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第五話 忘れられたら
テレーザが言った通り、王都カルーゾ伯爵邸の応接室には父と一緒に王都騎士団の中隊長がいた。
父の友人なので前から顔は知っている。
軽く挨拶をして、私は父に促されて彼らの向かいの長椅子に座った。
「ジョヴァンニ殿の愛人の家と男爵家を調査したら、とんでもないことがわかったぞ!」
少しはしゃいだ調子で父が言う。
友人との探偵ごっこが楽しかったのか、孫のいる年齢で少年のような顔をしている。
私は父の隣で頷いている、厳つい顔の中隊長に頭を下げた。
「今日は父につき合っていただいてありがとうございました」
「いえ、あの男爵家には私も思うところがありましたので」
「なにかあったのですか?」
中隊長が父を見る。父は小さく溜息をついて教えてくれた。
「あそこの令嬢が失踪したときに、我が家の仕業だと騒がれたんだ。王都騎士団にも毎日のように押しかけて、カルーゾ伯爵家を捜査しろと詰め寄っていたそうだ」
「それは……知りませんでした。私のせいで申し訳ありませんでしたお父様、中隊長様」
「マティルデ嬢のせいではありませんよ。婚約者のいる相手と不貞をしていた自分達の娘のほうが問題なのに、争点をすり替えてカルーゾ伯爵家から金を巻き上げようとしていただけです」
「最初から失踪なんかしていなかったんだろうな。男爵家の知り合いの家で匿っていて、親が騒ぐことで本当に失踪したと見せかけていたんだ。今日は初めからどちらの家も見に行くつもりだったが、囲われている家を出た愛人を追いかけたら男爵邸へ入っていったんで手間が省けたぞ」
笑い声を響かせる父の隣で、中隊長が頷いている。
そう言えば私はこの家の人間で、中隊長はお客様なのだけど、この家の当主である父の隣に座っていて良いのかしら。
まあふたりが私に説明してくれているのだから、この体勢が一番なのかもね。
「しかし驚きましたね」
「……ああ」
「お父様?」
「男爵邸には子どもがいたんだ。五歳か六歳くらいの女の子だ。男爵令嬢が失踪したと見せかけていたのは、その子を産むためだったのではないかな」
「女の子……?」
私の視線を受けて、ハッとしたような顔の父と中隊長が俯く。
「父親はジョヴァンニ様、ということでしょうか?」
「……」
ふたりは答えない。
しかし沈黙は雄弁に、彼らがそう考えているのだと語っていた。
問いかけてはみたものの、私もそうとしか考えられなかった。
足元が崩れていくような感覚に包まれる。
まさかそこまで関係が進んでいたとは思っていなかったのだ。
学園でいつも睦み合う姿は見ていたが、抱き合ったりキスをしたりしていても子どもを作るようなことは……だってジョヴァンニには私という婚約者がいて、ブルローネだって純潔を尊ばれる貴族令嬢。だから関係を持ったのは最近再会してからだと。
少女漫画『春を夢見ても』に出てきた愛人の娘は、私の子どもと同い年の異母姉妹という話だった。
今の状況と照らし合わせて考えると、夫の浮気を知って私が離縁を言い出す、コンティ伯爵家のことを思ってジョヴァンニがブルローネに別れを言い出す、私の死後彼女が親娘でやって来るが彼は娘の存在を知らなかった、という筋書きだと思っていた。
でも違ったのだろうか。ジョヴァンニは最初から、ブルローネと彼女の娘のためにだけ生きていたのだろうか。すうっと、心が冷えていくような気がした。
「その……女の子の名前はわかりますか?」
「ああ、パッツィーアと呼ばれていたぞ」
『春見て』に出てきた私の子どもの異母姉妹と同じ名前だ。
なにかでその子が亡くなって、ブルローネがもうひとり産んで同じ名前をつけるのだろうか。
だけど、と思いつく。幼いころの一、二歳は大きいけれど、成人してからはそれほどでもない。この王国の貴族子女と裕福な平民の通う学園に入学するのは、特別な事情がない限り平民の成人年齢のときだ。
これから私の子どもが生まれたと仮定して、学園に入学するくらい成長していたら六、七歳の年の差は誤魔化せる?
少女漫画の中では憎まれ役ということもあって、ブルローネの娘パッツィーアは華やかというよりも派手で、大人びたデザインをされていた。
なにか裏設定でもあったのかしら。いえいえ、今は現実。すべてが『春見て』と同じとは限らない。
「……そこまで道を踏み外していらしたのですね。なのに私は謝罪されたくらいで許して、結果お父様達にもご迷惑をおかけして……」
「マティルデのせいではない。私達もジョヴァンニ殿が立ち直ったのだと信じていた。本人も妊娠のことは知らなかったのかもしれん」
「そう、ですね……」
『春見て』に出てくる私の子どもの名前はソフィアだった。
その名前を忘れられたら良いのに、と思っている。
だって私は彼女のいない未来を選ぶのだ。逆行や巻き戻りじゃなくて前世の記憶が戻った転生者だから、その未来を選ぶことに抵抗はない。ないつもりだったけれど、どうしても彼女の名前が忘れられない。
子どもの話で私がショックを受けているのに気づいたのだろう。父は不自然なほど明るい声で、いずれコンティ伯爵家と離縁の交渉をするとき、ジョヴァンニにブルローネとの間の娘までいるという事実が我が家の優位を確実にするだろう、なんて言って話を締めて、その日は終わった。
父の友人なので前から顔は知っている。
軽く挨拶をして、私は父に促されて彼らの向かいの長椅子に座った。
「ジョヴァンニ殿の愛人の家と男爵家を調査したら、とんでもないことがわかったぞ!」
少しはしゃいだ調子で父が言う。
友人との探偵ごっこが楽しかったのか、孫のいる年齢で少年のような顔をしている。
私は父の隣で頷いている、厳つい顔の中隊長に頭を下げた。
「今日は父につき合っていただいてありがとうございました」
「いえ、あの男爵家には私も思うところがありましたので」
「なにかあったのですか?」
中隊長が父を見る。父は小さく溜息をついて教えてくれた。
「あそこの令嬢が失踪したときに、我が家の仕業だと騒がれたんだ。王都騎士団にも毎日のように押しかけて、カルーゾ伯爵家を捜査しろと詰め寄っていたそうだ」
「それは……知りませんでした。私のせいで申し訳ありませんでしたお父様、中隊長様」
「マティルデ嬢のせいではありませんよ。婚約者のいる相手と不貞をしていた自分達の娘のほうが問題なのに、争点をすり替えてカルーゾ伯爵家から金を巻き上げようとしていただけです」
「最初から失踪なんかしていなかったんだろうな。男爵家の知り合いの家で匿っていて、親が騒ぐことで本当に失踪したと見せかけていたんだ。今日は初めからどちらの家も見に行くつもりだったが、囲われている家を出た愛人を追いかけたら男爵邸へ入っていったんで手間が省けたぞ」
笑い声を響かせる父の隣で、中隊長が頷いている。
そう言えば私はこの家の人間で、中隊長はお客様なのだけど、この家の当主である父の隣に座っていて良いのかしら。
まあふたりが私に説明してくれているのだから、この体勢が一番なのかもね。
「しかし驚きましたね」
「……ああ」
「お父様?」
「男爵邸には子どもがいたんだ。五歳か六歳くらいの女の子だ。男爵令嬢が失踪したと見せかけていたのは、その子を産むためだったのではないかな」
「女の子……?」
私の視線を受けて、ハッとしたような顔の父と中隊長が俯く。
「父親はジョヴァンニ様、ということでしょうか?」
「……」
ふたりは答えない。
しかし沈黙は雄弁に、彼らがそう考えているのだと語っていた。
問いかけてはみたものの、私もそうとしか考えられなかった。
足元が崩れていくような感覚に包まれる。
まさかそこまで関係が進んでいたとは思っていなかったのだ。
学園でいつも睦み合う姿は見ていたが、抱き合ったりキスをしたりしていても子どもを作るようなことは……だってジョヴァンニには私という婚約者がいて、ブルローネだって純潔を尊ばれる貴族令嬢。だから関係を持ったのは最近再会してからだと。
少女漫画『春を夢見ても』に出てきた愛人の娘は、私の子どもと同い年の異母姉妹という話だった。
今の状況と照らし合わせて考えると、夫の浮気を知って私が離縁を言い出す、コンティ伯爵家のことを思ってジョヴァンニがブルローネに別れを言い出す、私の死後彼女が親娘でやって来るが彼は娘の存在を知らなかった、という筋書きだと思っていた。
でも違ったのだろうか。ジョヴァンニは最初から、ブルローネと彼女の娘のためにだけ生きていたのだろうか。すうっと、心が冷えていくような気がした。
「その……女の子の名前はわかりますか?」
「ああ、パッツィーアと呼ばれていたぞ」
『春見て』に出てきた私の子どもの異母姉妹と同じ名前だ。
なにかでその子が亡くなって、ブルローネがもうひとり産んで同じ名前をつけるのだろうか。
だけど、と思いつく。幼いころの一、二歳は大きいけれど、成人してからはそれほどでもない。この王国の貴族子女と裕福な平民の通う学園に入学するのは、特別な事情がない限り平民の成人年齢のときだ。
これから私の子どもが生まれたと仮定して、学園に入学するくらい成長していたら六、七歳の年の差は誤魔化せる?
少女漫画の中では憎まれ役ということもあって、ブルローネの娘パッツィーアは華やかというよりも派手で、大人びたデザインをされていた。
なにか裏設定でもあったのかしら。いえいえ、今は現実。すべてが『春見て』と同じとは限らない。
「……そこまで道を踏み外していらしたのですね。なのに私は謝罪されたくらいで許して、結果お父様達にもご迷惑をおかけして……」
「マティルデのせいではない。私達もジョヴァンニ殿が立ち直ったのだと信じていた。本人も妊娠のことは知らなかったのかもしれん」
「そう、ですね……」
『春見て』に出てくる私の子どもの名前はソフィアだった。
その名前を忘れられたら良いのに、と思っている。
だって私は彼女のいない未来を選ぶのだ。逆行や巻き戻りじゃなくて前世の記憶が戻った転生者だから、その未来を選ぶことに抵抗はない。ないつもりだったけれど、どうしても彼女の名前が忘れられない。
子どもの話で私がショックを受けているのに気づいたのだろう。父は不自然なほど明るい声で、いずれコンティ伯爵家と離縁の交渉をするとき、ジョヴァンニにブルローネとの間の娘までいるという事実が我が家の優位を確実にするだろう、なんて言って話を締めて、その日は終わった。
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