49 / 56
エピローグ
エピローグ②
しおりを挟む
「……そういえば、颯さんなら知ってんのか? その……か、母さんの口癖」
口ごもったことに颯がくふふ、とほくそ笑む。気に食わない。
「あれでしょ? amabile,brioso,amoroso.」
「どういう意味?」
光希が尋ねてくるのに、鍵束を見ながら答える。
「楽譜に書かれてる発想記号……作曲者の意図や演奏するときの心づもりみたいなもんを、組み合わせてるってのは分かるけど。アマービレが優しいとか可愛らしい。ブリオーソが陽気に、快活に。アモローソが愛らしくって感じかな」
「エマは、智弥のことだって言ってたよ。私に元気をくれる可愛い、大切な宝物って」
「え……」
意外な答えに、思わず持っていたものを取り落としそうになる。
「好きな記号を合わせただけなんだけど、『魔法の呪文みたいでしょ』って嬉しそうだったなあ」
颯が頬杖をついて、当時を思い出すようにうっとりと目を細めた。
「そっか。素敵なお母さんだね」
光希が智弥を見て、にっこり微笑んだ。智弥はぎゅっと抱き寄せてキスしたい衝動にかられたが、鍵束を握ってどうにか堪えた。
ブランカで片づけを終え、光希と二人店の裏口から外に出る。何となく黙ったまま、並んで歩く。
もうすっかり梅雨も明け、昼間、夏の太陽をぞんぶんに浴びたコンクリートが夜になっても空気を熱していた。
智弥は、ちらりとすぐ横にある光希の顔を見た。何度見ても飽き足らない光希の横顔を見つめて、そっと問う。
「……今日、泊まってくだろ」
「う、ん……」
あれから光希も仕事が忙しかったらしく、こちらに戻ってもなかなか会えずじまいだった。こうして二人でゆっくり話せるのは久しぶりだ。
重そうな鞄をもつ細い指にそっと触れると、ぴくんと少しだけ震えた。
正直、ここで断られると心が折れそうだ。
「――あ」
智弥の手をすり抜けて、光希が小走りに離れていく。
「おい……」
追いかけてたどり着いたのは、駅の裏側。
「――ここで、初めてきみを見た」
いつも智弥が路上ライブをする場所。植え込みの中、少し開けた場所。
「ああ……そうだな」
「あのとき、きみがいなかったら、俺ダメになってたかも。……ありがとう」
そう言って破顔する光希の髪に、駅の明るい照明が反射する。――冠みたいだな、と思い、また自分の想像に可笑しくなる。
「……あんただって、俺を茨の城から救ってくれた王子様じゃねえか」
「え? なにそれ……」
もうどうにも止められなくて、腕の中にその愛しいひとの体を抱き込んだ。
「と、智弥?」
「……一回しか言わねえから」
耳元でそっとささやく。
「……あんたのおかげで、前に進めそうな気がする。……ありがとう」
触れ合った頬がたちまち熱をともなった。
「智弥……」
「ん?」
ぎゅっと、シャツの裾を掴んでくる。
「今日、泊まって、く」
「ん」
くすりと笑いながら、俯いてしまった光希を促して帰途につく。
温かいものに全身を満たされて、智弥は夜空を仰いだ。上弦の月が、街のざわめきを静かに見下ろしていた。
Fin.
ありがとうございました!
