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第一話 宴の夜
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ギュンター王国国王生誕五十周年の宴は盛り上がっていなかった。
せっかく訪れてくださった諸外国の要人を無視して、次代の王である王太子殿下が愛妾のロイバーナ様に夢中なのだから、それも当然のことだろう。
賓客を無視してロイバーナ様に集まっているのは王太子殿下だけではない。彼の年若い側近はもちろん、主役のはずの国王陛下までロイバーナ様の近くにいる。
客人をもてなしているのは、王太子妃である私クリスティーネと王妃殿下だけだ。
王妃殿下はたまに不機嫌そうに国王陛下を見つめているが、私はもう王太子殿下に期待するものはなかった。二年前学園の卒業パーティで婚約を破棄されたことで彼への想いは潰えている。
ついでに実家のバウマン公爵家も追い出されて神殿にでも入れれば良かったのだけれど、権勢欲に憑りつかれたお父様と国王陛下ご夫妻の説得という名の脅しに押し切られて、去年王太子妃にされてしまった。
学園在学時からロイバーナ様を寵愛していた王太子殿下とは白い結婚だ。
普通の貴族なら一年の白い結婚で離縁ができるのに、王太子妃である私にそれは許されない。
このままだれからも愛されることなく老いさらばえて、形だけの王太子妃から形だけの王妃になって死んでいくのだろう。今は毎日生まれて来なければ良かったと思いながら生きている。
私の母の死後、愛人を娶って異母弟を溺愛されているお父様──いいえ、あの人は私の父親なんかじゃないわね。
娘として愛された記憶なんてない。
殴られたことくらいしか思い出せない。
厄介者の娘を王太子殿下に嫁がせて、次代の王の後見人としてこの世の春を謳歌しているバウマン公爵が憎々し気にこちらを見ている。
愛されないとわかっていて娘を送り込んだのはあなた。
私の言葉で王太子殿下がおこないを改めると思っていたのなら、能無しもいいところだわ。
やがて宴の舞台である大広間にダンスの旋律が流れ始めた。
王太子殿下は当然のような顔をして、愛妾のロイバーナ様にファーストダンスを申し込んだ。二年前の婚約破棄という愚行を知っていてもお付き合いしてくださっている諸外国の方々の目の前で。
彼の頭には愛するロイバーナ様のことしかない。でもだからといって、どうして捨てられた私が彼の代わりに国のために生きなくてはいけないのか。
「踊ってもらえないか、クリスティーネ殿下」
そう言って私に微笑んだのは、隣国ヘルツェル帝国の皇帝ウルリヒ陛下だった。
帝国には多くの獣人の国があり、皇帝は世襲制でなく所属するそれぞれの国々を代表して立候補したものの中から選抜されることになっていた。
王太子殿下がお忍びで行った下町でロイバーナ様と出会って夢中になっていたころ、私は帝国の大学に短期留学をしていた。そのときのウルリヒ陛下は虎獣人の国の侯爵子息だった。
世襲制でないとはいえ、皇帝候補に立候補するのは身分の高いものなのが普通だ。
身分の高い人間のほうが高い教育を受けられるからだろう。
それぞれの王家でも王家の血を引く公爵家からでもなく、侯爵家から皇帝が選抜されたのは、帝国千年の歴史でも珍しいことだった。
虎獣人というのは黄金か茶色の髪、あるいは赤毛の持ち主が多いのだけれど、ウルリヒ陛下は白銀の髪の持ち主だ。
丸い虎の耳には黒い縞が入っている。
豪奢な衣装の裾から覗く耳と同じ色合いの長い尻尾は、母方のお婆様が飼っていらした猫のようにゆっくりと左右に揺れていた。……良かった。こんな宴でも少しは楽しんでくださっているらしい、と安堵しながら言葉を返す。
「申し訳ございません、皇帝陛下。ファーストダンスはパートナーと踊るものですわ」
私のパートナーは王太子殿下だ。
彼のパートナーが愛妾のロイバーナ様だからといって、私のパートナーを変えることはできない。
私はギュンター王国の王太子妃。愛されていなくても求められていなくても、国のため馬車馬のごとく働く定めの女。
国のためなら民のためならと自分を捨てた男の妻になることを受け入れたけれど、国も民も私に報いてなどくれなかった。
王太子殿下とロイバーナ様の関係は美談にされて、国内の劇場でふたりを題材にした劇が演じられていないときはない。
私はふたりを引き裂く悪女で、公爵家の権力で王太子妃に納まった最低の女だ。ロイバーナ様が側妃としての仕事すらできなくて、文官達まで私に泣きついてきたことなどだれも知らない。
ウルリヒ陛下の青い瞳が私を見つめる。
王太子殿下の青い瞳は宝石のようだけれど、ウルリヒ陛下の瞳の青は薄く、澄んだ水のようだ。
彼の大きな口の端が吊り上がって鋭い牙が覗いた。低く掠れた、だけどどこか甘い声が言う。
