モブでいたはずの私が、ただひとりに溺愛されるまで

ChaCha

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愛しい君が俺から遠ざかる

アイナが、変わった。

――いや、正確には。
俺と、アイナの間にあった“何か”が、ずれた。

視線は合う。
笑顔も向けてくれる。
言葉も、以前と同じように交わしている。

それなのに。

アイナは俺を見ているのに、
俺を“見ていない”。

まるで、俺の輪郭の上に、
別の誰かを薄く重ねているような――
そんな、説明のつかない違和感。

最初にそれを感じたのは、
あの中庭で、桃色の彼女を助けた日からだった。

転びそうになった彼女の腕を掴んだ。
それだけのことだ。
騎士として、あまりにも当然の行動。

なのに。

そこから、歯車が音もなく回り始めた。

桃色の髪。
淡い桃色の瞳。
柔らかく、よく通る声。

彼女は、やけに話しやすかった。

俺は、これまで“女性の友人”という存在を、ほとんど持ったことがない。
必要もなかったし、意識したこともなかった。

なのに。

彼女の前では、言葉が引っかからずに出てくる。

アイナの話をした。
――名前は、出さなかった。
だが、彼女は察したようだった。

「大切な人、なんだね」

その一言が、なぜか胸に引っかかった。

違う。
大切、なんて言葉じゃ足りない。

俺にとってアイナは――
そう、言葉を探そうとした瞬間、
思考が、ふっと霧に包まれた。

……なんだ?

頭の中で、何かが“曖昧”になる。

最近、アイナが遠い。
隣にいるのに、遠い。

何か、気を引くものはないか。
何か、取り戻す方法はないか。

そう考えていた時、
口が、勝手に動いた。

「女の子に渡すプレゼントで、悩んでてさ」

――なぜ、彼女にそんなことを聞いた?

自分でも分からない。
聞く必要なんて、なかったはずなのに。

「その人のこと、よく見てるって伝わるものがいいと思う」

穏やかな答え。
正しい答え。

「……なるほど」

そう返した自分の声が、
ひどく他人事のように聞こえた。

その日、アイナとヴィルと、昼食を取れなかった。

理由は些細だった。
けれど、“一緒に食べない”という事実だけが、
胸に残った。

それからだ。

廊下で。
中庭で。
移動の途中で。

カレンを見つけると、
俺は自然に声をかけてしまう。

「やぁ、カレン」

……違う。

“しまう”じゃない。
“出てしまう”。

身体と声が、勝手に。

まるで、決められた動線をなぞるように。
まるで、予定されていた台詞を再生するように。

そのたびに、
胸の奥が、ひやりと冷える。

そして、アイナを見る。

彼女は、笑っている。
けれど、その笑顔は、どこか怯えている。

俺を見る目が、揺れている。

まるで、
「本当に、あなた?」
と、問いかけてくるような。

そして、ある時。

「……え、エルン……」

かすれるような声で、
俺の名を呼んだ。

その瞬間。

霧が、一気に晴れた。

血が、音を立てて巡る。
世界が、鮮明になる。

――俺だ。

俺を、呼んでいる。

その声には、恐怖があった。
不安があった。
縋るような切実さがあった。

同時に、
俺の中にも、同じものが湧き上がる。

何かに奪われている感覚。
勝手に進む流れ。
埋められていく“予定”。

これは――
偶然じゃない。

だが、完全には掴めない。
分かりそうで、分からない。

ただ、ひとつだけ確かなことがある。

アイナが、俺を呼べば。
どんな霧の中でも。
どんな流れの途中でも。

俺は、必ず戻る。

それだけは、
理屈じゃなく、
身体の奥で、分かっている。

だから――
怖い。

俺も、アイナと同じように、
“奪われる側”になりかけていることが。

愛しい君が、俺から遠ざかっている。
その感覚だけが、
夜ごと、確かに、胸を締めつけていた。



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