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第六話 流される男
「ジョヴァンニってば可哀想」
学園に入学して出会った男爵令嬢ブルローネにそう言われるまで、ジョヴァンニは自分が可哀想だとは感じたことはなかった。
だが、言われてみればそうかもしれない、と思った。
コンティ伯爵領は山の位置のせいで暴風に悩まされていた。当主である両親はいつも復興や防災で忙しくしていた。幼いころの記憶は、預けられていたカルーゾ伯爵家でのものがほとんどだ。
「親の都合で、好きでもない相手と婚約させられてるだなんて」
続けて告げられた言葉については、そうかもしれない、とは同意できなかった。
親に決められた婚約ではあったものの、ジョヴァンニはマティルデが好きだった。
幼馴染として、ずっと一緒に育ってきたのだ。三人で遊んでいるとき、兄がいなくなって不安そうになった彼女が、自分を見て笑顔になってくれるのが嬉しかった。本を読んだり花壇の花を見たりしているときに、自分の知識を褒めてくれるのが心地良かった。
「……ねえ、アタシとつき合わない? 学園の間だけで良いの。ただの恋愛ごっこよ」
アタシも可哀想なの、とブルローネはまつ毛を伏せた。
彼女にはまだ婚約者がいなかった。
実家の男爵家が貧しいからだ。どこの家も自分の家の利益になる相手と関係を結びたい。男爵家と結ばれることに利益はなかった。
「でもそんなことをしていたら学園で良い相手が見つからないよ? 君はひとり娘なんだろう? 家の跡取りになれない次男や三男が、学園で騎士爵を得て婿入りしてくれるかもしれないよ」
「無理よ。我が家には借金があるんだもの。卒業したらアタシは貴族と縁者になりたい老いぼれた豪商の後妻にでもされて、ソイツの金で立ち直った男爵家を遠縁から取った養子が継ぐのが関の山だわ。……だからね?」
ふたりは学園の喫茶室で話をしていた。
学園の間なら、婚約していない男女がお茶を楽しむくらいは自由だと言われたからだ。
なぜか向かいではなく隣の席に座っていたブルローネが、ジョヴァンニに体を寄せてくる。
「アナタと、恋がしたいのよ、ジョヴァンニ。遊びで良いの。恋を知らずに死んでいくなんて、アタシもアナタも可哀想じゃない?」
上目遣いで見つめられて、ジョヴァンニの心臓が飛び跳ねた。
ブルローネは華やかな美少女で肢体も豊満だった。
それも悪くはないかもしれない、と都合の良い考えが頭に浮かぶ。婚約者のマティルデが入学してくるまでは二年ある。ふたつ年上のマティルデの兄は三年制の学園の最終学年で忙しい。
ブルローネ本人が望んでいるのだから、弄ぶことにはならないだろう。
などと自分に言い訳することも忘れない。
卒業後に老人の後妻になるかもしれない彼女は可哀想なんだから、学園の間だけでも若い自分が楽しませてあげるのは良いことだ、なんて身勝手な理屈もひねり出す。
そして、ジョヴァンニは流された。
マティルデの兄には気づかれないまま一年が過ぎて、思うままに次の一年をブルローネと過ごしたジョヴァンニは、婚約者が入学しても生活を変えられなかった。
入学前、わざわざ誘った学園祭で放置してしまったときに反省しておこないを正すべきだったのに。
卒業の一ヶ月前に婚約解消を申し出られるまで、ジョヴァンニは自分の愚かさに気づかぬまま流され続けた。
――ごめんなさい。
マティルデとの婚約が解消されるかもしれないと伝えた後、失踪したブルローネから届いた手紙の冒頭にはそう綴られていた。謝罪に続いて記されていたのは、本当はごっこではなく心からジョヴァンニを愛していた、だからこそ身を引くのだという言葉だった。
ジョヴァンニは泣いた。
なにも考えずに流されていた自分が、本気のブルローネを傷つけてしまったことへの涙だった。
しかし同時に、彼女がいなくなったことを喜ぶ涙でもあった。
ジョヴァンニは心のどこかで確信していた。
婚約解消を申し出てきた今も、マティルデが自分を愛していてくれていると。
真摯に謝罪して反省しているところを見せれば、きっと婚約を継続してくれると。
ブルローネとの関係を恋愛ごっこだと思っていたジョヴァンニは、流されていても結婚するのはマティルデだと考えていた。
マティルデの学園卒業までの二年と、卒業してからの一年で、ジョヴァンニは許してもらうことができた。