「だったら俺と踊るしかないな、クリスティーネ。……俺達は番なんだから」
せっかく訪れてくださった諸外国の要人を無視して、次代の王である王太子殿下が愛妾のロイバーナ様に夢中なのだから、それも当然のことだろう。
賓客を無視してロイバーナ様に集まっているのは王太子殿下だけではない。彼の年若い側近はもちろん、主役のはずの国王陛下までロイバーナ様の近くにいる。
客人をもてなしているのは、王太子妃である私クリスティーネと王妃殿下だけだ。
王妃殿下はたまに不機嫌そうに国王陛下を見つめているが、私はもう王太子殿下に期待するものはなかった。二年前学園の卒業パーティで婚約を破棄されたことで彼への想いは潰えている。
ついでに実家のバウマン公爵家も追い出されて神殿にでも入れれば良かったのだけれど、権勢欲に憑りつかれたお父様と国王陛下ご夫妻の説得という名の脅しに押し切られて、去年王太子妃にされてしまった。
学園在学時からロイバーナ様を寵愛していた王太子殿下とは白い結婚だ。
普通の貴族なら一年の白い結婚で離縁ができるのに、王太子妃である私にそれは許されない。
このままだれからも愛されることなく老いさらばえて、形だけの王太子妃から形だけの王妃になって死んでいくのだろう。今は毎日生まれて来なければ良かったと思いながら生きている。
私の母の死後、愛人を娶って異母弟を溺愛されているお父様──いいえ、あの人は私の父親なんかじゃないわね。
娘として愛された記憶なんてない。
殴られたことくらいしか思い出せない。
厄介者の娘を王太子殿下に嫁がせて、次代の王の後見人としてこの世の春を謳歌しているバウマン公爵が憎々し気にこちらを見ている。
愛されないとわかっていて娘を送り込んだのはあなた。
私の言葉で王太子殿下がおこないを改めると思っていたのなら、能無しもいいところだわ。
やがて宴の舞台である大広間にダンスの旋律が流れ始めた。
王太子殿下は当然のような顔をして、愛妾のロイバーナ様にファーストダンスを申し込んだ。二年前の婚約破棄という愚行を知っていてもお付き合いしてくださっている諸外国の方々の目の前で。
彼の頭には愛するロイバーナ様のことしかない。でもだからといって、どうして捨てられた私が彼の代わりに国のために生きなくてはいけないのか。
「踊ってもらえないか、クリスティーネ殿下」
そう言って私に微笑んだのは、隣国ヘルツェル帝国の皇帝ウルリヒ陛下だった。
帝国には多くの獣人の国があり、皇帝は世襲制でなく所属するそれぞれの国々を代表して立候補したものの中から選抜されることになっていた。
王太子殿下がお忍びで行った下町でロイバーナ様と出会って夢中になっていたころ、私は帝国の大学に短期留学をしていた。そのときのウルリヒ陛下は虎獣人の国の侯爵子息だった。
世襲制でないとはいえ、皇帝候補に立候補するのは身分の高いものなのが普通だ。
身分の高い人間のほうが高い教育を受けられるからだろう。
それぞれの王家でも王家の血を引く公爵家からでもなく、侯爵家から皇帝が選抜されたのは、帝国千年の歴史でも珍しいことだった。
虎獣人というのは黄金か茶色の髪、あるいは赤毛の持ち主が多いのだけれど、ウルリヒ陛下は白銀の髪の持ち主だ。
丸い虎の耳には黒い縞が入っている。
豪奢な衣装の裾から覗く耳と同じ色合いの長い尻尾は、母方のお婆様が飼っていらした猫のようにゆっくりと左右に揺れていた。……良かった。こんな宴でも少しは楽しんでくださっているらしい、と安堵しながら言葉を返す。
「申し訳ございません、皇帝陛下。ファーストダンスはパートナーと踊るものですわ」
私のパートナーは王太子殿下だ。
彼のパートナーが愛妾のロイバーナ様だからといって、私のパートナーを変えることはできない。
私はギュンター王国の王太子妃。愛されていなくても求められていなくても、国のため馬車馬のごとく働く定めの女。
国のためなら民のためならと自分を捨てた男の妻になることを受け入れたけれど、国も民も私に報いてなどくれなかった。
王太子殿下とロイバーナ様の関係は美談にされて、国内の劇場でふたりを題材にした劇が演じられていないときはない。
私はふたりを引き裂く悪女で、公爵家の権力で王太子妃に納まった最低の女だ。ロイバーナ様が側妃としての仕事すらできなくて、文官達まで私に泣きついてきたことなどだれも知らない。
ウルリヒ陛下の青い瞳が私を見つめる。
王太子殿下の青い瞳は宝石のようだけれど、ウルリヒ陛下の瞳の青は薄く、澄んだ水のようだ。
彼の大きな口の端が吊り上がって鋭い牙が覗いた。低く掠れた、だけどどこか甘い声が言う。
「だったら俺と踊るしかないな、クリスティーネ。……俺達は番なんだから」
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