声が聞きたかっただけなのです。

豆狸

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第七話 男爵

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 ジョシュアは、自分の元婚約者のソフィーに言いたいことの半分も言えなかった。
 懐かしい顔を見た途端に安心して、一番の不満で後悔でもある、妻のライアに愛されていなかったことを口にしてしまったせいだ。
 ソフィーの愛に応えず、ライアを選んだ自分は文句を言える立場ではないのに。

(それでも……)

 ライアと結婚して、まだ当主の座を受け継いではいないものの男爵家へ婿入りして、ジョシュアは日々実感していた。ライアに愛されていないことを。
 この王国の貴族子女と裕福な平民が通う学園で出会った男爵令嬢ライアは、美しかった優しかった感情的にならずにジョシュアを受け入れてくれた。
 当時は愛だと思ったそれは、今では愛がないからこその言動だったと理解している。

 ひとは、愛した相手に想いを返してもらいたくなるものだ。
 婚約者だったソフィーが、ライアと親しくするジョシュアに怒りを見せたのは当然のことだった。
 上辺だけは整えているけれど、ジョシュアとライアの間には見えない壁がある。ライアにとってジョシュアは都合の良い道具で、それ以上でもそれ以下でもない。

 ジョシュアがそれに気づいてしまったのは、公爵家の養子だったチャーリーの葬儀の際だった。
 死者の安寧を祈る聖王の言葉を聞いていたライアは、ジョシュアがこれまで見たことのない表情を浮かべていた。感情を隠さない素の笑みだ。
 そのときわかったのだ。ジョシュアに向けられていたライアの笑顔は作り物だったのだと。

 自害した副会長が病死ということにされて葬られたときの葬儀にも聖王が呼ばれていた。
 聖王の言葉を、声を聞くライアは嬉しそうだった。
 生死の境をさ迷っていたソフィーが助かったと聞いたときのライアの残念そうな顔を忘れられない。ジョシュアの元婚約者に対する嫉妬から来る不快さではなく、高位貴族の葬儀がおこなわれなかったことを残念に思っている顔だった。

 妻となったライアは、ジョシュアとともに夜会や茶会へ積極的に参加している。
 ライアが学園を卒業したことで、亡き男爵夫人の実家からの援助が終わったのが理由だと本人は言う。
 王家からの支援に頼らず、男爵家を盛り立てていくための人脈を求めているのだと。

 夜会や茶会で、ライアはジョシュアの友人の高位貴族の令息達と親しく話す。
 彼らの妻や婚約者が不機嫌そうな顔をしていてもお構いなしだ。
 考えてみれば、学園のころからそうだった。

 学園のころと同じで明確な浮気ではない。
 ライアは言質を取らせない。
 話しかけられた令息達が勝手にのぼせ上がるだけだ。学園在学中のジョシュアと同じように。

 学園では王太子だったジョシュアが頂点で、公爵子息チャーリー宰相家子息副会長は側近候補の学友に過ぎなかった。
 明確な地位の違いが存在したのである。
 だが今、のぼせ上がった令息達はほぼ同格の高位貴族だ。彼らはなぜか決闘をして死んでいく。ライアへの愛を競うためだろうか……彼らの葬儀で彼女に微笑みを浮かべさせるためだろうか。

(ライアは、私が愛した女性は……本当に人間なのか? ひとの心を持っているのか?)

 高位貴族の葬儀で聖王の声を聞いているときのライアは、だれよりも美しい。
 ソフィーとの婚約を白紙撤回したことを後悔しながら男爵家に戻ったジョシュアは、義父である男爵に迎えられた。
 妻のライアの姿はない。どうしたのかと尋ねると、男爵は答えた。

「騎士団の詰所へ行っています」
「……まただれか亡くなったのですか?」

 チャーリーを皮切りに、ライアの周りで多くの人間が死んでいる。
 ソフィーの死を望んだのはライアではない。
 副会長の遺書に彼らの一存だったと書かれていた。

 遺書の内容は公表されていない。すべて事故だったと発表することをジョシュアも認めた。
 明確な意思があったと公表したら、当時は王太子の婚約者で準王族の扱いだった公爵令嬢殺人未遂事件ということで、宰相家の一族郎党を処刑することになってしまうからだ。
 遠縁からチャーリーを養子に取っていた公爵家のほうも無傷では済まない。

 それでも、とジョシュアは思う。
 ライアがなにかしたのではないかと、上手く唆したのではないかと、疑われてもおかしくはない。
 ほかでもない夫の自分自身が彼女を疑っているのだから。

「亡くなったというか……私の愛人、ライアの母親を殺した男が捕まったんですよ。ほかの女性を殺して捕まって、取り調べ中に口を滑らしたんです」
「ああ。ライアは犯人を目撃していたんでしたね」

 自分が彼女との間に見えない壁を感じるのは、葬儀のときの彼女が一番幸せそうに見えるのは、ライアにそんな悲劇的な過去があったからかもしれない。
 そう考えて、ジョシュアは自分のこれまでの思考を反省した。
 ソフィーに言われた通り、廃太子となった自分に文句を言うこともなく、こうして男爵家の婿として迎え入れてくれたのだから、そこには愛があるのだろう。見えない壁は、母を殺した犯人を目撃したときについた心の傷が生み出しているとも考えられる。

「さっきまで私もライアに付き添って詰所に行っていたんですけれど……そっくりでした」
「はい?」
「ライアはその男にそっくりだったんです。たぶんあの子は私の娘ではなく、あの男の子どもなんですよ」
「そう、ですか……」
「もちろんそれはあの子ライアのせいじゃない。わかってます。十歳の子どもがこれからの生活を思ったら、実の父が母を殺しただなんて言えないのもわかる。わかります!」

 男爵は激しく叫んだ後で、でも、と消え入りそうな声で言った。

「異母姉ということになっていた私の長女が自害しても、私の正妻が家を出ても、仲が良かったはずの使用人達がいなくなっても変わらなかったあの子が、ジョシュア様のご友人の葬儀に行くときにだけ心からの笑みを浮かべているのが私は怖い……怖いんです。思い返せば母親が亡くなったときも、あの子はいつもと同じだった」

 彼は怯え切った顔をしていた。
 ジョシュアも同じ顔をしているに違いない。背筋が凍りついていく。
 これからも自分は友人達の葬儀で、微笑むライアに寄り添い続けなくてはいけないのだろうか──
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