。
いつまで?
いつまで、こうして戻ってきてくれるの?
その日からだった。
エルンストがヒロインを支える「偶然」。
腕を掴む回数。
距離が縮まる瞬間。
それを、何度も。
何度も、目の前で見せつけられるようになった。
その度に、ヴィルは小さな言葉を落とす。
「騎士だもんな」
「仕方ないよな」
「優しい奴だからさ」
一つ一つは、正論だった。
否定できない言葉だった。
だからこそ、深く刺さる。
恐怖は、静かに。
確実に、増していく。
アイナは笑う。
平静を装う。
でも、心の奥では。
――奪われるかもしれない。
その予感だけが、
日に日に、はっきりと輪郭を持ち始めていた。
ヴィルとエルンストに挟まれた日常。
表面上は穏やかで、笑っていて、冗談も言い合っている。
けれど、水面下では視線がぶつかり合い、空気がきしむ瞬間が何度もあった。
それでも。
アイナは「気づかないふり」を選んでいた。
二年生として、学園生活を円滑に回すため。
自分の心を守るため。
生存本能のようなものだった。
――大丈夫。
――考えすぎ。
――私は、ちゃんとここにいる。
そう、何度も言い聞かせて。
そして、今日の朝。
春の光が満ちる中庭を歩いていたときだった。
ばさり、と。
白い鳥たちが一斉に空へ舞い上がる。
羽音に驚いて、反射的に視線を上げる。
その先で、ふわりと揺れた桃色の髪。
ヒロインだ。
「わっ……!」
澄んだ声。
驚いた拍子に足を止めた、その一瞬。
石畳に、つま先が引っかかる。
ぐらり、と身体が傾いた。
――あ。
思うより早く、影が差す。
エルンストが走った。
迷いのない動き。
訓練で鍛え抜かれた身体が、一直線にヒロインへ向かう。
そして。
――ガシッ。
ヒロインの腕を、しっかりと掴んだ。
そのまま、引き寄せる。
倒れ込むはずだった身体が、騎士の胸板に受け止められる。
完成してしまう光景。
顔を上げたヒロインは、息を呑み、
次の瞬間、喜色に染まった瞳でエルンストを見上げていた。
「君は、よく転けそうになるね」
落ち着いた声。
いつもの、エルンストの声音。
騎士科の制服。
変わらない、凛とした佇まい。
「助けてくれて、ありがとう。エルンスト君」
自然に。
あまりにも自然に、名前を呼ぶ。
エルンストは一瞬だけ目を瞬かせ、
それから、口元をわずかに緩めた。
「名前、知ってたんだな」
「えっと……良い噂ばかりだよ!」
くす、と小さく笑うエルンスト。
「へぇ。それは、お世辞でも有難い」
――そこで。
ふわりと、世界が区切られた。
ヒロインとエルンスト。
二人だけの、完成された空間。
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
やめて。
やめて、お願い。
私から、エルンストを奪わないで。
その時だった。
隣で、ヴィルが気づいたように視線を向ける。
そして、わざとらしく、低く囁いた。
「あいつら……お似合いだな」
悪魔の囁き。
血の気が引く。
ダメ。
嫌だ。
声を出さなきゃ。
ここにいるって、示さなきゃ。
「……え、エルン! あの……っ」
喉が震える。
声が、思ったよりも小さくなった。
それでも。
声は、届いた。
エルンストは、即座に振り向いた。
「アイナ。今行く」
迷いのない言葉。
ヒロインから、手を離す。
距離を取る。
そして、こちらへ戻ってくる。
隣に立ったエルンストの存在に、
ほんの一瞬だけ、息ができた。
――戻ってきてくれた。
でも。
胸の奥で、別の問いが膨らむ。
いつまで?
いつまで、こうして戻ってきてくれるの?
その日からだった。
エルンストがヒロインを支える「偶然」。
腕を掴む回数。
距離が縮まる瞬間。
それを、何度も。
何度も、目の前で見せつけられるようになった。
その度に、ヴィルは小さな言葉を落とす。
「騎士だもんな」
「仕方ないよな」
「優しい奴だからさ」
一つ一つは、正論だった。
否定できない言葉だった。
だからこそ、深く刺さる。
恐怖は、静かに。
確実に、増していく。
アイナは笑う。
平静を装う。
でも、心の奥では。
――奪われるかもしれない。
その予感だけが、
日に日に、はっきりと輪郭を持ち始めていた。
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