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自分勝手
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『沙耶?』
「……家ついた?お帰り。」
『うん、今朝は早くから起こしちゃってごめん。』
「あ、大丈夫。私もあのまま帰っちゃったし。」
『何?そうだったの?』
11時過ぎに連絡をくれた彼は多分まだポストに入れた合鍵のことに気が付いていない。あのアパートの玄関は薄暗いし、彼に普段ポストの中身を確認する習慣がないことは私が一番よく分かっていた。
「うん。そっちは……今夜もコンビニご飯?」
『もちろん、今日は唐揚げ弁当にした。あー、これで沙耶の作った味噌汁があれば最高なんだけどな。』
「……そんなに好きだったっけ?お味噌汁。」
『なんかね~、やっぱ寒くなってくると汁物欲しいよね。あ、昨日のシチューもうまかったよ。また作って。』
「……」
『もしもーし?聞こえてる?』
「……ごめん。」
『どうした?』
仕事で疲れて帰って来ているはずなのに彼女のことを労ることを忘れない優しい彼。一人あの狭い部屋でコンビニ弁当を食べながら私に気を使ってわざと明るくふるまっている今この時間は彼にとっては大切な時間なんだろう。
──こういう優しい所が好きだったはずなのに、今はそれさえモヤモヤするなんて。私一体彼の何が不満なんだろう。
「……慣れない靴履いてたら足捻っちゃって。」
『大丈夫?病院行った?』
「そんなにひどくないから大丈夫だよ。……でもしばらくはそっち行けないと思う。」
『分かった。じゃ、俺の方がそっち行くよ。』
「無理しなくていいよ、仕事忙しいんだし。」
『分かってる。』
嘘ばっかりだと思った。足を捻ったなんてもちろん私がついた嘘だ。彼の方が私の家に来るなんて約束も嘘、彼にはきっとそんな余裕がない。
一年前なら、彼は今すぐにでも私の部屋まで飛んできてくれたのにとぼんやり考えていた。学生同士だったら通じたわがままも今ではもう通用しない。
彼と私との距離は妙な具合に離れてはじめていた。
私はこうして試すようなわがままを言って、どうすることもできない彼の事を追い詰めようとしている、最低な女だ。そう頭では分かっているものの、自分の中で一旦動き始めた思いを止める事は難しかった。
──前の彼と別れた時もこんなだったな……。何一つ不満なんてなかったのに、ただそれが突然息苦しく感じはじめて私の方から距離を置きたいって言いだしたんだった。でも、それきり。
好きな相手にだったら少々束縛されようがむしろ大切にされていると思えた。忙しい彼に代わって部屋の片付けや家事をしていたのも結局は自分がそうしてあげたいと思っての事だった。
結局は私の気分次第、ただそれだけの話。
──安定しちゃうと飽きるのかな。結婚むきじゃないな。
『──沙耶?聞いてる?』
「うん。聞いてる。」
『じゃ、俺そろそろ眠いからシャワー浴びて寝るわ。』
「分かった。」
『お休み。』
「お休み。」
彼は今日も会社の上司のグチを熱く語ってくれた。あと、パートのおばさん社員が自分の事をいかに気に入ってくれているのかも。
電話を切った後、彼の部屋に投げっぱなしで帰ったコーヒーのシミのついたシャツの事を思い出した。それから、転がって行ったまま拾わなかったペットボトルのキャップも。そういえばあの飲みかけのコーヒーは結局どうしたんだったか……覚えていない。
──なんだろう……すごく寂しい。ついさっきまで彼と話してたのに。誰かに傍にいて欲しい、ぎゅってして欲しい。
気がついたら部屋で一人、スマホを握り締めたままぼろぼろと泣いていた。
大学4年の春は別れの季節だった。春になると一斉にみんなが就職活動を始め、スーツで颯爽と動き始めた。もちろん自分もその波に乗り遅れる訳にはいかなかったが、どこか虚しさを感じていた。彼がいなくなったキャンパス、未来を見据えてそれぞれ別の道を歩み始めた友人たち。いつまでも学生気分が抜けきらないのは自分だけのようだった。
夏ごろになると周りの友達のほとんどが就職先の内々定をもらっていた。自分も最終面接まで行った会社が2社あったがそのどちらもが本当にやりたい何かがあって決めた職ではなかった。とりあえずどこかに引っかかればいい、その程度の気持ちだった。
ただ今いるこの場所から離れるのだけは嫌で、勤務先の条件だけは妙にこだわった。
彼から離れるのが嫌だから──たったそれだけの理由で。
” きみ東京勤務は嫌なの?今時場所にこだわるとか珍しいね、猫みたいだ。後悔するよ、きっと。 ”
そう言いながら鼻で笑った面接官のあの皮肉めいた声が今でも忘れられない。あの時はただのパワハラ発言だと思ってムカついていたけれど、あの人の方が正しかった。
