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第二話 婚約解消
この王国の学園は、女神様を娶った建国王陛下の婚礼にちなんで春の初めに卒業式がおこなわれます。新しい生活に飛び込む卒業生を女神様に祝福してもらうためです。
同い年の私と王太子ユジェーヌ殿下の学園卒業まで後少し、今は春に近い冬の終わりでした。
私は月に一度の婚約者同士の交流お茶会のために王宮を訪れていました。
王宮庭師の精励のおかげか、ふたりきりのお茶会の開催されている中庭にはひと足早い春が訪れているようでした。
女神様と建国王陛下の婚礼でも舞っていたという、白い花びらが風に踊っています。
私の前には不機嫌そうなお顔の殿下が座っていらっしゃいます。ああ、もちろんふたりきりと言っても周囲には給仕の侍女や侍従、護衛の近衛騎士の方々がいます。
早春の煌めきを浴びた黄金の髪に、真実の愛を尊ぶ女神様から受け継がれているという神秘的な紫色の瞳。
背は高いもののほっそりとした体は、少し華奢に見えます。
整った端麗なお顔に笑みが浮かんでいないことに、今日の私は安堵のようなものを感じていました。
私に笑顔を見せてくださらない殿下が、クリュエル様相手のときはいつも笑っていらっしゃることを知っています。
……侍女や護衛に無理を言って、下町へ日参する殿下の後を尾行したことがあるのです。
あまりに私と違う対応に、泣きながら帰ったことを覚えています。
殿下が真実の愛を尊ぶ女神様の教えに心酔して、いつか運命の相手と巡り合うことを密かに夢見ていらしたことも知っています。
私がそうだと良いとずっと願っていました。
だけど政略的に結びつけられた婚約相手というだけで、殿下にとって私は真実の愛の対象ではあり得ない人間だったのです。
幼いころから美しい昆虫が好きで、宙を舞う蝶を見つけると視線で追っていらっしゃることも知っています。
私は虫が苦手だったのですが、殿下とお話がしたくて必死に好きになる努力をしたのです。
でも殿下は、どんなに私が話しかけても公務以外では相槌以上の言葉を返してくれることはありませんでした。
私が語った好きなもののことなど、殿下はひとつも覚えていらっしゃらないでしょう。
誕生日などの贈り物は欠かさずいただいていましたけれど、それらを選んだのが殿下ではなく侍従の方々だということはわかっています。
それでも昔の私は喜んでいましたっけ。
殿下は私の機嫌を取って、クリュエル様を愛妾に迎えるおつもりはないようです。
真実の愛に殉じるおつもりなのだと思います。
もっとも私があの悪夢を見た夜の翌日に、父である侯爵にお願いしたことのせいもあるのでしょうが。
「……私との婚約を解消するというのは本気か?」
冷たく玲瓏なお声に、私は首肯いたします。
もう手続きは終わっています。
後は殿下にご納得いただいて終わりです。
「そんなにクリュエルのことが気に入らないのか」
「婚約者の恋人を気に入る人間は多くないのではありませんか?」
「君はこの王国一の権勢を誇る侯爵家の令嬢としての義務を、王太子である私の婚約者としての役目を心得ているものだと思っていたのだが」
「心得ているからこそ、ですわ。もし殿下が恋人を慈しむあまり、私に冤罪をかけて処刑でもしたら我が家の人間が黙ってはいませんもの。この王国が二分される内紛が起こるでしょう。初めから危険の芽を摘んでおこうと考えるのは、侯爵令嬢として王太子殿下の元婚約者として当然のことだったのではないでしょうか?」
クリュエル様を排除するほうが簡単なのに、それをしないだけでも感謝されても良いくらいです。
ひと息で言ってお茶で唇を湿らせる私に、殿下がなにかをおっしゃいました。
囁くような声です。
「……君も覚えているのか?……」
「はい? 今なんとおっしゃいましたか?」
お茶を口にしていたせいもあってか、よく聞こえませんでした。不敬ながら聞き返した私に、殿下は大きく首を横に振って見せました。
「なんでもない。……いや、ほかに男でもいるのか、と聞いたのだ」
私は微笑みました。
悪夢から目覚める前の私なら、今の殿下のお言葉を嫉妬ではないかと思って喜んだことでしょう。
でも、今はもう。
「今はまだ。ですが父がすぐ新しい婚約者を見つけてきてくださると思いますわ」
ささいな浮気に悋気を燃やして王太子との婚約を蹴ったような傷物令嬢に、新しい縁談は来ないかもしれません。
それでも私はこの選択をして良かったと感じていました。
婚約解消になると正式に決まってから、私は首を触らなくなったのです。
「そうか」
