パラダイス・オブ・メランコリック

杙式

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九 オープン・ザ・ドア

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「サーバごとダウンさせるんだ! 一刻も早く、映像を流すのをやめさせるんだ!」

「無駄だよ、十和。わかってるんだろう。映像にはウィルスが仕込んである。そのウィルスはアクセスした人間のアドレスや閲覧履歴からネット上に蔓延し、一斉に強制的にウィンドウを立ち上げさせ、あらゆる通信機――タブレットにもパソコンにも街角のモニターにもこの映像を流すだろう。ネット社会は本当に便利だ。一瞬で世界をつなげる。もちろん、ここら一帯を停電させたって回線を切断したって映像を止めることはできない。自家発電機は用意済みだし、通信は衛星に切り替えればいい。まあ、地球規模で停電させるということなら有効かもしれないけどね」

「ひとまで感染させようなんて、最悪なネット感染だね」

「『覚醒』と言ってほしいね。世界が目覚めれば、ミセリコルディアがどんなに画期的で素晴らしいものか、皆気づくだろう」

『なにが起こるというんだ』

 戸惑った椚の声が通信機の向こうからする。十和が答える。

「ネット回線を使って、ミセリコルディアを全世界に広げるつもりだ」

『馬鹿な! そんなことできるわけ――』

「その声は、椚だね。十和、音声をスピーカーに切り替えなよ。せっかくだから椚の疑問に答えてあげよう」

 遮ったのは鹿妻だ。
 タンクの置かれた一段高い場所に茜を抱えたまま腰掛け、余裕を持って見下ろしている。
 十和は操作し音声をスピーカーに切り替えた。

 それを待って鹿妻は話しだす。

「ミセリコルディアは電磁波を発し、その電磁波をキャッチしてひとの脳はアイテールを目撃する。ここまではいいかい」

『そんなことはわかっている』

「それはよかった。ちなみに通信も光と同じ波だ。同じ波だから電波を通じてミセリコルディアを届けることが可能なんだよ」

『だが映像を見たくらいでそんなことできるわけがない。夢幻やミセリコルディアを直接摂取していないだろ』

「リリーとルウの例があるだろう。彼らはミセリコルディアを摂取したわけではない。増幅器アンプリファイアである十和の暴発によって事故に巻きこまれただけだ。つまり、十和のアイテールに取りこまれただけなんだよ」

 椚は慧に増幅器アンプリファイアはミセリコルディアを増やすと説明したが、実際はミセリコルディア自体を増やせるわけではない。

 茉莉まつりはミセリコルディアを作るにあたって二つのものを発見していた。
 ひとつは脳に影響を与える特殊な光子だ。
 そしてもう一つは物質を透過する性質をもつ光を、とどめることのできる粒子だった。
 ミセリコルディアはこのふたつをかけ合わせることによってできている。

 増幅器アンプリファイアはミセリコルディアを増やすのではなく、特殊な光子のみを増やす。
 だが増幅器アンプリファイアも人間だ。
 気持ちがあるがゆえに、どうしても自分の思念がプラスされ、結果として大量のアイテールとなって出現するのだ。

「アイテールを目撃するだけでも、ひとの脳はミセリコルディアによる刺激を受ける。ただし他人の強い思念が混じっているから、アイテールとして目撃してしまうし、場合によっては取りこまれる。だがそれを上書きするだけの強い想いがあれば、触媒カタリストとして目覚めることが可能なんだよ」

 つまるところは、アイテールを多量になんだかの形で人間の脳に届けられれば、ミセリコルディアを摂取した状態と似た状態を作り上げることができるということだ。
 もし、アイテールの映像をキャッチした人間のなかに新たな増幅器アンプリファイアがいれば、ミセリコルディアによる感染をさらに拡大することだって可能だろう。

『それは、つまり、先の暴発のときのように多くの人間がショック死する恐れがあるということなんじゃないのか』

 椚の指摘に鹿妻は躊躇ためらうことなく答える。

「まあ、そういうことになるかもしれないけどね。届けるのは純粋なミセリコルディアじゃない。茜ちゃんの思念がのった圧倒的な量のアイテールだ。その思念に負けない意志の強い人間だけが『覚醒』するんだろう。でも、必要な犠牲だと思わないかい」

 カッとなった椚が怒鳴る。
 通信機がビリビリと震えた。

『ふざけるな! それに、それだけじゃないだろう! おまえはわかってるのか! なぜこの特殊班が立ち上がったのかを! そんなことをすれば、生き残ったとしてどれだけ多くの犯罪が起きると思っているんだ! 世界は混乱に陥る!』

