芹沢鴨、宮城事件に遭遇す

根本外三郎

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午後六時~午後七時。

阿南陸相の苦衷

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 宮城内にある内廷庁舎の侍従武官長室では蓮沼蕃(しげる)侍従武官長と近衛師団長森赳(たけし)中将が会談をしていた。森師団長は政府がポツダム宣言を受諾して敗戦が決定した事をまだ知らなかった。今朝近衛師団の部下が米軍機が撒いたビラを森師団長に提示したがその内容が「大日本帝国、ポツダム宣言を受諾し無条件降伏す」と云う衝撃的なものであった為、これが偽りなのか真実なのか確かめようとして蓮沼侍従武官長の下を訪ねたのだった。蓮沼侍従武官長は言った。
「それは本当だ。陛下の御聖断により大日本帝国は無条件降伏する事となった。ところで近衛師団ではなにか不測の事態は起きそうか?」
「いえ、私が把握している限り何も近衛師団に異変はありません」森師団長は配下の古賀参謀が畑中少佐らとクーデター計画を画策している事をまだ知らなかった。
「そうか。今は危急存亡の秋(とき)である。近衛師団は必ず一糸乱れぬ統率で終戦に当たって欲しい」
こうして敗戦決定の事実は近衛師団にまで通達される事になった。どうやら昨日まで「撃ちてし止まん」の一点張りだった帝国陸軍は無条件降伏と云う結末を呆気なく迎えるつもりのようである。しかしその中にあって畑中少佐らの策動もますます揺るぎないものとなるのだった。

 首相官邸では中座していた米内海相がやっと海軍省から戻ってきた。その米内海相の表情は暗鬱としていて重苦しい。どうやら海軍でもポツダム宣言受諾に反対する中堅参謀の一派が米内海相の暗殺を企てているようで、それが発覚したからであった。海軍もまた陸軍と同様一丸となった状態ではなかったのである。陸海両軍とも敗戦処理は綱渡りの作業に等しかった。そして米内海相は席へと座ると隣の阿南陸相と再び論議を交わしたが、呆気なく決着は付いてしまった。米内海相が阿南陸相が修正提案した「戦局必ずしも好転せず」と云う文言をあっさりと承諾したからだった。二人以外の全閣僚がその拙速とも思える結末に驚いたが、終戦詔書案における最大の関門が突破された事を歓迎し、閣議はしばし休憩へと入った。そのまま休憩に入り緊張感が解けた阿南陸相は着用していた軍服の下のシャツが汗みどろになっている事に気付いた。一旦着替えをしに陸相官邸へ自動車で帰る事とした。今年に入ってから激化した空襲により荒廃した市街地を見る事は阿南陸相の胸を痛めさせ闘争心を呼び覚まさせたが、この時ばかりは脱力感が阿南陸相を支配しており、夜逃げのような卑屈さをも抱かせたので目を瞑ってしまった。阿南陸相はその状態のまま瓦礫や土砂が大量に混ざった砂利道を走らせて陸相官邸まで向かうのだった。

 その後陸相官邸では阿南陸相を元首相の東條英機大将が訪ねてきた。昨年のサイパン島陥落以来権力を一度に失ったこの男は身内である陸軍内部でも疎んじられていた。東條大将は阿南陸相に向き合うなり開口一番こう言った。「私としては聖戦完遂の為ここで降伏をせず本土決戦に持ち込むべきだと思うが、陛下がポツダム宣言受諾を親裁なされたのであれば異存はない。だが大東亜戦争の意義を連合軍に主張する義務はある。占領されれば軍事法廷に我々は掛けられる事になるだろうが、その時には私は堂々と日本は自存自衛の為に開戦した事を主張するつもりだ。四年前にハルノートを受け入れる事は即ち戦わずして国家の敗亡を意味していたと思う。阿南、お前もそう思うだろう?」それを聞き阿南陸相は少し頷くだけでそれ以上東條大将に反応しようとはしなかった。ただこの男の小さなプライドの為に大日本帝国は崩壊したのか?と思うと抑えきれない涙が込み上げてきそうになった。
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