いつものように興味の無さそうな声で殿下がおっしゃって、最後のお茶会は終わりました。
同い年の私と王太子ユジェーヌ殿下の学園卒業まで後少し、今は春に近い冬の終わりでした。
私は月に一度の婚約者同士の交流お茶会のために王宮を訪れていました。
王宮庭師の精励のおかげか、ふたりきりのお茶会の開催されている中庭にはひと足早い春が訪れているようでした。
女神様と建国王陛下の婚礼でも舞っていたという、白い花びらが風に踊っています。
私の前には不機嫌そうなお顔の殿下が座っていらっしゃいます。ああ、もちろんふたりきりと言っても周囲には給仕の侍女や侍従、護衛の近衛騎士の方々がいます。
早春の煌めきを浴びた黄金の髪に、真実の愛を尊ぶ女神様から受け継がれているという神秘的な紫色の瞳。
背は高いもののほっそりとした体は、少し華奢に見えます。
整った端麗なお顔に笑みが浮かんでいないことに、今日の私は安堵のようなものを感じていました。
私に笑顔を見せてくださらない殿下が、クリュエル様相手のときはいつも笑っていらっしゃることを知っています。
……侍女や護衛に無理を言って、下町へ日参する殿下の後を尾行したことがあるのです。
あまりに私と違う対応に、泣きながら帰ったことを覚えています。
殿下が真実の愛を尊ぶ女神様の教えに心酔して、いつか運命の相手と巡り合うことを密かに夢見ていらしたことも知っています。
私がそうだと良いとずっと願っていました。
だけど政略的に結びつけられた婚約相手というだけで、殿下にとって私は真実の愛の対象ではあり得ない人間だったのです。
幼いころから美しい昆虫が好きで、宙を舞う蝶を見つけると視線で追っていらっしゃることも知っています。
私は虫が苦手だったのですが、殿下とお話がしたくて必死に好きになる努力をしたのです。
でも殿下は、どんなに私が話しかけても公務以外では相槌以上の言葉を返してくれることはありませんでした。
私が語った好きなもののことなど、殿下はひとつも覚えていらっしゃらないでしょう。
誕生日などの贈り物は欠かさずいただいていましたけれど、それらを選んだのが殿下ではなく侍従の方々だということはわかっています。
それでも昔の私は喜んでいましたっけ。
殿下は私の機嫌を取って、クリュエル様を愛妾に迎えるおつもりはないようです。
真実の愛に殉じるおつもりなのだと思います。
もっとも私があの悪夢を見た夜の翌日に、父である侯爵にお願いしたことのせいもあるのでしょうが。
「……私との婚約を解消するというのは本気か?」
冷たく玲瓏なお声に、私は首肯いたします。
もう手続きは終わっています。
後は殿下にご納得いただいて終わりです。
「そんなにクリュエルのことが気に入らないのか」
「婚約者の恋人を気に入る人間は多くないのではありませんか?」
「君はこの王国一の権勢を誇る侯爵家の令嬢としての義務を、王太子である私の婚約者としての役目を心得ているものだと思っていたのだが」
「心得ているからこそ、ですわ。もし殿下が恋人を慈しむあまり、私に冤罪をかけて処刑でもしたら我が家の人間が黙ってはいませんもの。この王国が二分される内紛が起こるでしょう。初めから危険の芽を摘んでおこうと考えるのは、侯爵令嬢として王太子殿下の元婚約者として当然のことだったのではないでしょうか?」
クリュエル様を排除するほうが簡単なのに、それをしないだけでも感謝されても良いくらいです。
ひと息で言ってお茶で唇を湿らせる私に、殿下がなにかをおっしゃいました。
囁くような声です。
「……君も覚えているのか?……」
「はい? 今なんとおっしゃいましたか?」
お茶を口にしていたせいもあってか、よく聞こえませんでした。不敬ながら聞き返した私に、殿下は大きく首を横に振って見せました。
「なんでもない。……いや、ほかに男でもいるのか、と聞いたのだ」
私は微笑みました。
悪夢から目覚める前の私なら、今の殿下のお言葉を嫉妬ではないかと思って喜んだことでしょう。
でも、今はもう。
「今はまだ。ですが父がすぐ新しい婚約者を見つけてきてくださると思いますわ」
ささいな浮気に悋気を燃やして王太子との婚約を蹴ったような傷物令嬢に、新しい縁談は来ないかもしれません。
それでも私はこの選択をして良かったと感じていました。
婚約解消になると正式に決まってから、私は首を触らなくなったのです。
「そうか」
いつものように興味の無さそうな声で殿下がおっしゃって、最後のお茶会は終わりました。
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