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辺境伯夫婦に届いた手紙
春の花々が城の庭に舞い、
噴水の水音までどこか弾んでいる。
そんな穏やかな午後――
城の廊下を、明らかにスキップしている人物がいた。
「……おい」
執務机から顔も上げず、低い声が飛ぶ。
「腰を痛めるぞ」
声の主、ネルケ辺境伯ドワイトは書類から視線を外さぬまま言った。
だが、軽やかな足音は止まらない。
「ご安心くださいませ!
本日は“弾む案件”でございますので!」
満面の笑みで執事がぴたりと立ち止まり、胸を張る。
両手に大切そうに抱えられているのは、一通の封筒だった。
深い青の封蝋。
整った筆致。
そして、はっきりと刻まれた
――トゥルぺ侯爵家の紋章。
その瞬間、ドワイトの指が止まった。
一拍。
「……きたな」
低く、噛み締めるような声。
執事は一歩進み、恭しく差し出す。
「正式でございます」
背後で椅子が引かれる音。
「まぁ!」
メリアはすでに立ち上がり、身を乗り出していた。
「ついに? 本当に? あの子から?」
「落ち着け、メリア。まだ中身を読んでいない」
そう言いながらも、封を切る手は早い。
書状を広げ、視線を走らせる。
彼の表情が、わずかに変わっていく。
厳格な辺境伯の顔から、
判断する父の顔へ。
そして――
「……本人の意思、明確。
婚姻の申し入れ、正式。
時期、条件、すべて明記……」
読み終え、書状を静かに机へ置く。
深く頷いた。
「なら、問題ない」
その一言は重い。
だが、その声音はどこか軽かった。
メリアは胸元で手を組み、ほうと息を吐く。
「ちゃんと……選ばれたのね、あの子」
「選ばれただけじゃない」
ドワイトは鼻で笑う。
「溺愛だ。どう考えても」
執事が即座に頷く。
「それはもう、過剰なくらいでございます」
「だろうな……」
ドワイトは天井を仰ぐ。
そして、ぽつりと。
「……私が怪我をしたあの日を思い出す」
メリアの視線が静かに揺れた。
「あの子が必死に“死なないで”と泣き叫んでいた」
あの小さな手。
震える声。
滲む涙。
「その娘が、治癒魔術師となり――
伴侶を救い、支え続けられるところまで育った」
低い声に、誇りが滲む。
メリアもまた、静かに息を吐いた。
「私の跡を継がず、錬金術ではなく治癒魔術科を選ぶと頑なで……
どれだけ心配したことか」
「心配など、今も尽きん」
ドワイトは苦笑する。
「だが……あの子は自分で選び、自分で立った」
一拍。
「なら、もう十分だ」
その瞳に宿るのは、辺境伯ではなく、父の色。
「返書を出す。
――歓迎する、と」
「かしこまりました!」
再び跳ねそうになる執事に、ドワイトは指を立てる。
「待て。走るな。跳ねるな」
「はい! ……歩きます!」
執事は名残惜しそうに去っていった。
執務室に静けさが戻る。
庭から差し込む光が、書状をやわらかく照らしていた。
「……幸せになるといいな」
メリアの呟き。
「ああ」
ドワイトはゆっくり頷く。
「あの子が選んだ相手だ。
なら、全力で守らせてもらおう」
二人は顔を見合わせる。
次の瞬間、ほとんど同時に腕を広げ、互いを力強く抱き締めた。
年甲斐もなく、という言葉など消え失せていた。
肩を震わせながら、歓喜が込み上げる。
「「優秀な婿ができた!!」」
その声は屋敷の天井へと弾ける。
長年、娘の将来に心を砕いてきた二人にとって、
それはようやく掴んだ安堵だった。
誇らしさと安堵と、ほんの少しの涙。
それらを抱きしめながら、二人はしばし歓喜に震える。
ネルケ辺境伯城には、
春よりも確かな未来が静かに宿っていた。
噴水の水音までどこか弾んでいる。
そんな穏やかな午後――
城の廊下を、明らかにスキップしている人物がいた。
「……おい」
執務机から顔も上げず、低い声が飛ぶ。
「腰を痛めるぞ」
声の主、ネルケ辺境伯ドワイトは書類から視線を外さぬまま言った。
だが、軽やかな足音は止まらない。
「ご安心くださいませ!