口ごもったことに颯がくふふ、とほくそ笑む。気に食わない。
「あれでしょ? amabile,brioso,amoroso.」
「どういう意味?」
光希が尋ねてくるのに、鍵束を見ながら答える。
「楽譜に書かれてる発想記号……作曲者の意図や演奏するときの心づもりみたいなもんを、組み合わせてるってのは分かるけど。アマービレが優しいとか可愛らしい。ブリオーソが陽気に、快活に。アモローソが愛らしくって感じかな」
「エマは、智弥のことだって言ってたよ。私に元気をくれる可愛い、大切な宝物って」
「え……」
意外な答えに、思わず持っていたものを取り落としそうになる。
「好きな記号を合わせただけなんだけど、『魔法の呪文みたいでしょ』って嬉しそうだったなあ」
颯が頬杖をついて、当時を思い出すようにうっとりと目を細めた。
「そっか。素敵なお母さんだね」
光希が智弥を見て、にっこり微笑んだ。智弥はぎゅっと抱き寄せてキスしたい衝動にかられたが、鍵束を握ってどうにか堪えた。
ブランカで片づけを終え、光希と二人店の裏口から外に出る。何となく黙ったまま、並んで歩く。
もうすっかり梅雨も明け、昼間、夏の太陽をぞんぶんに浴びたコンクリートが夜になっても空気を熱していた。
智弥は、ちらりとすぐ横にある光希の顔を見た。何度見ても飽き足らない光希の横顔を見つめて、そっと問う。
「……今日、泊まってくだろ」
「う、ん……」
あれから光希も仕事が忙しかったらしく、こちらに戻ってもなかなか会えずじまいだった。こうして二人でゆっくり話せるのは久しぶりだ。
重そうな鞄をもつ細い指にそっと触れると、ぴくんと少しだけ震えた。
正直、ここで断られると心が折れそうだ。
「――あ」
智弥の手をすり抜けて、光希が小走りに離れていく。
「おい……」
追いかけてたどり着いたのは、駅の裏側。
「――ここで、初めてきみを見た」
いつも智弥が路上ライブをする場所。植え込みの中、少し開けた場所。
「ああ……そうだな」
「あのとき、きみがいなかったら、俺ダメになってたかも。……ありがとう」
そう言って破顔する光希の髪に、駅の明るい照明が反射する。――冠みたいだな、と思い、また自分の想像に可笑しくなる。
「……あんただって、俺を茨の城から救ってくれた王子様じゃねえか」
「え? なにそれ……」
もうどうにも止められなくて、腕の中にその愛しいひとの体を抱き込んだ。
「と、智弥?」
「……一回しか言わねえから」
耳元でそっとささやく。
「……あんたのおかげで、前に進めそうな気がする。……ありがとう」
触れ合った頬がたちまち熱をともなった。
「智弥……」
「ん?」
ぎゅっと、シャツの裾を掴んでくる。
「今日、泊まって、く」
「ん」
くすりと笑いながら、俯いてしまった光希を促して帰途につく。
温かいものに全身を満たされて、智弥は夜空を仰いだ。上弦の月が、街のざわめきを静かに見下ろしていた。
Fin.
ありがとうございました!
0
あなたにおすすめの小説
オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?
中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
タトゥーの甘い檻
マリ・シンジュ
BL
執着系わんこ攻(大学生)× 高潔な美形教授受(30代)
どのお話も単体でお楽しみいただけます。
「先生、ここ……僕の瞳を入れるから。ずっと、僕だけを見てて」
真面目な大学教授・新城が、大学生の・羽生にだけ許した、あまりにも淫らな「わがまま」。
それは、誰にも見えない内腿の奥深くに、消えないタトゥーを刻むこと。
「下書き」と称して肌を赤く染めるペン先の冷たさ。
アトリエの無機質なライトの下、四つん這いで晒される大人の矜持。
ずっと年下の青年の、必死で、残酷で、純粋な独占欲。
愚かだと知りながら、新城はその熱に絆され、ゆっくりと「聖域」を明け渡していく――。
「……お前のわがままには、最後まで付き合う」
針が通るその時、二人の関係は一生消えない「共犯」へと変わる。
執着攻め×年上受け、密やかに刻まれる秘め事のお話。
ヤンキーDKの献身
ナムラケイ
BL
スパダリ高校生×こじらせ公務員のBLです。
ケンカ上等、金髪ヤンキー高校生の三沢空乃は、築51年のオンボロアパートで一人暮らしを始めることに。隣人の近間行人は、お堅い公務員かと思いきや、夜な夜な違う男と寝ているビッチ系ネコで…。
性描写があるものには、タイトルに★をつけています。
行人の兄が主人公の「戦闘機乗りの劣情」(完結済み)も掲載しています。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました
よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、
前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。
獣人が支配する貴族社会。
魔力こそが価値とされ、
「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、
レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。
そんな彼を拾ったのは、
辺境を治める獣人公爵アルト。
寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。
溺愛され、守られ、育てられる日々。
だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。
学院での出会い。
貴族社会に潜む差別と陰謀。
そして「番」という、深く重い絆。
レオンは学び、考え、
自分にしかできない魔法理論を武器に、
少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。
獣人と人族。
価値観も、立場も、すべてが違う二人が、
それでも選び合い、家族になるまでの物語。
溺愛×成長×異世界BL。
読後に残るのは、
「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。
経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!
中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。
無表情・無駄のない所作・隙のない資料――
完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。
けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。
イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。
毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、
凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。
「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」
戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。
けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、
どこか“計算”を感じ始めていて……?
狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ
業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる