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第五話 ずっと貴方が欲しかった。
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(生徒会室のある二階から階段を転げ落ちたのだったわ)
バルバラは止まらない涙を自分で拭った。
「ごめんなさい、お爺様。騙すつもりはなかったのだけれど、私は自分自身にも嘘をついて六歳だと思い込んでいたみたいです。六歳のころの私は幸せだったのです。私はまだ父の浮気を知らないで、母もまだ父との関係を諦めていなくて、アルトゥール殿下との仲も始まったばかりで……」
「すまん。わしが余計なことを言ったせいで辛いことを思い出させてしまったのだな」
「いいえ、お爺様のせいではありません。いつかは思い出さなくてはいけなかったことです。でも王妃様が許してくださったのなら、このまま六歳のバルバラとして去っていかなくてはなりませんわね」
バルバラはヘレーネに支えられて馬車に入った。
辺境伯はこのまま侯爵邸へ行き、手続きを済ませる。
それまでは馬車という密室にバルバラとヘレーネしかいない。幼くして母を喪ったバルバラにとって、真の家族といえるのはヘレーネだけだった。祖父や伯父一家のことも大切に思っているが、会えなかった時間が長過ぎた。
「……ねえ、ヘレーネ」
「はい、お嬢様」
「私、アルトゥール殿下が好きだったの。初めて会ったときからお慕いしていたの。ずっとあの方の心が、愛が欲しかったの。妃教育を頑張ったのは、学園在学中に学ばなくても良いことまで学んだのは、そうすれば殿下に捨てられた後は口封じに殺されてしまうからなの。死にたかったのではないわ。そんな状況なら、優しい殿下は私を捨てられないと思ったからよ。私は卑怯な女なの」
六歳の自分に戻った気持ちでいたのは、王家の秘を知ってしまっているという事実から逃れるためではない。
むしろ口封じで殺されたほうが良かったと、バルバラは考えずにはいられなかった。そうしてアルトゥールの心に傷痕を刻んで、いつまでも彼に忘れられない女性になりたかった。
薄汚いバルバラの真意に気づいているのかいないのか、ヘレーネは優しい言葉を紡ぐ。
「愛を得るのは難しいことです。難しいから人は悩み傷つき、ときに間違いを犯してしまうのです。お嬢様のお母様だって苦しんでいらっしゃいました」
「そうね、知ってる。だから六歳だったのかしら。私がお父様のあんな姿を見つけなかったら、お母様は愛される日が来ると信じていられたのかもしれないわ。……ううん、私が六歳に戻りたかったのよ。ゲファレナに嫉妬することも殿下を憎むこともなく、ただ純粋に彼を愛していた六歳のバルバラに戻りたかった。いつか愛されると信じている子どものままでいたかった……」
語りながら、バルバラは思う。
本当は六歳の自分も真実に気づいていたのかもしれない、と。
母は父を愛そうとしていたが、父は母を愛しておらず、自分はそんなふたりが政略結婚で作った子どもなのだと。
だからアルトゥールにひと目惚れをしたのかもしれない。彼の愛を求めたのかもしれない。
バルバラと第一王子の婚約も政略的なものだったから。
父母と同じ政略結婚であっても、求めれば、あがき続ければ愛されると信じて。
祖父が戻ってくる前に涙をすべて流し尽くしてしまうために、バルバラはヘレーネの胸に抱かれて泣き続けた。
きっかけがどうであれ、バルバラはアルトゥールを愛していた。自分が六歳だと信じ込んでいたときも、こうして十八歳に戻っても、欲しいのは彼の愛だけだった。
けれど、それが手に入らないこともバルバラは知っていた。
だれより自分自身が知っているのだ。
愛は、恋心は、自分の意思でどうにかなるものではない。
アルトゥールがゲファレナを本当に愛したのなら、それはだれにも変えられない。バルバラはもちろんアルトゥール自身にも。
バルバラは止まらない涙を自分で拭った。
「ごめんなさい、お爺様。騙すつもりはなかったのだけれど、私は自分自身にも嘘をついて六歳だと思い込んでいたみたいです。六歳のころの私は幸せだったのです。私はまだ父の浮気を知らないで、母もまだ父との関係を諦めていなくて、アルトゥール殿下との仲も始まったばかりで……」
「すまん。わしが余計なことを言ったせいで辛いことを思い出させてしまったのだな」
「いいえ、お爺様のせいではありません。いつかは思い出さなくてはいけなかったことです。でも王妃様が許してくださったのなら、このまま六歳のバルバラとして去っていかなくてはなりませんわね」
バルバラはヘレーネに支えられて馬車に入った。
辺境伯はこのまま侯爵邸へ行き、手続きを済ませる。
それまでは馬車という密室にバルバラとヘレーネしかいない。幼くして母を喪ったバルバラにとって、真の家族といえるのはヘレーネだけだった。祖父や伯父一家のことも大切に思っているが、会えなかった時間が長過ぎた。
「……ねえ、ヘレーネ」
「はい、お嬢様」
「私、アルトゥール殿下が好きだったの。初めて会ったときからお慕いしていたの。ずっとあの方の心が、愛が欲しかったの。妃教育を頑張ったのは、学園在学中に学ばなくても良いことまで学んだのは、そうすれば殿下に捨てられた後は口封じに殺されてしまうからなの。死にたかったのではないわ。そんな状況なら、優しい殿下は私を捨てられないと思ったからよ。私は卑怯な女なの」
六歳の自分に戻った気持ちでいたのは、王家の秘を知ってしまっているという事実から逃れるためではない。
むしろ口封じで殺されたほうが良かったと、バルバラは考えずにはいられなかった。そうしてアルトゥールの心に傷痕を刻んで、いつまでも彼に忘れられない女性になりたかった。
薄汚いバルバラの真意に気づいているのかいないのか、ヘレーネは優しい言葉を紡ぐ。
「愛を得るのは難しいことです。難しいから人は悩み傷つき、ときに間違いを犯してしまうのです。お嬢様のお母様だって苦しんでいらっしゃいました」
「そうね、知ってる。だから六歳だったのかしら。私がお父様のあんな姿を見つけなかったら、お母様は愛される日が来ると信じていられたのかもしれないわ。……ううん、私が六歳に戻りたかったのよ。ゲファレナに嫉妬することも殿下を憎むこともなく、ただ純粋に彼を愛していた六歳のバルバラに戻りたかった。いつか愛されると信じている子どものままでいたかった……」
語りながら、バルバラは思う。
本当は六歳の自分も真実に気づいていたのかもしれない、と。
母は父を愛そうとしていたが、父は母を愛しておらず、自分はそんなふたりが政略結婚で作った子どもなのだと。
だからアルトゥールにひと目惚れをしたのかもしれない。彼の愛を求めたのかもしれない。
バルバラと第一王子の婚約も政略的なものだったから。
父母と同じ政略結婚であっても、求めれば、あがき続ければ愛されると信じて。
祖父が戻ってくる前に涙をすべて流し尽くしてしまうために、バルバラはヘレーネの胸に抱かれて泣き続けた。
きっかけがどうであれ、バルバラはアルトゥールを愛していた。自分が六歳だと信じ込んでいたときも、こうして十八歳に戻っても、欲しいのは彼の愛だけだった。
けれど、それが手に入らないこともバルバラは知っていた。
だれより自分自身が知っているのだ。
愛は、恋心は、自分の意思でどうにかなるものではない。
アルトゥールがゲファレナを本当に愛したのなら、それはだれにも変えられない。バルバラはもちろんアルトゥール自身にも。
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