あなたの明日に寄り添いたくて

豆狸

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第九話 再びの茶番

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 ベルントの青みがかった灰色の瞳が見開かれた。
 ああ、ついいつものくせで呼び捨てにしてしまったけれど、もう私の護衛騎士ではないのだから、一応様付けしたほうが良かったかしら。
 まだ王太子殿下の婚約者ではあるものの、あの夢が未来の記憶だったとしたらもうすぐ婚約は破棄されてしまうのだし。……処刑されたいわけではないのに、その前の婚約破棄は心のどこかで待ち望んでいる自分に気づく。

 彼は薄い色の金髪を揺らして、昔と変わらない優しい微笑みを浮かべた。

「ゲルダ様も覚えていらっしゃったのですか? それはお辛かったことでしょう。ですがご安心ください。私は死から逃れるために旧大陸へ行ったのではありません。そもそも人間は右腕一本奪われたくらいでは死にません。私は自分の恋を叶えるために行ったのですよ」
「恋……」

 本当にあの夢は未来の記憶だったのか、ベルントはなにをどこまで知っていて、今の状況にどれだけ関与しているのか──聞かなくてはいけないことは山ほどあるのに、私は彼の口から出た『恋』という言葉に硬直してしまった。
 それは、当たり前のことだ。
 ベルントは年ごろの男性なのだもの。だれかに恋をしていたって不思議はない。私にだって婚約者がいて、でも、だけど……

「あぁ! ゲルダ様、こんばんはぁ。こんなところにいたんですねぇ。アタシぃご挨拶しようと思って探していたんですぅ」

 今度は見つめていなかったし、そもそも殿下の存在すら失念していたのだけれど、今回も私は男爵令嬢に気づかれてしまった。
 また私の赤葡萄酒を浴びに来たのかしら。浴びせてあげたら立ち去ってくれるというのなら浴びせても良い。
 とはいえヴンデ男爵令嬢リューグナ様は赤葡萄酒を浴びるとお亡くなりになってしまうのよね。……どうして?

 今一番関心があるのはベルントの恋なのだけど、同時にそれは考えてはいけないことのような気がした。
 彼の気持ちを聞くのも怖かったし、それによって自分が考えまいとしていたことに気づいてしまうのではないかという恐怖もあった。
 私は王太子アレクサンダー殿下の婚約者だ。愛されていなくても、一夜の夢で処刑されたことが真実の未来の記憶だったとしても……もう殿下を愛せなくても。

 私は気を逸らすためにリューグナ様を見た。
 ぶつかられないように気をつけなくては。
 赤葡萄酒を飲み干しておいたほうが良いかしら。

 ……あら?

 私が赤葡萄酒を浴びせる前からピンクのドレスの胸元に赤いものが飛び散っている。
 そういえば今夜の彼女は王太子アレクサンダー殿下にエスコートされるとき、いつもとは違うほうの手を預けていた。
 今も握り締めているほうの手は夢の中、いいえ未来? で殿下が手袋の破損を指摘なさった手だ。はっきり覚えていないが、前のときは殿下の従者に渡された白葡萄酒の杯も、いつもと違うほうの手で受け取っていた気がする。

「……」
「……あぁっ!」

 無言で見つめる私に痺れを切らしたのか、わざとらしい叫び声を上げた彼女が私にぶつかってきた。意味のないことを考えてないで、ちゃんと彼女を避ける体勢を取っておけば良かったと後悔する。
 杯を飛び出した赤葡萄酒がピンクのドレスの胸元を染め、先ほどあった飛沫の痕跡を消し去った。
 そのまま床に腰をついた彼女に、夢と同じように殿下が駆け寄ってくる。

「なんてことをするのだ、ゲルダ! リューグナ、大丈夫か?」
「えへへ。アタシが勝手に転んじゃっただけですよぅ」
「ゲルダなど庇わなくても良いのだぞ。ああ、可哀相に。胸元が真っ赤に染まっているではないか。まるで血のようだ、痛ましい」

 確かに血のよう。では、赤葡萄酒を浴びる前から散っていた赤い飛沫はなんだったのかしら。

「まったく酷いことを。ゲルダ! 貴様のような女との婚約は破棄する!」
「……かしこまりました」

 私は恭しく頭を下げた。
 今回も国王陛下ご夫妻はいらっしゃらないけれど、今回はお父様がいらっしゃる。
 この婚約破棄宣言はどういう扱いを受けるのだろう。

 本当に婚約破棄が為されたら、私は自由の身になれる。
 でもベルントは……いえ、ベルントは私の未来に関係はないのだけれど。もし今回も冤罪に落とされたとしても、彼は私を助けに来たりせず安全な場所にいて幸せな人生を送って欲しい。
 ええ、それが私の本心だわ。

「ん? リューグナ、手袋が破れているぞ。ゲルダの仕業か?」
「は、はい。手袋まで破れちゃったしドレスも汚れちゃったので、アタシ……控、室に戻りたい、です」

 ふたりの茶番は夢で見たままだ。
 彼女の呂律が回っていないように感じるのも変わってない。
 ああ、このまま男爵令嬢は毒で死んでしまうのよね。やっぱり殿下になにか忠告したほうが良かったのかしら。だけど……夢と同じように殿下はずっと私を避けていらしたし、それとなく仄めかしてみても脅しと思われてしまったから、どうしようもなくて……赤葡萄酒の杯を拒んで白葡萄酒を持ってきてもらえば良かった?

「おい。大丈夫か、リューグナ。メイドを呼んで控室まで送らせよう」
「い、いえ。アタシ、ひとり、で……」
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