小梅の叶わぬ恋

天孫こ~りんごん

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それは叶わぬ恋

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「はぁ」

 ため息を吐く。視線の先にはその原因が笑顔で自分の義理の兄とじゃれあっていた。

「松兄、おめでとっ!」

 ――パンッ。

 その原因――小梅がお祝いの言葉を贈ると同時に、その手に持ったクラッカーのひもを引いた。

「うわっ」

 そのクラッカーの標的となった花婿姿の義理の兄――松也は驚きのあまり声を上げた。となりにいる花嫁姿の女性もそのサプレイズに思わず口元を押さえている。

「小梅~っ!」
「あはは」

 松也は小梅のそのサプライズを受け、彼女の頭をぐりぐりと撫で始める。その仕打ちを受けている小梅の表情はとても楽しそうだった。

 しかし。

「……」

 その光景を見つめる竹琉は、その笑顔が薄氷でできた仮面だと知っていた。

「竹琉っ!」

 唐突に声をかけられる。いつの間にか松也が目の前に来ていたらしい。

 ――ニカッ。

 憎たらしいほどにきれいな笑顔をこちらに向けてくる。
 竹琉は奥歯を噛みしめたくなる思いに駆られるが、その思いは筋違いだと考え、松也に向かってただ、

「おめでとう」

 祝福の言葉と親指を立てて返事をした。
 ただそれだけなのに、それだけを見た松也の表情は破顔していた。

 なあ、松也。おまえ、最後まで気付かなかったな……。

 竹琉はその日の快晴の空を見上げながら、今日の朝のことを思い出した。


          ◇


「……晴れたか」

 結婚式の朝、ベットから起きて自室のカーテンを開けると、目の前に雲一つない青空が窓の外に広がっていた。

 気持ちのいい朝だ。

 そう感じられるほどに空は澄んでいた。

 リビングのほうに向かおうとすると、意外な人物と鉢合わせた。

「やあ、あはよう。竹琉」
「ああ、あはよう、松也。帰ってたんだ」

 結婚式の準備で忙しいはずの松也だった。

「ああ、母さんに用があったんだ。それにしても、あいかわらず朝は弱いな。ほら、顔洗ってこい」
「分かってるよ」

 竹琉にそう言うと、松也はそのままリビングに向かっていく。

「……」

 竹琉はその背中をなんとも言えない気持ちで眺める。

 はぁ~。

 自然とため息が漏れた。
 そして、竹琉は視線を天井のその向こうにいるであろう義妹のほうに向けた。

 ……。

「顔洗おう」

 そう言って、竹琉は洗面所に向かった。



「ほら、寝起きのコーヒーだ」
「ありがと……」

 顔を洗ってリビングに向かうと、松也がコーヒーを淹れていてくれた。

 少し苦い。

 そのコーヒーは竹琉の好みとは少し違っていた。

「そのくらい苦いほうが目が覚めるだろ」

 松也がそんなことを言ってくる。どうやら故意でやったようだ。

「苦いのは苦手なんだ……」
「知ってるよ」

 文句を言ってやろうと思ったが、長年の付き合いのせいかあしらわれてしまう。

「そういえば母さんは?」

 このままではいじられそうだったので、話題を変えることにした。

「さっきまでいたよ。なんか美容院かどこか行ってくるらしい」
「そうか。朝からせわしい母だな」
「といっても、もう九時まわっているけどな」

 松也にそう言われ、壁に掛けてある時計を見ると、既に九時半を差していた。

「それでも早いだろう」
「いやいや、俺の結婚式だぞ。今日くらい早起きしても良かったんじゃないか」

 ――結婚式。

 その言葉が竹琉に重くのしかかってくる。

「それならなおさらだ。披露宴まで体力が持たないだろ」
「そういうものか」

 適当にでっち上げた言い訳が松也を説得できそうでいる。これはラッキーだ。

「そういえば、小梅は?」
「……同じ理由で寝てるんじゃないか」

 松也は、ここにまだ来ない自分の妹のことを訊いてきた。
 竹琉は無難に答える。

「うーん、それならいっか」
「……そうか」
 残りのコーヒーを飲もうとカップに手をやった。

「ちゃんと禁煙しているのか?」
「……してるよ。いまはこれが頼りだ」

 竹琉は自分の手に持っているカップを差しながら言う。

「……そうか。なら良かったよ」

 そんな小言を聞きながら、コーヒーを最後まで飲む。そのカップを握る手は、無意識に強い力がこもっていた。

「そろそろ行くわ」
「主催者は大変だな」

 二人ともソファから立ち上がり、玄関に歩いていく。

「ほんとだよ。主役も俺たちのはずなのに……」

 結婚式を開いたことがないからわからないが、本当に大変なんだろうな。
 竹琉はその疲れた表情をする松也の顔でそう判断した。

「うん、いい天気だ」
「よかったな」

 玄関を開け、空を見上げた松也がそうつぶやいた。