学園時代の過ちは、かすかな痛みとともに思い出す切なく懐かしい思い出に変わると信じていた。――マティルデとの結婚式の前日に、失踪したはずのブルローネと再会するまでは。
学園に入学して出会った男爵令嬢ブルローネにそう言われるまで、ジョヴァンニは自分が可哀想だとは感じたことはなかった。
だが、言われてみればそうかもしれない、と思った。
コンティ伯爵領は山の位置のせいで暴風に悩まされていた。当主である両親はいつも復興や防災で忙しくしていた。幼いころの記憶は、預けられていたカルーゾ伯爵家でのものがほとんどだ。
「親の都合で、好きでもない相手と婚約させられてるだなんて」
続けて告げられた言葉については、そうかもしれない、とは同意できなかった。
親に決められた婚約ではあったものの、ジョヴァンニはマティルデが好きだった。
幼馴染として、ずっと一緒に育ってきたのだ。三人で遊んでいるとき、兄がいなくなって不安そうになった彼女が、自分を見て笑顔になってくれるのが嬉しかった。本を読んだり花壇の花を見たりしているときに、自分の知識を褒めてくれるのが心地良かった。
「……ねえ、アタシとつき合わない? 学園の間だけで良いの。ただの恋愛ごっこよ」
アタシも可哀想なの、とブルローネはまつ毛を伏せた。
彼女にはまだ婚約者がいなかった。
実家の男爵家が貧しいからだ。どこの家も自分の家の利益になる相手と関係を結びたい。男爵家と結ばれることに利益はなかった。
「でもそんなことをしていたら学園で良い相手が見つからないよ? 君はひとり娘なんだろう? 家の跡取りになれない次男や三男が、学園で騎士爵を得て婿入りしてくれるかもしれないよ」
「無理よ。我が家には借金があるんだもの。卒業したらアタシは貴族と縁者になりたい老いぼれた豪商の後妻にでもされて、ソイツの金で立ち直った男爵家を遠縁から取った養子が継ぐのが関の山だわ。……だからね?」
ふたりは学園の喫茶室で話をしていた。
学園の間なら、婚約していない男女がお茶を楽しむくらいは自由だと言われたからだ。
なぜか向かいではなく隣の席に座っていたブルローネが、ジョヴァンニに体を寄せてくる。
「アナタと、恋がしたいのよ、ジョヴァンニ。遊びで良いの。恋を知らずに死んでいくなんて、アタシもアナタも可哀想じゃない?」
上目遣いで見つめられて、ジョヴァンニの心臓が飛び跳ねた。
ブルローネは華やかな美少女で肢体も豊満だった。
それも悪くはないかもしれない、と都合の良い考えが頭に浮かぶ。婚約者のマティルデが入学してくるまでは二年ある。ふたつ年上のマティルデの兄は三年制の学園の最終学年で忙しい。
ブルローネ本人が望んでいるのだから、弄ぶことにはならないだろう。
などと自分に言い訳することも忘れない。
卒業後に老人の後妻になるかもしれない彼女は可哀想なんだから、学園の間だけでも若い自分が楽しませてあげるのは良いことだ、なんて身勝手な理屈もひねり出す。
そして、ジョヴァンニは流された。
マティルデの兄には気づかれないまま一年が過ぎて、思うままに次の一年をブルローネと過ごしたジョヴァンニは、婚約者が入学しても生活を変えられなかった。
入学前、わざわざ誘った学園祭で放置してしまったときに反省しておこないを正すべきだったのに。
卒業の一ヶ月前に婚約解消を申し出られるまで、ジョヴァンニは自分の愚かさに気づかぬまま流され続けた。
――ごめんなさい。
マティルデとの婚約が解消されるかもしれないと伝えた後、失踪したブルローネから届いた手紙の冒頭にはそう綴られていた。謝罪に続いて記されていたのは、本当はごっこではなく心からジョヴァンニを愛していた、だからこそ身を引くのだという言葉だった。
ジョヴァンニは泣いた。
なにも考えずに流されていた自分が、本気のブルローネを傷つけてしまったことへの涙だった。
しかし同時に、彼女がいなくなったことを喜ぶ涙でもあった。
ジョヴァンニは心のどこかで確信していた。
婚約解消を申し出てきた今も、マティルデが自分を愛していてくれていると。
真摯に謝罪して反省しているところを見せれば、きっと婚約を継続してくれると。
ブルローネとの関係を恋愛ごっこだと思っていたジョヴァンニは、流されていても結婚するのはマティルデだと考えていた。
マティルデの学園卒業までの二年と、卒業してからの一年で、ジョヴァンニは許してもらうことができた。
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