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5・X+10年7月9日
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菜乃花も弥生も、消しゴムかけとベタ塗りくらいしかできない。
できるだけのことをやり遂げて、ふたりはそれぞれの家へ戻った。
類の原稿が間に合うかどうかは今後の彼次第だ。
昨夜、菜乃花をアパートまで送ってくれた弥生は、類も早くデジタルに移行すればいいのにと語っていた。どうやら彼女は自分で自分好みのBL漫画を描くという野望を捨てられず、漫画制作のためのソフトを購入したようだ。
(トーンなら貼れる……塗れる? ようになったって言ってたな)
思いながら、菜乃花は布団の上で体を起こした。
一晩眠ったのに、あまり疲れが取れてない気がする。
二十八歳という年齢のせいかもしれないし、そうでないのかもしれない。
唇を噛んで涙を堪え、菜乃花は立ち上がって布団を片付けた。
今日は仕事だ。
泣き腫らした赤い目では出勤できない。
洗面台の前に立つ。
(類くんの手伝いに行ってて良かったな。作業してたら頭の中が空っぽになったし、徹夜したおかげで昨日はぐっすり眠れたし)
睡魔に包まれていなければ、昨夜は眠れなかっただろう。
泣き続ければ体力も消耗する。
体に残る疲労はこれだけではなかったに違いない。
(寝たのに、隈が……)
鏡に映っているのは、高校のころと同じ髪型の女だ。
肩のところで切り揃えて、軽く遊ばせている。
これ以上長くても短くてもしっくりこない。
そう思っていたけれど、本当は高校時代の自分しか知らないだれかに見つけてもらうためだったのかもしれなかった。彼はどこかで生きていて、なにかの……たとえば記憶喪失などの事情で戻ってこれないだけなのだと、心のどこかで思っていた。
高校時代と変わらない自分を見たら思い出してくれるのではないかと、期待していたのだ。
(でも無理ね)
今にも泣きそうな目をした鏡像は、十代のころに見た二十代の女性たちよりも老けて見えた。高校時代とは違い過ぎる。きっと彼には気づいてもらえない。
(弥生ちゃんや類くんが言ってたみたいに、交通事故だったのかな)
顔を洗いながら、ふたりと話した内容を思い出す。
冴島旭とその父親は、人気のない場所で車に轢かれ、意識を失うか動けない状態でいたところを運ばれて、湖に捨てられたのではないかというのだ。
不法投棄に使われていたあの場所なら、沈めるための重しにできるものはたくさんある。
彼の父親の死体も、これからの警察の捜査で見つかるのかもしれない。
十年前も携帯を見ながら運転している車はあったし、
(繁華街に行っちゃダメな理由のひとつは、危険ドラッグの売人がいるかららしいって噂もあったっけ)
あのころは確か、脱法ハーブと呼ばれていた。
そういうものを使用して車を運転していた人間が、歩道に突っ込んで起こした事故も何件かあったと記憶している。
(そういった事件に巻き込まれた、のかな)
顔の水気を拭って、化粧水をつけてファンデーションを塗って──さほど化粧をしない菜乃花でも、しなくてはいけないことは多い。
化粧水の瓶を開ける前に、菜乃花は一昨日部屋を出る前に洗面台に置いておいた、祖母の形見のリップグロスを手に取った。
淡いピンク色の蓋を外して、リップグロスを指に取る。
こうして指で唇をなぞることで、自分が大人になったような気がしたものだ。
懐かしい柑橘系の香りが菜乃花を包んだ。
できるだけのことをやり遂げて、ふたりはそれぞれの家へ戻った。
類の原稿が間に合うかどうかは今後の彼次第だ。
昨夜、菜乃花をアパートまで送ってくれた弥生は、類も早くデジタルに移行すればいいのにと語っていた。どうやら彼女は自分で自分好みのBL漫画を描くという野望を捨てられず、漫画制作のためのソフトを購入したようだ。
(トーンなら貼れる……塗れる? ようになったって言ってたな)
思いながら、菜乃花は布団の上で体を起こした。
一晩眠ったのに、あまり疲れが取れてない気がする。
二十八歳という年齢のせいかもしれないし、そうでないのかもしれない。
唇を噛んで涙を堪え、菜乃花は立ち上がって布団を片付けた。
今日は仕事だ。
泣き腫らした赤い目では出勤できない。
洗面台の前に立つ。
(類くんの手伝いに行ってて良かったな。作業してたら頭の中が空っぽになったし、徹夜したおかげで昨日はぐっすり眠れたし)
睡魔に包まれていなければ、昨夜は眠れなかっただろう。
泣き続ければ体力も消耗する。
体に残る疲労はこれだけではなかったに違いない。
(寝たのに、隈が……)
鏡に映っているのは、高校のころと同じ髪型の女だ。
肩のところで切り揃えて、軽く遊ばせている。
これ以上長くても短くてもしっくりこない。
そう思っていたけれど、本当は高校時代の自分しか知らないだれかに見つけてもらうためだったのかもしれなかった。彼はどこかで生きていて、なにかの……たとえば記憶喪失などの事情で戻ってこれないだけなのだと、心のどこかで思っていた。
高校時代と変わらない自分を見たら思い出してくれるのではないかと、期待していたのだ。
(でも無理ね)
今にも泣きそうな目をした鏡像は、十代のころに見た二十代の女性たちよりも老けて見えた。高校時代とは違い過ぎる。きっと彼には気づいてもらえない。
(弥生ちゃんや類くんが言ってたみたいに、交通事故だったのかな)
顔を洗いながら、ふたりと話した内容を思い出す。
冴島旭とその父親は、人気のない場所で車に轢かれ、意識を失うか動けない状態でいたところを運ばれて、湖に捨てられたのではないかというのだ。
不法投棄に使われていたあの場所なら、沈めるための重しにできるものはたくさんある。
彼の父親の死体も、これからの警察の捜査で見つかるのかもしれない。
十年前も携帯を見ながら運転している車はあったし、
(繁華街に行っちゃダメな理由のひとつは、危険ドラッグの売人がいるかららしいって噂もあったっけ)
あのころは確か、脱法ハーブと呼ばれていた。
そういうものを使用して車を運転していた人間が、歩道に突っ込んで起こした事故も何件かあったと記憶している。
(そういった事件に巻き込まれた、のかな)
顔の水気を拭って、化粧水をつけてファンデーションを塗って──さほど化粧をしない菜乃花でも、しなくてはいけないことは多い。
化粧水の瓶を開ける前に、菜乃花は一昨日部屋を出る前に洗面台に置いておいた、祖母の形見のリップグロスを手に取った。
淡いピンク色の蓋を外して、リップグロスを指に取る。
こうして指で唇をなぞることで、自分が大人になったような気がしたものだ。
懐かしい柑橘系の香りが菜乃花を包んだ。
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