「じゃあ、先行ってるから。ちゃんと来いよ」
「分かってるって、当たり前だろ。必ず行くさ」
「おう!」

 そう言うと、松也は家から出ていった。

「ああ。……ちゃんと連れていくさ」

 竹琉は上を見ながらつぶやいた。



――――――――――――――――――――


 俺が松也と小梅に初めて出会ったのは七歳の時だった。松也は同じ七歳。小梅は三つ下の四歳だった。

「ほら、竹琉。この人が新しいお母さんだぞ」

 目の前の女性を差して、そう言ってくる父。

「そして新しい兄弟だ」

 さらにその隣にいる子供も紹介してくれる。それが松也と小梅だった。
 父は三年前、事故で母を亡くしている。竹琉はこのときまだ幼かったが、父に迷惑をかけないように過ごしてきたため聞き分けが良かった。だからだろうか、向こう側に座っている新しい母を受け入れるのが早かったのは。
 向こうも似た事情だった。だから、こちらの父を受け入れるのは早かったようだ。

 しかし、新しい兄弟を受け入れるのは意外にも時間がかかった。家族というにはぎこちない関係が続いた。それでも、時間がその溝を埋めるようにして、そのぎこちなさは年がたつにつれなくなっていった。

 でも、その溝を埋めきる前に思春期が来てしまった。もとはと言えば、血の繋がってない他人。だから、最後によそよそしさだけは残ってしまった。

 だからこそ気付いた。二人を兄妹と言っておきながら、心の中では兄妹と思いきれてないから気付いた。

 きっかけは単純だった。

 高校一年生の時、松也と二人での何気ない会話。内容は「彼女欲しー」だの、「何組のだれだれがかわいい」だのの、高校生が誰でも話しそうな年相応の話題だった。
 このとき、松也が小梅に話を振ったのだ。


 ――小梅は気になる人いないのか。


 と。

 そのときの小梅の動揺は変だった。いつもははきはきと喋っていた声はしどろもどろになり、まっすぐと世界を見据えていた瞳は泳ぎ、その大地を歩む足は震えていた。

 松也が近づいてその様子を心配すると、顔を赤くしていた。一悶着あり、結局大丈夫とだということでそのままそのことは忘れようとした。

 しかし忘れられなかった。

 見てしまったのだ。小梅から松也に注がれる情熱に満ちた熱い視線を。

 まさか……な。

 俺にはとある憶測を立てたが、あまりに滑稽だったのでそのときは忘れた。
 いまでは、あのときになんで忘れたんだと思う。

 それからというもの、小梅は松也にべったりだった。兄妹というには近すぎる距離感、俺はそれをいつも見ていた。

 ある時から、小梅が俺たちの高校までお迎えに来るようになったことがある。あれも確か、松也が仲の良い女子生徒と一緒に下校していたという話をしてからだ。

 『モテる女の秘訣』

 学校から帰ってきた俺がリビングで見つけた本だ。すぐに小梅がそこにきて、恐ろしいスピードで持って行ってしまった。……そういう事だろう。
 その時くらいから俺は気づき始めた。

 ああ、小梅は松也のことが好きだと。

 どうかしようとは思わなかった。すぐに夢から醒めるだろうとそう思っていた。でも、結局今日までその夢は醒めることはなかった。

 ……。


――――――――――――――――――――



「はぁ……」

 竹琉は今日一番深いため息を吐いた。昔のことを思い出していたら、いつの間にか小梅の部屋の前まで来てしまっていた。

 入りたくない。

 それが竹琉の本心だった。しかし、起こさないわけにはいかないし、置いていくわけにもいかない。先ほど松也と約束してしまったのだから。

「おーい、小梅?」
 コンコンとノックをするが、中からは何も反応がない。
 もう一度ノックをしてみる。
 しかし、反応は返ってこなかった。仕方がない。

「……入るぞ」

 本当に仕方がないので、小梅の部屋に無断で立ち入る。

「あ~」

 初めに目に入ったのは付けっぱなしになっているデスクスタンドだった。次に目に入ったのは、もぞもぞとベットの上で動く生物だった。

「起きろ、小梅」

 声をかけてみるが、起きる気配はない。肩をゆすってみるが、やはり起きない。

「おい、こう――」
「なんで?」

 ビクッ。

 急に話しかけられてびっくりしてしまう。しかし、小梅の顔はまだ寝ていた。どうやら話しかけてきたのではなく、ただの寝言のようだ。

「……あんなに……頑張った……のに…………なん……で?」
「……」

 その言葉を聞くと、いたたまれない気持ちになってくる。それ以上小梅の顔を見ていられずに目をそらした。そしたら、その先にあるものを見つけた。
「日記帳?」

 そう、日記帳だ。ページが開きっぱなしになっている日記帳。しかし、それは竹琉の思っていたものとは違っていた。その空いたページには何かを書きなぐった文字。それが涙か何かでにじんでよく読めなかった。

