この毒で終わらせて

豆狸

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<王家の毒>

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「兄上!」

 オートムヌ王国の第二王子アルベールは、王宮で王太子である異母兄を呼び止めた。

「なんだ?」

 少しためらってから、アルベールはその言葉を口にした。

「僕の婚約者、侯爵家令嬢のベアトリスが辺境伯家に引き取られたと聞きました。なぜ教えてくださらなかったのですか?」
「違う」
「兄上?」
「ベアトリス嬢はそなたの婚約者ではない、尊称を付けろ。そなたの婚約者は侯爵家自体だ。あの侯爵が我に返らぬうちに、とっとと妹のフロランス嬢との婚約を認めさせろ」
「侯爵が我に返る?」
「これまでは気づかぬ振りをしてきたのだろうが、フロランス嬢とふたりきりになった今ではいつ気づくかわからんだろう? 彼女の瞳が侯爵家の色ではなく、伯爵家の色だということに」
「伯爵家?」
「そう、フロランス嬢は侯爵の種ではない。そなたの母親の弟、伯爵家次男の種だ。もっとも父上が母上ご懐妊中の無聊を慰めるため楽しんでいた酒に媚薬を入れて種を絞ったそなたの母親とは違い、多少の愛情はあったのだろうがな。……いや、ないか。叔母上が妊娠したときに備えて侯爵に体を許させていた外道だからな」
「どういうことです?」

 王太子は眉を吊り上げた。

「気づいていなかったのか? そなたの母親とその実家の伯爵家はイヴェール帝国に魂を売った売国奴よ。父上の種を絞ってそなたを作り、次男を同行させて叔母上に恋していた隣国の王を嘲り国力を奪おうとした。隣国の王ができた男でなければ、戦争が始まっていてもおかしくはなかったところだ。俺の愛しいコンスタンスが製毒の恩恵ギフトによって気づいてくれなければ、コンスタンスの親友であるベアトリス嬢が製薬の恩恵ギフトで助けてくれていなければ、俺も母上も殺されていただろう。……父上はそなたが成人するまで麻薬漬けと言ったところかな」
「そんな、母上と伯父上がそんなことを?……もしかして、おふたりが亡くなったのは!」
「俺の愛しいコンスタンスの毒だ」

 憤怒に満ちた表情とは裏腹に、王太子は凍りついた声で異母弟に告げる。

「製毒の恩恵ギフトを授かって生まれたからと言って、俺は愛しいコンスタンスの手を汚させるつもりはなかった。葡萄酒やチーズを改革してくれただけで十分だ。しかし、そなたの母親の一族は手強かった。この国と民の未来を思えば彼女に頼まざるを得なかったほどにだ」
「兄上、僕は……」
「……見るな、話しかけるな、消えてしまえ」
「っ!」
「そなたがコンスタンスの親友であるベアトリス嬢に投げつけていた言葉だな。婚約者を見てなにが悪い。婚約者が別の女と睦み合っていることを注意してなにが悪い。消えてしまえ? 何様のつもりだ! 尻の軽い伯爵家の血を引いた者同士で乳繰り合うのが、そんなに楽しかったのか?」
「……」

 言葉を失ったアルベールの手に、王太子が小さな瓶を落とす。

「侯爵がどうにもならないようなら、これを使え。叔母上のせいでイカれてしまっているが侯爵家の領土も財産も価値がある。王家に不満を持たれて帝国へ行かれてはかなわない」

 侯爵家の領地は北のイヴェール帝国と国境を接している。
 貿易こそおこなっているものの、南のエルテ王国と違い帝国とは友好的な関係にない。
 帝国は大陸全土を手中に収めようとしている侵略国家だ。

「俺は母上とは違う。父上と同じように、いくらそなたが王家の瞳を持っていようとも生まれたときに始末するべきだったと思っている。そなたの母親のせいで母上が子を成せない体になってからは特に、な。しかし俺は優しい男だ。愛しいコンスタンスのためにそうあろうと思っている。……役に立て、アルベール。そうすれば俺は、そなたがベアトリス嬢に投げつけたような言葉は口にしないでいてやる」

 異母兄との会話の後、アルベールは王都にある侯爵家の別邸へ向かった。
 侯爵は領地を代官に任せ、ずっと王都で暮らしているのだ。
 彼の部屋の窓からは王宮が見える。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 侯爵家は血の匂いに満ちていた。

「アルベール様!」

 使用人達が床に転がる中、白金の髪プラチナブロンドのフロランスが飛び出して抱きついてくる。
 彼女の瞳を見てアルベールは思った。確かに亡くなった母と同じ伯爵家の瞳の色だと。
 白金の髪プラチナブロンド自体はこの国では珍しいものではないが、意識してみれば父王や異母兄と同じ色と質だとわかった。

「……アルベール様?」
「あ、いや、すまない。これは……一体どうしたんだ?」
「お父様が私の顔を見つめて急に、姫様ではない、とおっしゃって剣を抜かれたのです。使用人達は私を庇って……」

 ふたりのいる部屋の扉が開いて、血塗れの侯爵が現れた。
 フロランスが言った通り、赤く染まった剣を手にしている。
 アルベール達を目に止めた侯爵の顔が憤怒に歪んだ。

「そうか! やっぱりそうだったのか! 伯爵家の次男坊! 口だけは上手いお前が姫様を誑かしていたのだな。おかしいと思っていたんだ。私に許してくださったときに授かった子だとしたら、あまりにも生まれるのが遅い。お子を引き取るときに怪しまれないよう妻と作った娘のほうが三カ月も早く生まれている。お前……お前がぁーっ!」

 アルベールは侯爵の剣を正面から受けた。
 しがみつくフロランスが邪魔で腰の剣を抜けなかったのだ。
 同行した侍従は異常を知らせるために王宮へ走らせた。乗ってきた馬車は侍従に使わせている。

「アルベール様ぁっ!」
「……姫様? 姫様なのですか?」
「違います! お父様、私はフロランス、あなたの娘です」
「姫様はそんな薄汚い瞳の色ではない」
「きゃあああぁぁっ!」

 床に転がったアルベールの目の前で、フロランスが侯爵の剣に倒れる。

「娘? 私の娘……ベアトリス。ベアトリスはどこだ? 妻は? 燃える炎のように真っ赤な髪が美しい、私の大切なふたり……」

(ああ、美しかったな)

 薄れゆく意識の中、アルベールは侯爵の言葉に頷いた。
 妹を選んだ冷たい婚約者、アルベールへの恋心を消し去った彼女の笑みは、心臓を締めつけ息を止めるほど美しかった。
 ベアトリスはもう、彼には微笑まない。

★ ★ ★ ★ ★

 ──第二王子と侯爵家の人間は病気によって死亡した。
 第二王子の母である愛妾から、伯爵家の病気が感染したのだというのが王家の公式発表である。
 侯爵家の領地と財産は王家のものとなった。先日式を挙げた王太子と公爵令嬢コンスタンスの第二子以降に与えられることだろう。

 王太子と公爵令嬢が結ばれる少し前、辺境伯家の令嬢ベアトリスが隣国エルテ王国へと嫁いでいた。
 性別と年齢が釣り合えば、次代の王族同士で婚姻が結ばれることになるはずだ。
 両国の友好は今後も深まっていく。

 苺髪の姫君に回った毒も宵闇の貴公子に回った毒も、生涯解毒されることはなかった。
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