あの時はあんなに離れたくないと思っていた彼と、今になって距離を置こうとしているのは自分の方だ。
「……家ついた?お帰り。」
『うん、今朝は早くから起こしちゃってごめん。』
「あ、大丈夫。私もあのまま帰っちゃったし。」
『何?そうだったの?』
11時過ぎに連絡をくれた彼は多分まだポストに入れた合鍵のことに気が付いていない。あのアパートの玄関は薄暗いし、彼に普段ポストの中身を確認する習慣がないことは私が一番よく分かっていた。
「うん。そっちは……今夜もコンビニご飯?」
『もちろん、今日は唐揚げ弁当にした。あー、これで沙耶の作った味噌汁があれば最高なんだけどな。』
「……そんなに好きだったっけ?お味噌汁。」
『なんかね~、やっぱ寒くなってくると汁物欲しいよね。あ、昨日のシチューもうまかったよ。また作って。』
「……」
『もしもーし?聞こえてる?』
「……ごめん。」
『どうした?』
仕事で疲れて帰って来ているはずなのに彼女のことを労ることを忘れない優しい彼。一人あの狭い部屋でコンビニ弁当を食べながら私に気を使ってわざと明るくふるまっている今この時間は彼にとっては大切な時間なんだろう。
──こういう優しい所が好きだったはずなのに、今はそれさえモヤモヤするなんて。私一体彼の何が不満なんだろう。
「……慣れない靴履いてたら足捻っちゃって。」
『大丈夫?病院行った?』
「そんなにひどくないから大丈夫だよ。……でもしばらくはそっち行けないと思う。」
『分かった。じゃ、俺の方がそっち行くよ。』
「無理しなくていいよ、仕事忙しいんだし。」
『分かってる。』
嘘ばっかりだと思った。足を捻ったなんてもちろん私がついた嘘だ。彼の方が私の家に来るなんて約束も嘘、彼にはきっとそんな余裕がない。
一年前なら、彼は今すぐにでも私の部屋まで飛んできてくれたのにとぼんやり考えていた。学生同士だったら通じたわがままも今ではもう通用しない。
彼と私との距離は妙な具合に離れてはじめていた。
私はこうして試すようなわがままを言って、どうすることもできない彼の事を追い詰めようとしている、最低な女だ。そう頭では分かっているものの、自分の中で一旦動き始めた思いを止める事は難しかった。
──前の彼と別れた時もこんなだったな……。何一つ不満なんてなかったのに、ただそれが突然息苦しく感じはじめて私の方から距離を置きたいって言いだしたんだった。でも、それきり。
好きな相手にだったら少々束縛されようがむしろ大切にされていると思えた。忙しい彼に代わって部屋の片付けや家事をしていたのも結局は自分がそうしてあげたいと思っての事だった。
結局は私の気分次第、ただそれだけの話。
──安定しちゃうと飽きるのかな。結婚むきじゃないな。
『──沙耶?聞いてる?』
「うん。聞いてる。」
『じゃ、俺そろそろ眠いからシャワー浴びて寝るわ。』
「分かった。」
『お休み。』
「お休み。」
彼は今日も会社の上司のグチを熱く語ってくれた。あと、パートのおばさん社員が自分の事をいかに気に入ってくれているのかも。
電話を切った後、彼の部屋に投げっぱなしで帰ったコーヒーのシミのついたシャツの事を思い出した。それから、転がって行ったまま拾わなかったペットボトルのキャップも。そういえばあの飲みかけのコーヒーは結局どうしたんだったか……覚えていない。
──なんだろう……すごく寂しい。ついさっきまで彼と話してたのに。誰かに傍にいて欲しい、ぎゅってして欲しい。
気がついたら部屋で一人、スマホを握り締めたままぼろぼろと泣いていた。
大学4年の春は別れの季節だった。春になると一斉にみんなが就職活動を始め、スーツで颯爽と動き始めた。もちろん自分もその波に乗り遅れる訳にはいかなかったが、どこか虚しさを感じていた。彼がいなくなったキャンパス、未来を見据えてそれぞれ別の道を歩み始めた友人たち。いつまでも学生気分が抜けきらないのは自分だけのようだった。
夏ごろになると周りの友達のほとんどが就職先の内々定をもらっていた。自分も最終面接まで行った会社が2社あったがそのどちらもが本当にやりたい何かがあって決めた職ではなかった。とりあえずどこかに引っかかればいい、その程度の気持ちだった。
ただ今いるこの場所から離れるのだけは嫌で、勤務先の条件だけは妙にこだわった。
彼から離れるのが嫌だから──たったそれだけの理由で。
” きみ東京勤務は嫌なの?今時場所にこだわるとか珍しいね、猫みたいだ。後悔するよ、きっと。 ”
そう言いながら鼻で笑った面接官のあの皮肉めいた声が今でも忘れられない。あの時はただのパワハラ発言だと思ってムカついていたけれど、あの人の方が正しかった。
あの時はあんなに離れたくないと思っていた彼と、今になって距離を置こうとしているのは自分の方だ。
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