「……」

 駄目だと思った。でもこの中に何かがあると心がささやき、竹琉は日記帳を手に取る。

 ……。

 はじめに気付いたのは、この日記帳の日付が飛び飛びだったことだった。そして、その内容が松也と小梅関連のことだと分かった。



 ――さいきん、松兄を見てるとなんだかドキドキする。なんでかな?


 ――今日は初めて自分で化粧品を買った。化粧したら、なんて言ってくれるかな?


 ――やっぱり松兄も料理ができる子が好きなのかな?


 ――今日、初めて卵焼きを作ろうとしたら失敗しっちゃった。秘密にしとかなきゃ。


 ――松兄に卵焼きとみそ汁を作ったら、おいしいと言われた。嬉しかった。


 ――友達にこの気持ちはなにときいたら「恋じゃない」と言われた。恋なのかな?


 ――最近ドキドキが強くなっていく。松兄のとなりにほかの女の子がいるだけで、この胸の奥がズキズキしちゃうよ。


 ――ああ、やっぱりこの気持ちって恋なんだ。兄妹で恋。でも、いいよね?


 ――最近料理も化粧もうまくなって、松兄から「家庭的で大人っぽいきれいな女性だね」って言われた。な、なに、プロポーズ⁉


 ――明日、松兄から大事な話があるんだって。何かな? 結婚してくださいとか。いあや、でもまだ早いし、わたしは高校生だし。あっ、でも、法律で女の子は十六歳から結婚できるんだっけ? な、なら、いいよね。



 そこから先、いっときページが飛んでいた。それで最後に行きつくかと思ったら、その前にまだ少しあった。



 ――松兄が彼女を紹介してきた。ま、まあ、彼女だし、遊びたいときもあるよね。


 ――最近、松兄は彼女さんといい感じらしい。今日ものろけ話をしてた。


 ――やっぱり兄妹だからなの。だから駄目なの。おしえて……。


 ――松兄が結婚を考えてると言っていた。何を言っているんだろう?


 ――明日……籍を入れるらしい…………。


 ――彼女さんは、前見た時と変わらず可愛い人だった。


 ――わたしは何のために生きてきたんだろう……。ねえ、松兄。わたし、あなたのために生きていたのに……。


 ――この料理の本はどうすればいいの。この化粧道具はどうすればいいの。ねえ、松兄。


 ――がんばったのに……、こんなにがんばってきたのに…………。


 ――努力って、報われないものだね。あんなに……頑張ったのに、なんで……叶わないのよぉ。



 そして、涙でにじんだ文字の前までたどり着いた。




 ――明日はちゃんと笑って祝おう。ね、そうだよ……ね。



 竹琉は静かに日記帳を閉じると、そっと元の場所に戻した。そして小梅が寝ているベットを見て、手を伸ばす。
 小梅の頭を撫でる。竹琉が日記から感じたのは、自分も全く知らなかった小梅の本心だった。

「……あれ、竹兄」
「おう、おはよう」
「おはよう、どうしたの?」
「もうすぐ十時だぞ」
「えっ⁉」

 竹琉は机の上にあった時計を指差す。それを見た小梅は飛び上がるようにして起き上がる。

「そして、今日は雲一つない快晴だ」
「それは良かった――」

 外を見ようとしてカーテンを開けて、その向こうに広がる転機を見て笑顔になる小梅。しかし、次の瞬間には部屋を出ていってた。たぶん髪をセットしに行ったのだろう。

「でも、なんで起こしてくれなかったの‼」

 そんな叫びが部屋の向こうから聞こえてくる。とても元気な声だった。

「ほんと、同じ人物なのか……」

 竹琉は、机の上にある日記帳を見ながらそうつぶやいた。


          ◇


『おめでと~』

 多くの祝福の声が聞こえてくる。その声の中心にいる松也たちはとても幸せそうだった。人生においてあれ以上の幸せはそうそうないだろう。
 この場のみんなが心から松也の結婚を祝福していた。そう、一人を除いては。

