彼女の幸福

豆狸

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第一話 首

 とても嫌な夢を見て目を覚ましました。
 婚約者のユジェーヌ王太子殿下に愛されないまま妃になって、最後には不貞を疑われて断頭台へ送られる夢です。
 ただの夢のはずなのに、酷く現実感のある夢でした。

 王都の侯爵邸の自室寝台で飛び起きて、私は自分の首を指で辿りました。
 ……大丈夫、繋がっています。
 断頭台へ送られたのはただの夢です。私は首を斬られてはいません。

 頭ではわかっているのに、なぜでしょう。
 恐怖で滲む涙でぼやけた視界には、転がる私の頭が見えるような気がします。
 いえいえ、首を斬られたのなら落ちた頭が見えるはずがありません。

 見えるとしたら頭を落とされた首無し死体のほうでしょう。
 そう思った瞬間、全身が凍りつきました。
 見た気がするのです、首無し死体を。断頭台に転がる私自身の首無し死体を。私は確かにどこかで見た気がするのです。

「違います、殿下。私はあの方に男性を差し向けたりしていません。不貞を働いたこともございません。……ずっと貴方だけ、貴方だけをずっとずっとお慕いしていたのですっ!」

 存在しない記憶に浮かされるようにして、私は寝台の上で叫びました。
 俯いて両手で顔を覆うことで、自分の頭があることを確認して安堵します。
 控えの続き部屋から侍女が飛び出してきました。

「どうなさったのですか、お嬢様!」

 侍女は血相を変えています。
 それはそうでしょう。寝室で安らかに眠っていると思っていた令嬢が突然叫び出したのですから。
 涙を拭いながら、私は答えます。

「ご、ごめんなさい。夢を見たの、とてもとても怖い夢を……騒いでごめんなさい。もうすぐ学園を卒業して嫁ぐ年齢なのに、情けない主人でごめんなさいね」

 侍女は悲し気な表情で首を横に振りました。

「……失礼ですけれどお気持ちはわかります。王太子様のことでお悩みなのでしょう?」

 この王国の王太子は現国王陛下ご夫妻の長男ユジェーヌ殿下。
 王国の大切な穀倉地帯を治める侯爵家の娘、私エレオノールの婚約者です。
 同い年の私達の婚約は、幼いころに結ばれました。

 政略的に結ばれた関係のせいか、殿下は最初から私に興味をお持ちではありませんでした。
 でも私は、美しく賢い殿下が大好きでした。
 さっき自分でもわけのわからない衝動に突き動かされて叫んだようにずっと、ずっとずっとお慕いしてきたのです。

「……」

 なのに今、殿下のことを考える心は冷え切っていました。
 いいえ、冷え切っているというのは少し違います。
 そうですね、正しく表現するならば、愛の炎が消えて温もりを失ったカラっぽの状態なのです。

 殿下のことを考えていると、心の奥底から得体の知れない恐怖が沸き上がって来ます。
 初めての感情です。……いいえ、本当に初めてだったでしょうか。
 『邪魔者』の私を射る殿下の冷たい瞳に、いつも恐怖を感じていたのではないでしょうか。

 この王国では貴族子女と裕福な平民の通う王立学園を卒業することで、成人として認められます。
 家を継いだり、公式の場でお酒を飲んだりすることが許されるようになるのです。
 そうは言ってもお酒はそれ以前から飲み始めることが多いようです。私はまだ家族に禁じられているので飲んだことはありませんが、殿下は学園の最終学年に進級したときに側近候補のご学友の方々と下町の酒場へ繰り出したという話です。

 そして、殿下はそこで出会ったのです。政略で結ばれただけの婚約者とは違う、真実の愛で結ばれた運命の相手、クリュエル様と──

 おふたりが巡り会ってから、私は殿下にとって『興味の無い婚約者』ではなく『邪魔者』に成り下がりました。
 父親の経営する酒場で働いているクリュエル様は平民で、いずれは国王ともなる王太子ユジェーヌ殿下の妃にはなり得ません。
 身分も理由ですが、王太子の後ろ盾になり得る権力も本人を支える財力もないのですから仕方がありません。

 学園の卒業はもうすぐです。
 卒業したら私は殿下に嫁ぐ予定になっています。
 殿下は私との婚約を破棄して、廃太子となってもクリュエル様と添い遂げるおつもりでしょうか。

 国王陛下ご夫妻には殿下以外にもお子様がいらっしゃいます。
 以前は婚約者の欲目か、ユジェーヌ殿下以外に王太子は務まらないと思っていました。
 でも今は……殿下のご弟妹方は皆様優秀でいらっしゃいます。配偶者の実家に力さえあれば、どなたが王太子になってもよろしいのではないかと思えました。ええ、少なくとも浮気相手に夢中になって下町へ日参し、婚約者を『邪魔者』扱いする現在の殿下以外でしたら、どなたでも。

 殿下はきっと私との婚約を破棄したりしません。
 むしろ私の機嫌を取って、クリュエル様を愛妾として迎えることを選ぶでしょう。
 これまでの私なら、殿下に優しくされたら大喜びで、クリュエル様の登城準備まで引き受けたことでしょう。でもそれは愚かなことです。嫁いでも愛されず『邪魔者』扱いされ続ける未来で、私はどんどん病んでいくことでしょう。

「……お嬢様」

 ずっと黙って考え込んでいる私を案じたのか、侍女に呼ばれました。

「ああ、ごめんなさい。殿下のことを考えていたの。殿下と……クリュエル様のことを」
「さようでございましたか。ええ、ええ、いくらでもお考え下さいませ。国王様方には王太子様以外にも優れたお子様がいらっしゃいますし、もともと侯爵家よりも王家に利をもたらす婚約でございますからね」

 私と我が家贔屓の侍女は鼻息も荒く言った後で、心底心配している表情で尋ねてきました。

「もしかして寝違えられましたか? ずっと首を押さえていらっしゃるようなのですけれど……」
「!……いいえ、なんでもないわ。少し寝惚けているだけよ」

 私の首は体に繋がっています。今は、まだ。

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