おにぎり屋さん111

豆狸

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5・おにぎり屋さんはダメ人間

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 灰色ネズミの未練を見つけてほしいという頼みを、わたしは必死で断った。
 頭を左右に振り過ぎて目まいがする。
 勘定場に座った店主さんが言う。
 相変わらず見た目だけは水も滴るイイ男だ。

「そうですか。では仕方がありませんね」
『そっかー。じゃあアーシ、ひとりで頑張ってみるわ』
「そうしてください。弟たちがいればあなたを捕まえて根の国に強制送還するとか言い出すかもしれませんが、私はここから動きたくないのでご自由に。でもできたら未練が見つからなくても自主的に戻ってきてくださいね」

 わたしは胸を撫で下ろした。
 ──その瞬間、信じられないことが起こった。
 ひとりで頑張ると宣言したネズミが、するするとわたしの体を駆け上がったのだ。
 肩まで来ると、やれやれ、という感じで人間のように座り込む。
 あまりの衝撃に、わたしは叫ぶこともできなかった。

「え? え? ネズミさん、ひとりで頑張るんですよね?」
『そうだよー。でも根の国逃げ出してこっち来て、出会った中で一番気になるのはアンタだし。アンタの側にいればアーシの未練に辿り着けるかな、って』
「ご安心ください、お客さま」

 店主さんが、すごくいい笑顔で言う。

「私は根の国から来た猟犬隊なので特別ですが、こちらにいる普通の生者のみなさんにはネズミが見えません。声も……生きているときに深いつながりがあったり血がつながっていたりする相手でないと聞こえません」
『ネズミ禁止のところでも大丈夫ってわけだし』
「そんな心配してません!」

 というかそれって、わたしがなにもない空間を見たり話しかけたりして不審人物扱いされるフラグのような。

「……あれ? それじゃあネズミさんはわたしの親戚なんでしょうか」

 最近亡くなった親戚はいない。
 もしかして、わたしが生まれる前に亡くなったおじいちゃん?

 ……ううん、落ち着こう。
 おじいちゃんはギャルじゃない。なかったはず、たぶん。なかったって言って。
 そもそも、そんな昔にギャルはいなかったよね?
 いたのかな? 生まれる前のことはわからないからなー。

 どんどん思考が脱線していく(おそらく無意識の現実逃避)わたしに、美し過ぎる引き籠り体質の残念イケメン店主さんが答えてくれる。

「あなたの場合は特別です。彼女が見えたのも声が聞こえたのもこの店の中にいたからですよ。ここは“逢魔が時”を具現化した空間なのです。昼と夜の境、此岸と彼岸の間……ここでは生者と死者は同じもの」
『おにぎりくれたからアーシとアンタには絆ができてるんだよねー。アーシを振り切って逃げたとしても簡単に見つけ出せるし』

 あげてないですよ?
 というかそれって、ネズミが幽霊だというのが本当なら、俗にいう“憑りつかれた”状態じゃないのかな?
 残念イケメンの店主さんが、喜色満面でわたしを見る。

「助かりました。良かったら、たびたび報告に来てくださいね。本来なら逢魔が時にしか入れない店ですが、お客さまとはつながりができたのでいつでもご来店いただけますよ。実質的にご協力いただいているのと同じなので、ご来店の際にはちゃんとおにぎりを差し上げますからね」

 この店のおにぎり、食べても大丈夫なんだろうか。
 ううん、おにぎりに誤魔化されてはいけない!

「困ります!」

 わたしは自分の肩に座った灰色ネズミに手を伸ばした。
 店主さんは動きそうにないから、こちらで捕まえて差し出そうと思ったのだ。
 だけど手のひらが温もりや毛皮の柔らかさを感じる前に、ネズミは消えた。
 いや、消えなかったとしても普通のネズミや生き物のような感触はなかったと思う。
 やっぱり彼女は幽霊、わたしと同じ世界の住人ではないのだ。

『あーバビったー! でもちょっと面白かったし』

 しゅわん、と煙が漂って、奥の床が高くなった空間にネズミが出現する。
 ズルい。そんな力があったら捕まえられないよ。
 ……店主さんならできるのかな。
 弟たちなら捕まえて強制送還とか言ってたし。

「店主さん! すぐ近くです。立ち上がってネズミさんを捕まえてください」
「それは無理ですね」
「そんなに動くのが嫌なんですか?」
「それもありますが、着物だからと恰好をつけて勘定場の中で正座していたら足が痺れてしまいました。動いたら死にます」
『ふうん?』
「あ、やめてください!」

 灰色ネズミに足を突かれて、店主さんは情けない声を上げる。
 今の隙に捕まえるのはダメなんですか? ダメというより無理なんですね、わかります。

 ……この人、ダメ人間だあ。というか、人間なの?
 今度来店したとき、弟さんとやらがいたら助けを求めてみよう。
 どうせ逃げても灰色ネズミには見つけ出されちゃうだろうし。
 今日のところは諦めて、わたしは棚に向かっておにぎりを選び始めた。
 狭い店内に澄んだ水のように涼やかな声が響き渡る。

「あー、やめてくださいー。足が痺れてるんですー」
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