「小梅……」

 竹琉は小梅のいるほうに目を向ける。そこにはさっきと変わらない笑顔でいる姿があった。しかし、その視線は一向に松也たちのほうには向こうとしない。


 ――明日はちゃんと笑って祝おう。


 今日の朝見た小梅の日記の内容を思い出す。

 笑って、か。

 竹琉は今の小梅の姿が本当に笑っているかと訊かれたら、そうだとは言えない状態だった。

 叩けば壊れそう。まるで水面に張った薄い氷みたいに。

 小梅の笑顔はまさにそれだった。

『ただいまからブーケトスを行おうと――』
 視界の声が聞こえる。いまから花束を投げるあれをやるそうだ。小梅たちの周りで談笑していた人たちもそちらに向かっていく。しかし、小梅だけはその場から動こうとしない。するとどうしたことか、小梅は皆が集まっている方向と反対に向かい始めた。

「小梅……ッ」

 竹琉は小梅を追いかけるためにその場から駆け出した。先ほどまで小梅がいた位置までたどり着く。

「どこにいった」

 きょろきょろと周りを見渡すと、視界の端に小梅が着ていたドレスと同じ色を捉えた。

「こっちか」

 竹琉はチャペルの外れに向かっていた。こっちに小梅が走っていくのが見えたからだ。
 チャペルから延びる道を歩いて行く。チャペルから離れるごとに黒いところが目立ち、すすけて言っている道だった。
 きれいなところがあれば汚いところがある。幸せになれば不幸になる人がいる。まるで、松也と小梅みたいな道だった。

『ただいまで結婚式を終了とさせていただきます。名残惜しいでしょうが、披露宴も――』

 後ろから司会者の声が聞こえてくる。結婚式は終わったようだ。これから披露宴もあるのに、まだまだ多くの声がここまで聞こえてくる。そのほとんどが幸せの声音だ。

 向こうが光なら、こっちは影だな。

 廃れた雰囲気を漂わせる周りを見てそう思う。こぎれいなチャペルとは一転、少し外れるだけできれいとは言い難い状況になっていた。

「ん?」

 水が流れる音が聞こえる。時折その音が止まり、また同じような音が聞こえてくる。
 そこに顔を出すと、水で顔を洗い流す小梅がいた。
 道を外れ、サクサクと青く茂った芝の中を進んでいく。たまたまか、または音で気付いたか、小梅が一瞬こちらに顔を向けたが、また水をすくい顔を洗う。
 何回も何回も顔を洗い続ける小梅。その姿を見ながら、猛は悲愴の思いを抱いていた。

 ……。

 胸ポケットに手を伸ばす。そこにあったのは、ライターとたばこだ。ここに来る前に部屋の引き出しから引っ張り出してきたものだった。

 お前のせいだからな、松也。

 箱から一本取り出し、火をつける。

 にがい……けど。

 禁煙して分かる感覚だった。こんなもの吸ってたなんてと思うが、いろいろなことを考えずに済むのはいいことだ。

「禁煙してたんじゃないの」

 臭いで分かったのか、小梅がそんなことを言ってきた。

「文句なら、俺に吸わせている松也に言え」

 竹琉はそう答えながら、ポケットに入ってたハンカチを小梅に渡す。

 そうだ。たばこを吸わしているやつに文句を言ってくれ。これがなけりゃこの状況はきつすぎる。

 そう松也に呪詛じみたものを投げながら、小梅が顔を拭き終わるのを待っていた。

「ねえ……、竹兄」
「うん?」

 顔を拭くのをやめた小梅が、竹琉のことを上目遣いで見ながら訊いてきた。


「私……ちゃんと笑えてた?」


「……」

 ぽす。

「ぇ――――」

 次の瞬間、竹琉は小梅のことを抱き寄せていた。それがなぜかは分からなかった。でも、身体はそう動いていた。

「たばこくさい……」
「文句はあいつに言え」

 そんなことを言いつつも、竹琉に枝垂れかかってくる小梅。

「ねえ、どうだった」

 苦しむように、本当は聞きたくなさそうな表情で訊いてくる。

「……」
「ねえ……」
「ちゃんと……笑ってたぞ」
「そう……」

 悲しみに歪む小梅の貌。その頬には涙の粒がぽつ、ぽつ、と流れてくる。やがて、その粒が集まって、小梅の頬に小さな流れを作っていた。

「ほんと……」

 その小さな流れは大きな川になっていた。

「バカみたい……」

 猛はその言葉を聞きながら、空を仰いだ。そこにあったのは、


 ――嗚呼、雲一つない空ほど寂しく虚しいものはない。


 暴力的にすべてを包み込もうとする空だった。
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