天国は空の向こう

ニーナローズ

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第二章

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 ごうごうと、音を立てて森が燃えている。
 純白と、灰色だけだった世界が赤く染まっていた。
 炎の灯りと血の赤さで、すべてが真っ赤に染まっている。
 森に住む生き物達があげる悲鳴で静寂はうち破れ、逃げ惑う叫びと恐怖が森を包んでいた。慣れ親しんだ森なのに出口が何処にもない。包囲網を敷かれ、たった一匹の生存すら許されないかのように皆が少しずつ死んでいく。
 自分と同じ形をした生き物が火をつけたのだ。アレを、人間と呼ぶことは知識として知っていた。少年は自分の種族が人間と呼ばれることも知っていた。
 だけれど、森に火をつけた生き物を同じものとは思いたくなかった。
 会話が通じない。言葉が届かない。
 食べる為に殺すのではない。生きる為に殺すのでもない。
 ただ、そこにいるから殺す。殺す為に、殺す。
 悪意あるその行為を、虐殺を身をもって味わった。
 首が痛くて、熱い。いいや、首だけではない。何処もかしこも身体が痛かった。
 何よりも心が痛い。
 ごうごうと燃える音が耳から離れない。
 助けてと叫ぶ声が、死にたくないと嘆く声が。心に刺さる。
 痛い、熱い。すべては赤く紅く染まっていく。
 どうして。
 どうして、殺されなくてはいけないのだ。
 私達が、俺達が何をしたという。ただ静かに生きていただけなのに。
 森を出たことはない。人間と遭遇したこともない。
 森の中で完結し、営みを続けていただけの彼らを人間は燃やし尽くした。すべてを殺した。
 ごうごう。ごうごう。
 燃えている。白い森が燃えている。
 森のかみさまが燃えている。
 憎悪に燃える音がする。嘆きを燃やす音がする。
 生き物達の声が聞こえる。怨嗟の声が、憎悪の音が少年の耳奥で反響する。
 森に生きるすべてのものは意識で繋がっていたのも不幸だった。断末魔の悲鳴が、叫びが全部に共有されて膨れ上がっていく。終わらない連鎖に巻き込まれて意識が憎悪に飲まれていく。
 ノーチェスは、【最果ての森】の生き物すべてが一つになった森の集合体ともいえる存在だった。僅かに残った最後の意識が丸ごと全部一つになった存在だ。
 すべてが燃え、何もかもを無くしたイツトリにたった一つだけ遺された家族だ。
 【最果ての森】の中で確かに生き物達が生きていた証だった。
 今もなお、イツトリとノーチェスは互いの意識を共有している。あらゆることを意識を通して学んでいた。
 だからなのか、ノーチェスは何も言わなくても彼の意識を汲み取れるし、此方も獣の言いたい事はすぐにわかる。
 互いが互いの半身で、一心同体だった。
 どちらが欠けると、どちらも死ぬのだ。
「ごうごう、ごうごう、燃えている。あらゆるものが、燃えている」
 世界の全てが、燃えている。
 童謡のように歌いながら少年は廊下を歩いていた。緩く尻尾を揺らしながらノーチェスが傍らを寄り添っている。
「へーるむーぅーと!」
 背後から柔らかい温もりと良い匂いに包まれた。首元に白い腕が絡みつく。驚きもせず、また鍛えられた体幹によって小揺るぎもしないイツトリは振り返らないまま名前を呼んだ。
「ああ、フィーアか」
「なんだ、なんだ。委員長ちゃんじゃないからって扱いが雑じゃない?」
「返答をしただけなのに、この言われよう。まぁどうでも良いが」
「ひどい!」
 絡みつく腕を振り払って隣に並ぶ。
 子犬のような少女だった。愛くるしい癖毛の赤毛に、大きく丸いチョコレート色の瞳。
 フィーア・ネルフィン。イツトリのクラスメイトだ。
「落ちこぼれクラスの期待星を労ってやろうという、アタシの心を無碍にしたな!」
「どうでもいい」
「どうでも良くない!」
 実は委員長とイツトリはクラスが別だった。生真面目優等生な委員長と違って、少年にやる気は皆無なのだ。
 目立つのも嫌い、人間の中に紛れているのも苦痛、となれば当然、落ちこぼれのクラスになる。何せ、やる気がないもので。
 入学試験などクソほど適当であった。入学できる最低限の能力しか出していない。流石に落ちると保護者の拳骨が降ってくる事間違いなしなのでギリギリのラインは見極めていた。
 そんな彼は本来ならば勝てないはずの戦いを制したせいで噂話の的になっていた。
 勝ったというのに初戦の試合は静まり返っていたのはイツトリが委員長の足を引っ張ると思われていたからだ。
 委員長は優秀な魔術師である。そのクラスも実力に相応しいものに所属している。だからこそ、彼女と行動を共にするイツトリは変なやっかみを貰うことも多かったりするのだが。
 フィーアはニコニコと笑顔を浮かべながら話し出す。
「ヘルムートの特異魔術、魔獣使役だけだと思ってたんだけどなぁ。巨獣に変形するとはねぇ。なかなか強力な武器じゃないか。君が変形の属性を持っていたなんて」
「まぁな。(ノーチェスが魔獣だなんて、俺は一言も言ってないんだけど)」
 イツトリが常に連れ歩き、そばに置いている魔獣。
 それが周りからノーチェスに対する評価である。面倒くさいから訂正していないだけでイツトリは一度だってノーチェスが魔獣だなんて言っていない。ただ、特異魔術の役割を果たしてくれているのは確かなのであながち間違いでもない。説明が面倒だし、勘違いしてくれる分には別に構わないので放置の姿勢だ。
「でも初戦で見せちゃったから次は大変だぞう。巨獣の対策したら君を叩けるんだからね」
「そうだな」
 そして勘違いされまくっているが、ノーチェスの形の変化は一つではない。これもまた面倒くさいので何も言わなかった。聞かれていないし、答える義理もないだろう。
 何故、ノーチェスが一つしか変化しないと思われているのか不思議だった。一つに変化できるなら複数になる事だって可能だろうに。
 会話に集中していないことがわかったのだろう、子犬系の少女がきゃんきゃん文句を飛ばしてくる。
「ちょっと聞いてるぅ?ヘルムート」
「聞いてる、聞いてる」
「それ絶対聞いてない人の台詞!なんだよぅ、みんな気になってんだぜ?」
 廊下を進んだ先は更に人気がなかった。イツトリとフィーアは慣れた様子で扉を開ける。
「嘘つくなよ、誰もどうせ、落ちこぼれの最下層クラス、【華】に興味なんて持たないさ」
 教室には純白の華が描かれた紋章が掲げられていた。
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