本日は“弾む案件”でございますので!」
満面の笑みで執事がぴたりと立ち止まり、胸を張る。
両手に大切そうに抱えられているのは、一通の封筒だった。
深い青の封蝋。
整った筆致。
そして、はっきりと刻まれた
――トゥルぺ侯爵家の紋章。
その瞬間、ドワイトの指が止まった。
一拍。
「……きたな」
低く、噛み締めるような声。
執事は一歩進み、恭しく差し出す。
「正式でございます」
背後で椅子が引かれる音。
「まぁ!」
メリアはすでに立ち上がり、身を乗り出していた。
「ついに? 本当に? あの子から?」
「落ち着け、メリア。まだ中身を読んでいない」
そう言いながらも、封を切る手は早い。
書状を広げ、視線を走らせる。
彼の表情が、わずかに変わっていく。
厳格な辺境伯の顔から、
判断する父の顔へ。
そして――
「……本人の意思、明確。
婚姻の申し入れ、正式。
時期、条件、すべて明記……」
読み終え、書状を静かに机へ置く。
深く頷いた。
「なら、問題ない」
その一言は重い。
だが、その声音はどこか軽かった。
メリアは胸元で手を組み、ほうと息を吐く。
「ちゃんと……選ばれたのね、あの子」
「選ばれただけじゃない」
ドワイトは鼻で笑う。
「溺愛だ。どう考えても」
執事が即座に頷く。
「それはもう、過剰なくらいでございます」
「だろうな……」
ドワイトは天井を仰ぐ。
そして、ぽつりと。
「……私が怪我をしたあの日を思い出す」
メリアの視線が静かに揺れた。
「あの子が必死に“死なないで”と泣き叫んでいた」
あの小さな手。
震える声。
滲む涙。
「その娘が、治癒魔術師となり――
伴侶を救い、支え続けられるところまで育った」
低い声に、誇りが滲む。
メリアもまた、静かに息を吐いた。
「私の跡を継がず、錬金術ではなく治癒魔術科を選ぶと頑なで……
どれだけ心配したことか」
「心配など、今も尽きん」
ドワイトは苦笑する。
「だが……あの子は自分で選び、自分で立った」
一拍。
「なら、もう十分だ」
その瞳に宿るのは、辺境伯ではなく、父の色。
「返書を出す。
――歓迎する、と」
「かしこまりました!」
再び跳ねそうになる執事に、ドワイトは指を立てる。
「待て。走るな。跳ねるな」
「はい! ……歩きます!」
執事は名残惜しそうに去っていった。
執務室に静けさが戻る。
庭から差し込む光が、書状をやわらかく照らしていた。
「……幸せになるといいな」
メリアの呟き。
「ああ」
ドワイトはゆっくり頷く。
「あの子が選んだ相手だ。
なら、全力で守らせてもらおう」
二人は顔を見合わせる。
次の瞬間、ほとんど同時に腕を広げ、互いを力強く抱き締めた。
年甲斐もなく、という言葉など消え失せていた。
肩を震わせながら、歓喜が込み上げる。
「「優秀な婿ができた!!」」
その声は屋敷の天井へと弾ける。
長年、娘の将来に心を砕いてきた二人にとって、
それはようやく掴んだ安堵だった。
誇らしさと安堵と、ほんの少しの涙。
それらを抱きしめながら、二人はしばし歓喜に震える。
ネルケ辺境伯城には、
春よりも確かな未来が静かに宿っていた。
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