「椚、そんな言葉で止まることができたなら、俺はここにはいないんだよ」

 鹿妻は十和に微笑みかける。

「なににかえても叶えたい望みがあるんだよ」

 その笑顔には影がさし、どこか寂しげだ。
 だが十和は気づかず、鹿妻を睨みつける。

「強制的な暴発を起こせば、茜ちゃんだって脳にダメージを受け、廃人になったっておかしくない。それをわかってやってるの」

「もちろんだよ、十和。できれば俺だってそんなことしたくない。悲しいしね。だけど必要な犠牲だ」

 淡々とした言葉は揺るぎない。
 きっともうどんな言葉だって鹿妻を説得することはできないだろう。
 鹿妻は冷静な人物だ。
 衝動的に行動するような人間じゃない。
 きっと何度も反芻はんすうし、反証してここに行き着いたのだ。
 そのための準備だって万端だろう。
 だが――。

「光英、引き返して。応援もここには近づけるな」

『十和……?』

 低く発せられた十和の言葉に椚は違和感を覚える。

「できればここから一キロ以上離れて。なるべく遠くへ行くんだ」

 椚ははっとする。
 タブレットを操作し、十和の脳波を見る。
 グラフはいままで見たことのないほど乱れた波形を描いていた。

 鹿妻は通信機の先で椚が息を呑んだのを察する。

「そうか……十和。きみはあの日から初めて感情を露わにしようとしているんだね」

 鹿妻は知っていた。
 十和が感情を抑え、常に平静を保ってきたことを。
 暴発の恐れがあるという名目でバイタルサインを特殊班取締官の面々から取ってはいたが、実際には他のメンバーにはほぼその可能性はなく、暴発の恐れがあったのは増幅器アンプリファイアである十和ひとりだけだった。
 長らく十和の脳波を見守ってきた鹿妻は、捜査中に戦うことになったとしても十和が決して感情を乱さなかったことをよく知っていた。
 それは十和自身が増幅器アンプリファイアとしての能力を、暴発を恐れていたからなのだろう。

 十和は慧を壁際に寄せる。
 そびえる三つのタンクを見上げ、そして、鹿妻を見る。

「光英、待つのは十分が限界だから」

『十和、なにを考えてる! 待て!』

 椚が一喝するも、十和は聞く耳を持たず、鹿妻に向かっていく。

 それを見た鹿妻はふふっと笑みをこぼす。
 十和は暴発を起こしてでも鹿妻を止める覚悟なのだ。
 それは正しい判断だ。
 いまの茜を止めるには、平素の十和では力に余る。

「十和はもうわかってるよね。慧ちゃんは手遅れた。俺が心臓を撃ったんだからね」

「それ以上、言うな……!」

「それにね、残念だけど、十和。俺は十分なんてそんなに長い時間も待てないんだ」

 鹿妻はそっとタブレットに触れる。

「さて。一体、何人が覚醒するだろうね」






「なんだこれ? いきなり切り替わったんだけど」

「あ。俺のも俺のも。なんの映像だ、これ?」

 地図アプリを立ち上げていたはずのスマートフォンの画面に、突如として操作した覚えのないウィンドウが立ち上がり、画像を流し始めた。
 街なかを歩いていた大学生が互いの画面を見合う。

「あれ? てか、俺たちのだけじゃなくね。なんか周り同じ映像流れてんだけど」

「ほんとだ。なんだこれ? なんかの宣伝?」

 きょろきょろと見回すと、街なかにあるあらゆる映像を映す媒体が、同じ画像を流している。
 それは異常な光景だった。
 電波ジャックを利用した新手の映画広告かなんかだろうかと、呑気にも大学生は首をひねる。

 密かに蔓延まんえんしつつあるウィルスはアドレスを辿り一気に世界のモニターの映像を切り替えはじめていた。
 個人のスマートフォンも、テレビ画面も、街角のモニターも、映画のスクリーンも、会社のパソコンさえも。

 映しだされたのは廃工場の一室だ。
 巨大なタンクが三つそびえ、淡く輝く瑠璃色の中身から、察しがいいものはそれが大量のミセリコルディアだと気づく。

 そして、映像を横切る黒い点の群れ。
 映像が乱れているかせいとも思ったが、よく見るとそれは違った。

「おいおい、なんだ、この映像! よくみたら、この黒いやつ、蝿じゃん」

「うそだろ。うわっ、マジだ! なにこの大群。気持ち悪」

 食い入るように映像に見入ると、一匹の蝿が画面に突進してくる。
 その蝿はそのまま画面にぶつかるかと思いきや、スマートフォンの画面は不意に盛り上がったように見えた。
 見間違いかと思った学生は思わず画面に顔を近づける。
 蝿は薄い被膜に覆われたように見え、次の瞬間、その被膜を突破し目前に出現した。

「は? 嘘だろ」

 あまりのことに頭がついてこない学生は、呆気にとられそれを見つめる。
 蝿は飛びながら、赤黒い複眼であざ笑うかのようにこっちを見つめ返してくる。

 だが、それは見間違いではない。

 その一匹の蝿を皮切りに、スマートフォンからも別のモニターからも大量の蝿が溢れだした。
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