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3章 小春日和

3章 小春日和 4/6

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「伊藤さん、上瑠守屋うえるすやが来てますよ。良い南蛮椅子が入ったから伊藤さんに見てもらいたいとかで」

「あら、そうなんだ」

「応接の間に待たせてあるんで、行きましょう」

「そうね」

伊藤さんの声が弾んだ。
――よかった。

ここしばらくの伊藤さんを見ていると、どうも時々思い悩んでる様子がうかがえる。
この人は元々が物静かに思いふける人だけど、それだけではない何かかげりが増えたように感じていた。
先代の自斎じさい様から続いて数々の奥義を生み出した人だ。僕なんかでは解からない悩みがあるのだろうけど、とはいえやはり出来るなら笑顔で過ごして欲しい。

そこで南蛮物を好む彼女の機嫌なおしにどうかと思い、舶来商に声をかけて呼んでみたんだけど‥‥。正解だったようだ。

すたすたと僕の先を歩く彼女について廊下を戻る。程なくして応接の間に着くと、横開きの木戸をスッと開け放つ。
八畳の応接間で出入りの商人は、待っていたことを見せない何気ない仕草で行儀良く立って待っていた。
伊藤さんを見て彼は、いつもの満面の笑顔で深々と頭を下げて挨拶の言葉を述べた。
伊藤さんは待たせたわね、と軽く声をかけ、その軽い挨拶さえそこそこに、しかしゆっくりとした仕草で部屋を見回す。

上瑠守屋の番頭が持ってきたものは南蛮式の椅子がニ脚。
全体は木で出来ており、座面と背面に綿の入った濃い朱色の生地が張ってあるものだった。

板張りの床に置かれたその椅子へと近づくと、伊藤さんは右手で背もたれをなぞりながら品定めを始める。
優しく開かれた右手の中指がつつっと椅子をなぜる。

「‥‥うん。悪くないじゃない」

「はい、以前に神子上様にお買い上げ頂きました長椅子で御座いますが、これを伊藤様には大変ご愛用頂いておりますと聞き及びまして。
是非こちらも伊藤様に見て頂きたく」

ふうん、と呟きながら彼女は椅子に腰をおろす。
ぎしり、と音を立てて椅子が少し沈んだ。

「‥‥何これ。座ると全体が下がるのね」

「はい。それぞれの足の中に金属の仕掛け、スプリングと申しますものが入っておりまして。
椅子に体重をかけることでこれがぎしぎしと椅子自体をゆすり、すわり心地を良くする仕組みになっております」

「へぇ‥‥。色々考えるわね、南蛮人は。
――座面の横にある脇息もいいわね。これもビロオド張りなのね」

「左様で」

「いいわね‥‥。
これに合う南蛮卓はあるのかしら?」

「はい。丸みのある蔓草つるくさ状の造形に装飾を施した金属脚に、天板が大理石で出来た、それは見事な逸品が御座います。それならば伊藤様にも合うかと」

「ふうん。じゃあ今度はそれももってきてみてくれる?
この椅子はニ脚とももらうわ」

「はい!毎度ありがとう御座います」

どうやら一目ぼれらしい。
うちのお姫様はギシ、ギシ、と音を立てながら背もたれにもたれかかり、椅子をゆっくりゆすっている。

機嫌のよさそうな伊藤さんを見て、僕も素直に笑顔がこぼれる。

来た時からずっと満面の笑顔を見せている番頭に、目配せをして声をかける。代金の件だ。

「じゃあ、別室に来てくれるか?」

「はい。
――では、伊藤様。また近いうちに参上致しますので、よしなに‥‥」

「ええ。
‥‥典膳」

「はい」

「今度その南蛮卓が来たらこれで一緒に食事しましょう」

「はい。楽しみですね」

――本当に、呼んでよかった。

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