上 下
8 / 8

Chunk8 ヒビ割れし絵空【點】

しおりを挟む
 そうだった。ペンダントを渡したのはこの日の帰りの車中。一度帰宅した際に急いで手に取った、彼への贈り物。忙しい彼にいつ会えるか分からなかったから、誕生日とクリスマスを兼ねていた。


 事実を残してくれるこのスマホ、書き換えられるのは意識や話した内容。つまりは世界に記された”抽象的”な現象で、記事でも投稿でもすでに世界に記しされてしまった”具体的”な現象は書き換えることができないのか。そうなら記るそう、もう忘れないために。

2021/12/14
”彼が言った最後の言葉を忘れない。私は決意した。宇宙工学を学ぼうと。”

 7/7はもう学校に行っていた。正史であれば3/14リカの独白で宇宙工学を目指すこととなるが、実際の私の学歴も宇宙工学科出であるのだから矛盾はないし、消えるわけなどない。しかしその後の事実は残酷であることもまた変わりない。大学受験を控えた2025/2の石油燃料の使用規制、宇宙工学科に通っていた同10月の宇宙ゴミ関連の世界規定は、一時とは言え事実上の宇宙産業の撤退を意味したのだから。

 そんな絶望を突きつけられ、願えども叶わないこともあると知った私は数学の教員免許を取得し私のような人間の手助けができればと講師になった。去年11月何か私の想いを表現できないかと、プログラムに強いことを思い出しアウストラス社のダイキさんに連絡した。

「やっと来て頂けました。」

 ダイキさんのオフィスはとても綺麗でオンライン上でも良かったのにわざわざ招いて下さった。しかし目の前の方はダイキさんではないらしい。彼曰くケントは『スーニ』のβ版までの手伝いをしていたそうで、その能力を買われダイキさん直属の宇宙開発部門のエンジニアとして移転したそうだ。

「ログインしてもらえますか?」

 そう言われログイン、見せられた入室コードを打ち込む。するとそこにはアウストラス社の会議室が映し出され、再度アバターで顔を合わせる。仮想空間の中で手渡されたのはとあるデータだった。

「ご連絡あり次第渡すように、ダイキさんとケントさんから伺っています。解凍コードはそのペンダントに書かれているようですよ。」

 そうだよね、これが突き返された物であればこの印字があるはずはない。やはり彼からの贈り物だ。何かのシリアルナンバーだと思っていたこの英数の羅列は、日を追うごとに日常と化し、すっかり疑問にも抱かなくなっていた。

 家に帰りフォルダ内のZIPファイルの解凍に『Geminids1214』の文字を打ち込むと、そのファイルは『スーニ』の利用可能なストレージとアドレス、そして瞳の中心が白く凛々しい様相のアバターが内封されていた。これで何かできないかと思い昔の楽面を引っ張り出し、12月末からUzumeという仮想アーティストとしてデビューさせた。

 移民計画を成し遂げてもう10年、そしてデビューしてから8ヶ月。明日7/7に新曲をリリースする。私はいつかの番組の再放送を流しながら、リカにはもちろんチケットコードをプレゼントした。

「またくれるの? ありがとう!」

 そう言って私のアバターに似合う服を用意すると意気込んでいた。その日はいつもと違うアカウントで入る事を伝えた。思考の追いつかない彼女にUzumeが私である事を伝える。驚いてはいたものの問い詰めてこないのはその想いも一緒に伝えたからだろう。

 番組を見ながらの返信はやはり誤字脱字が多くなるので、間違えがないように目線は動画とメッセージを行き来している。内容も朧にしか楽しめていない番組はそうこうしている内に、もう終盤を迎えていた。

 白いテーブルに焦茶色の曲線。私は文面を打ち直し送信ボタンを押す。

 新曲のバラードがアウトロに入ると、普段はROM専の私もこの日は何か書き込みに参加したくなり、コメ欄ではまさかの本人登場に視聴者たちは喜ぶ者、疑う者反応は様々であったが、結果として大いに盛り上がってくれた。私も生配信なんて初めてで緊張した。見慣れないアイコンからのコメントに息を飲む。

「降る星よりも瞬く方が俺は好きだよ。」

 あの展望台で聞いた最後の言葉。忘れるはずもない。考えるよりも先にそのアイコンをタップしていた。

それからあの展望台でそのアイコンの男性を待つ。どんな顔をしたらいいだろうか、遠くの看板を見つめる。後ろから聞こえてきたのは、間違いなくケントの声だ。

「同い年になっちゃったな。」

 経過する時間の長さは万人に同様であるが、観測者から見ると各々の長さが異なって見える。このスマホは彼と私の観測者。二人の時間は相対性で成り立ち、お互い26歳になっていた。頬を伝う一筋の涙。嬉しいのか、寂しかったのかそれ以外の感情か自分でも分からない。無感情だったかもしれない。彼の胸にはいつか贈ったペンダントが揺れている。

「ただの思い出だとしてもこのスマホは手放せなかった。」

 そう言うと当時のスマホを後ろポケットから取り出した。私とのやりとりを見ると絶対帰ると思えたそうだ。
シャトルの航行は順調で、計器に異常もなかったが急に大きな揺れに見舞われた日があったらしい。当時はもちろん、今となってもその揺れの正体はわからないままだそうだ。観測不能の乱流のせいだとされている。
とにかく船内は大きく揺れ、彼はスマホのことを第一に考えて強く握りしめ、そこに見覚えのないメッセージが追加されていたそうだ。彼は言う。

「君はあの日、俺の23歳の誕生日だったあの日、メッセージをくれたんだろう?」

 その文章を私が送った時はリカとのやりとりの合間だったはずだが、彼から見ると私が16の時に送ったことになっている。アルタイルとベガは14.4光年離れていて、光の速さで近づいても14年以上かかる。

「10年で再会できるなんて、願いが光の速度を超えたのかもね。」

 そう言って笑った。

 相変わらず、画面の割れた手放す事のできないこのスマホ。いつでも抜け落ちた箇所を書き込めるよう、この世界の理に倣い客観的な情報を、すなわちこのスマホに3点目をつくり事実として固定する。日々の幸せを固定しよう。当たり前に幸せだと感じられるために。不思議とあれから空白の投稿は現れない。

 でもさ、と、他意はないよと前置きしつつ彼は私のテーブル向かいに座った。

「あの時よくメッセージ送ったね。俺の知ってる君は意志の強い娘だから、自分の決断を覆すような事するとは思わなかった。」

 もしかしたら関係修復のキッカケは彼が作りたかったのかもしれない。だから宇宙移民計画を完遂する為に持てる力の全て費やしてくれていたのだろう。しかし情報さえも保存則が成り立つならば、私は何を対価にこの現象を、それに費やすエネルギーを消費したのだろう。ブラックホールすらも蒸発、或いはホワイトホールへとエネルギーを発散している訳なのだから、何かを犠牲にしてもおかしくない。そんな不安を消すかのように、私はただ黙って微笑み返した。

“必ず戻ってきて”

 番組を見ながらリカとのやり取りついでに打ち込んだ、”行かないで” だったはずのこの言葉。今の私にとって曲げてはならないことは、彼と離れたくないと言う意志の方だ。ならば今の私は、過去の発言や決断の撤回も厭わない。あなたが大事な人だから。

 未だノイズ混じりのひび割れたスマホ。原文を見せようとアプリをタップする。

 バチっ

 不意の火花に手が滑る。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...